電脳筆写『 心超臨界 』

あなたが他人を責めるとき
あなたは成長し変化する自分の力を放棄したことになる
( ロバート・アンソニー )

伊勢守は、通りかかった一人の禅僧に、ちょっとその衣を拝借したいと頼んだ――鈴木大拙師

2024-05-05 | 05-真相・背景・経緯
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ある日、上泉伊勢守が、山間の僻村を通りかかった時、村人の騒いでいるのを見た。自暴自棄になった咎人(とがにん)が村の子供を引っさらって一軒家に逃込んだ。村人が彼を捕えるかまたは害を加えんとするならば、彼はその犠牲(いけにえ)を殺そうと脅していた。


◆伊勢守は、通りかかった一人の禅僧に、
 ちょっとその衣を拝借したいと頼んだ

『禅と日本文化』
( 鈴木大拙、岩波書店; 改版 (1940/09)、p98 )

剣士が禅僧から受継いだものがいま一つある。往昔、彼らは日本国中を旅して、その技を完成するためにあらゆる種類の艱難辛苦をなめ、あらゆる師の許にあらゆる鍛錬をへたものであった。その範例は、最後の悟りに達するために同じ事を行なった禅僧が示したのであった。この練磨を、僧の間では「行脚(あんぎゃ)」といい、剣士の間では「武者修行」と呼んでいる。

この習慣が剣士の間にいつの頃から起ったかは判らぬが、神陰流の建設者は日本全国を旅行したという。ある因縁で、彼は雲水の僧にでくわした。ある日、上泉伊勢守が、山間の僻村を通りかかった時、村人の騒いでいるのを見た。自暴自棄になった咎人(とがにん)が村の子供を引っさらって一軒家に逃込んだ。村人が彼を捕えるかまたは害を加えんとするならば、彼はその犠牲(いけにえ)を殺そうと脅していた。伊勢守は事の由々しさを悟った。一人の出家の通りかかるのを見れば、疑いもなく旅の禅僧なので、ちょっとその衣を拝借したいと頼んだ。真個の僧に見えるように自分の頭を剃って貰った。彼は弁当を二つ持って一軒家の方へ近づいて、その咎人に、子供の親がわが子の餓死するのを見るに忍びないので、食べ物を与えるようにと自分に頼んだと言った。かくいって、彼は男の前に弁当箱の一つを差出した。伊勢守は続けて『お前も空腹であろうから、いま一つ弁当を用意させてきた。』兇漢がそれを受取ろうと片腕を差延ばしたとき、僧形の剣士はときを失わず彼の利腕を捕えて、力任せに地に投げつけ、見事に彼を生捕りにしてしまった。衣を元の持主に返すと、出家はいたく彼を賞揚して、『貴殿こそ真に「剣刃上の一句を悟ったひと」だ』といって、禅僧の象徴である掛絡(から=訳註、普通、禅僧が首から胸に掛ける小さい方形の略式袈裟のこと)を贈った。伊勢守は、けっして、それを手放さなかったという。この旅の僧も、禅の方では、ただ者ではなかったのだろう。相当の悟者だったに違いない。「剣刃上の一句」というのは、禅の方でよく用いる言葉で、生死の線を真に超えた、風霜をへた禅僧をさす。なるほど、伊勢守が、行脚僧からの贈物――掛絡を大事にしたという事も、十分の理由はあったわけだ。
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