電脳筆写『 心超臨界 』

良い話し手になるゆいつの法則がある
それは聞くことを身につけること
( クリストファー・モーレー )

世人論語算盤を分ちて二となす――渋沢栄一

2024-08-30 | 08-経済・企業・リーダーシップ
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そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
佛さまの
ものさし
(相田みつを)

「そんかとくか(損得)」は、利潤を追求する企業の命題である。ところが利潤の高さだけでは企業価値は決まらない。企業の基本は、①自ら提供するモノ・サービスが社会に喜ばれるものであること、②得られた利潤は、ふたたび社会に還元されること、この二つにある。渋沢栄一は、計算可能性・合理性(算盤=利)が社会の主題として安定的に追求されるためには、背骨部分で秩序化(論語=道徳)の仕組みが稼働していなければならないという認識のもと、日本の近代化を牽引した。


◆世人論語算盤を分ちて二となす――渋沢栄一

「ニッポンの企業家――渋沢栄一」[1]近代史のヒント
「やさしい経済学」田中直毅
( 2005.09.21 日経新聞(朝刊))

次の二つを主な理由として、日本の資本主義の発展に転機が訪れたとみるひとは多い。

1、近く人口減少社会をむかえ、かつ働き終えた後の時間を20年単位で考える人の比重が高くなる。

2、グローバル経済が浸透するなか、働き手の報酬は、何らかの形で測定した個人の貢献分を反映するものに手直しせざるをえない。しかしこれは、戦後日本の分配システムから変えかねない。

他方で明治以来の日本の産業発展の歴史に、改めて新しい視点から焦点が当てられるべきだとの見方も出てきた。次の二点が今日的である。

1、冷戦が米国など西側の勝利で終わったときは、民主主義による統一的な世界システムの構築(「歴史の終わり」)に向かうとの考え方もあったが、実際には複数の均衡解が併存し続けるとの見方が増えているように思われる。

2、世界の主権国家ごとに内部を観察すると、統治能力構築という課題がなお重いところが多く、先進地域からの制度移転をめぐって伝統的な社会システムとの間に不調和をきたすところも多い。

近代史における日本の発展からくみとるべきものをめぐり、また21世紀日本社会の行く末につき改めて大きな問いが必要となっているのは、こうした要因が重層的に押し寄せているからである。

渋沢栄一(1840―1931)は「世人論語算盤(そろばん)を分ちて二となす。これ経済の振わざる所以(ゆえん)なり」とした。経済が成り立っている背景についての考察は20世紀も時を追って本格化した。近代化の道筋が決して直線的なものではないというのが世界の歴史観となり、制度とはさまざまなゲームのルールにほかならないとの認識も深まった。

こうした制度づくりのための知恵を論語に求めたのが渋沢であった。計算可能性・合理性(算盤=利)が社会の主題として安定的に追求されるためには、背骨部分で秩序化(論語=道徳)の仕組みが稼働していなければならないというのが彼の認識だったのだ。「論語と算盤」を分けずに、同時にとりあげ続けた渋沢に、新しい光が当てられるべきなのは当然であろう。
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