電脳筆写『 心超臨界 』

苦労に対する最大の報酬は
その引き換えに得るものではない
苦労したことで形成される人物である
ジョン・ラスキン

◆『菊と刀』を書いたときのルース・ベネディクトは安楽いすの人類学者だった

2024-07-03 | 05-真相・背景・経緯
◆『菊と刀』を書いたときのルース・ベネディクトは安楽いすの人類学者だった


人類学の理想的な、そして唯一の方法は「現地」主義である。間接的方法は、なんとしてももどかしい。現地に足をはこんでみなければわからないことがいっぱいあるのだ。間接的に書物や文献を丹念に読むだけで、いっこうに現地に行かない人類学者は「安楽いす(アームチェア)の人類学者」と呼ばれたりもするが、それはけっして、ほめことばではないのである。


『自己表現』
( 加藤秀俊、中央公論新社 (1970/09)、p71 )

もちろん、人類学者を名のる人たちのなかには、まったく現地に足をはこんだことのない人もいないわけではない。しかし、人類学や民俗学をこころざす人間は、それぞれ「現地」(フィールド)こそが勝負のしどころだ。ということを知っている。だから、M・リードやR・ベネディクトだのの人類学者たちは、戦時中に直接の「現地」調査ぬきで日本やドイツの人類学的研究をおこなわなければならない、という変則的な立場に追いこまれたとき、わざわざ、その方法論を吟味するために一冊の本を書いたほどだ。しかも、いくら方法論をいじりまわしてみたところで、人類学の理想的な、そして唯一の方法は「現地」主義である。間接的方法は、なんとしてももどかしい。現地に足をはこんでみなければわからないことがいっぱいあるのだ。間接的に書物や文献を丹念に読むだけで、いっこうに現地に行かない人類学者は「安楽いす(アームチェア)の人類学者」と呼ばれたりもするが、それはけっして、ほめことばではないのである。
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