ISOな日々の合間に

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「ユリウス・カイサル ルビコン以前(下)」へ

2006年04月25日 | お楽しみ
(中)では、カエサルが政治の実権を握るところから始まり、更に、紀元前58年始まる8年間のガリア戦役の前半の5年間の戦いが描かれている。

統治能力を発揮できなくなった「元老院体制」を封じ込めるために、地中海全域を覇権下に治めたポンペイウス、そして最も経済力を有するクラッススと密約を交わし、執政官となって三頭政治で元老院派を押さえ込む。その後、野望を秘め長年ローマにとって懸案であったガリア平定へと向う。

カエサル自身がこの長い戦役の記録を「ガリア戦記」として書き残している。それは、単なる戦闘の記録ではなく、戦う蛮族の考え方、宗教、風習・文化にまで触れている。
例えば、かの小林秀雄が1942年に翻訳を読み、「少しばかり読み進みと、もう一切を忘れ、一気呞成に読み終えた。それほど面白かった・・・・。近頃、珍しく理想的な文学鑑賞をしたわけである。・・・」と書いていると言う。カエサルは超一流の文才もあったのだ。

この戦役でライン川以南のドイツ南部とスイスを含み、オランダ、ベルギーそして南仏一帯までのガリア、更には、ブリタニアまで覇権下に収めることになる。

その間、様々な部族と戦って打ち破ってゆくのだが、登場する部族の描写を読んでいると驚く。もともと、ローマ人は小麦を主体とした食生活であるが、肉食のゲルマン族は背が高く体も大きく、当初戦うのを躊躇うほどローマ人のほうが小柄だったとあり、親近感を覚える。

「また、ブリタニアの内陸部に住む人々の大部分は、小麦を耕作する習慣も持たず、乳と肉を食し、衣服といえば毛皮を身にまとうのみ。そのうえ、青色染料で体を染める。ために、戦場では一段と恐ろしく感じられる。(後のジェントルマンたちも、二千年前はインディアンみたいだったわけだ)」とある。まるでアイヌみたいだね。

また、紀元前55年8月26日、午前十時、最初のローマ軍の船がブリタニアの海岸に達した。この時をもって大英帝国の歴史が始まったと、かのウインストン・チャーチルが言ったと言う。

これらの記述を見て実はほっとした。この時期の日本においてもブリタニアと情況はきっと似ていたに違いないのでは、と。大陸の文化から殆ど隔絶され、侵略されることも無かったのだからと。そして、ローマ文明が如何に進んでいたかにも驚くばかり。