◆『菊と刀』《 『菊と刀』の日本人改造計画 》
占領下の日本人改造計画に重要な役割をもった研究がある。それは1944年6月からスタートした人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』(長谷川松治訳、講談社学術文庫)である。その内容は『菊と刀』のタイトルが示す通り、まず何よりも先に日本の指導者階層を権力機構から排除することであり、その結果として米国の利益になる国に造り変えることが可能であると報告されている。
『「反日」包囲網の正体』
( 水間政憲、PHP研究所 (2011/5/28)、p124 )
占領下の日本人改造計画に重要な役割をもった研究がある。それは1944年6月からスタートした人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』(長谷川松治訳、講談社学術文庫)である。
その内容は『菊と刀』のタイトルが示す通り、まず何よりも先に日本の指導者階層を権力機構から排除することであり、その結果として米国の利益になる国に造り変えることが可能であると報告されている。その研究課題として、次の文章がある。
「わが軍は日本の山中にあるあらゆる要塞で、死にもの狂いになって最後まで頑強に抵抗する日本人と戦う覚悟をせねばならないのだろうか。国際平和が可能となる前に、フランス革命やロシア革命程度の革命が、日本に起こる必要があるのだろうか。だれをその革命の指導者にしたらよいのか。それとも、日本国民は絶滅させなければならないのだろうか。われわれの判断いかんによって異常な相違が生ずるのであった」
そして本論中、「菊」すなわち天皇を比喩して次のように書いている。
「日本本国にいる日本人も、新しい時代に際会して、昔のように個人の自制の義務を要求しない生活様式を樹立する可能性をもっている。菊は針金の輪を取り除き、あのように徹底した手入れをしなくともけっこう美しく咲き誇ることができる」
また、「刀」(指導者層)については、
「刀は攻撃の象徴ではなくして、理想的な、立派に自己の行為の責任を取る人間の比喩となる。……日本精神の一部として、日本人の心に植えつけてきた徳である。今日、日本人は、西欧的な意味において、『刀を捨てる』(降伏する)ことを申し出た。ところが日本的な意味においては、日本人は依然として、ややもすれば錆を生じがちな心の中の刀を、錆びさせないようにすることに意を用いるという点に強みをもっている」
と、指導者の排除を示唆していた。
事実、占領下において、1945年10月4日「民権自由に関する覚書」(特高パージ)によって、10月13日付で合計6202人が公職から追放され、同10月30日「教職パージに関する覚書」、46年1月4日「公職追放指令」が発令、同3月10日には「軍国主義指導者の追放」が指令された。
そのなかの付属書A号で、その種の人物をA項からG項まで7項目に分類したが、G項には文化人も含むと規定されていた。公職追放者21万人の内訳は、G項で追放された19万人以上が最大で、なおかつ彼らの三親等まで追放の対象になったこともあり、ある日突然100万人以上のわが国の指導者が排除されたのである(増田弘著『公職追放論』岩波書店)。
ちなみにG項は、日本だけに適用されており、ドイツでは適用されなかった。戦後の日本人が変質した最大の原因は、G項による公職追放、つまり指導者層の総入れ替えによるものである。わが国の歴史において、きわめて異常な事態が実現してしまった。これは有史以来初めての大事件である。
※日本再興には、東日本大震災を分岐点として、この「G項」によっ
て追放された「日本精神」を取り戻すことができるか否かが「鍵」
になる。
占領下の日本人改造計画に重要な役割をもった研究がある。それは1944年6月からスタートした人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』(長谷川松治訳、講談社学術文庫)である。その内容は『菊と刀』のタイトルが示す通り、まず何よりも先に日本の指導者階層を権力機構から排除することであり、その結果として米国の利益になる国に造り変えることが可能であると報告されている。
『「反日」包囲網の正体』
( 水間政憲、PHP研究所 (2011/5/28)、p124 )
占領下の日本人改造計画に重要な役割をもった研究がある。それは1944年6月からスタートした人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』(長谷川松治訳、講談社学術文庫)である。
その内容は『菊と刀』のタイトルが示す通り、まず何よりも先に日本の指導者階層を権力機構から排除することであり、その結果として米国の利益になる国に造り変えることが可能であると報告されている。その研究課題として、次の文章がある。
「わが軍は日本の山中にあるあらゆる要塞で、死にもの狂いになって最後まで頑強に抵抗する日本人と戦う覚悟をせねばならないのだろうか。国際平和が可能となる前に、フランス革命やロシア革命程度の革命が、日本に起こる必要があるのだろうか。だれをその革命の指導者にしたらよいのか。それとも、日本国民は絶滅させなければならないのだろうか。われわれの判断いかんによって異常な相違が生ずるのであった」
そして本論中、「菊」すなわち天皇を比喩して次のように書いている。
「日本本国にいる日本人も、新しい時代に際会して、昔のように個人の自制の義務を要求しない生活様式を樹立する可能性をもっている。菊は針金の輪を取り除き、あのように徹底した手入れをしなくともけっこう美しく咲き誇ることができる」
また、「刀」(指導者層)については、
「刀は攻撃の象徴ではなくして、理想的な、立派に自己の行為の責任を取る人間の比喩となる。……日本精神の一部として、日本人の心に植えつけてきた徳である。今日、日本人は、西欧的な意味において、『刀を捨てる』(降伏する)ことを申し出た。ところが日本的な意味においては、日本人は依然として、ややもすれば錆を生じがちな心の中の刀を、錆びさせないようにすることに意を用いるという点に強みをもっている」
と、指導者の排除を示唆していた。
事実、占領下において、1945年10月4日「民権自由に関する覚書」(特高パージ)によって、10月13日付で合計6202人が公職から追放され、同10月30日「教職パージに関する覚書」、46年1月4日「公職追放指令」が発令、同3月10日には「軍国主義指導者の追放」が指令された。
そのなかの付属書A号で、その種の人物をA項からG項まで7項目に分類したが、G項には文化人も含むと規定されていた。公職追放者21万人の内訳は、G項で追放された19万人以上が最大で、なおかつ彼らの三親等まで追放の対象になったこともあり、ある日突然100万人以上のわが国の指導者が排除されたのである(増田弘著『公職追放論』岩波書店)。
ちなみにG項は、日本だけに適用されており、ドイツでは適用されなかった。戦後の日本人が変質した最大の原因は、G項による公職追放、つまり指導者層の総入れ替えによるものである。わが国の歴史において、きわめて異常な事態が実現してしまった。これは有史以来初めての大事件である。
※日本再興には、東日本大震災を分岐点として、この「G項」によっ
て追放された「日本精神」を取り戻すことができるか否かが「鍵」
になる。