ISOな日々の合間に

土曜日は環境保護の最新の行政・業界動向、日曜は最新の技術動向を紹介。注目記事にURLを。審査の思い出、雑感なども掲載。

福井城と福井震災

2006年04月17日 | 旅先にて
審査顧客先とホテルの中間地点に福井城がある。天守閣は寛文9年(1669)4月の大火により焼失し、今は中央に大きな県庁ビルが鎮座しているが、内堀は立派な石垣と共に保存され、春は桜の名所になっている。

ちょうどお城を一周するように道筋を選んで徒歩で往復する。その間に写真を撮るので、何時ものことながら朝の7時台か夕方の17時台の影の長い写真になる。なので、影が入らないようなアングルを選ぶ。

冒頭の写真(クリックすると拡大される)は、審査後の帰路に城の西側にある「御廊下橋」から南側のお堀端を撮ったもの。日差しがやや弱いが、結構よい構図で撮れている。桜も西側なのでまだ満開である。このところの出張では、幸運にも満開の桜を追いかけている。

昨日のブログで、市内の道路が非常に広いと書いた。最も広い裁判所前の道路では、両側の歩道は通常の2倍から3倍の広さがあり、路面電車の往復レールを挟んで車道は上下それぞれ3車線分もある。まるでアメリカサイズだ。何故か? 顧客に聞いてみた。

むかし福井は織物の産地であり、第二次世界大戦中パラシュートの生産地だった。このため米軍に空襲で徹底的に焼き払われてしまった。

その後の復興最中の1948年(昭和23)6月28日の午後5時過ぎ(サマータイム)、坂井郡丸岡町付近を震源にマグネチュード7.1の「福井大地震」 が発生した。

その被害は福井・坂井平野全域にわたり、倒壊・焼失した家屋数が約4万6000戸、死者・行方不明者が3800人あまりにも達した。戦争とこの震災で徹底的に街が破壊されたため、この震災後に現在ある都市計画が作られたという。

なお、この震災は戦後では95年(平成7)の「阪神・淡路大震災」につぐ大規模なものであり、家屋倒壊率のあまりの高さから、その後気象庁震度階にあらたに震度7(激震)が設定されたという。