電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

沖縄芝居から 琉球の歴史、伝統の風習、現代の暮らしを学ぶ――ゆたかはじめさん

2008-07-15 | 04-歴史・文化・社会
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金持になるには――エッセイスト・ゆたかはじめ
【「あすへの話題」08.07.12日経新聞(夕刊)】

豊かな沖縄芸能の一つに沖縄芝居がある。歌舞伎とは全く別のもので、セリフはすべて沖縄放言で演じる。母の日公演は見物で賑わい、テレビでは日本語字幕スーパーを流してくれる。初めて見たのは復帰前で、言葉は全く判(わか)らないが筋だけは判った。舞台転換が早く色鮮やかで、客席には英語と日本語のイヤホーンがついていた。

芝居は放言が学べるし、琉球の歴史、伝統の風習、現代の暮らしまで、すべてを教えてくれるのがいい。

琉球王国は、武力に頼らず交易で栄えてきたが、豊臣秀吉の朝鮮出兵に協力しなかったため、1609年、鉄砲を持った島津軍に攻められ、あえなくこれに屈服した。国王の尚寧はとりこになり、薩摩、江戸と引きまわされて帰国する。このときから琉球国は、薩摩の属国となるが、芝居はそれを悲しく描いて見せてくれる。

明治12年、今度は、明治政府が武力で脅しをかけた琉球処分に屈服し、数百年の歴史をもつ琉球王国はついに滅亡する。最後の国王、尚泰の苦衷は、名作悲劇「首里城明け渡し」の舞台となって、いつも満場の涙を誘うのである。

どちらの王も、国の名誉より民の命を守るため、あえて屈辱の道を選んだのであった。沖縄の「命(ぬち)どう宝」という言葉は、ここからきている。沖縄県がこうして生まれたことを、観光客はどれだけ知っているだろうか。

また御万人(うまんちゅ)という言葉がある。国王が民のことを、敬う気持ちでこう呼んでいた。今でも「うまんちゅの暮らし」「うまんちゅの健康」といった具合に日常で使われている。これもまた沖縄芝居の舞台から学んだことであった。

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