電脳筆写『 心超臨界 』

現存する良品はすべて創造力の産物である
( ジョン・スチュアート・ミル )

セレンディビティの予感 《 小恍惚の体験——渡部昇一 》

2024-06-29 | 03-自己・信念・努力
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]


小恍惚(マイナー・エクスタシー)という言葉を知ったのは、もと皇太子殿下の英語教師であったヴァイニング夫人の書いたものからであった。夫人は少女の頃に夕暮の空を飛んで行く鷺(さぎ)かなにかを見たとき、一瞬、その美しさにわれを忘れるような体験をしたという。それは彼女の幸福感とも連なった。それで夫人はその後の生活においても、小さなことにうっとりする体験をすることに努めたというのである。


◆小恍惚の体験(ピーク・エクスピアリアンス)の回数が増す

『「人間らしさ」の構造』
( 渡部昇一、講談社 (1977/05)、p135 )

小恍惚(マイナー・エクスタシー)という言葉を知ったのは、もと皇太子殿下の英語教師であったヴァイニング夫人の書いたものからであった。夫人は少女の頃に夕暮の空を飛んで行く鷺(さぎ)かなにかを見たとき、一瞬、その美しさにわれを忘れるような体験をしたという。それは彼女の幸福感とも連なった。それで夫人はその後の生活においても、小さなことにうっとりする体験をすることに努めたというのである。大きな喜びで夢中になれるようなことは、この世のなかに少ないかもしれない。しかし人生のあちらこちらで、小さい恍惚感を味わうことはできるのだ、と彼女はいう。人生のいたるところで小恍惚を見出しうる人は幸いな人であり、生きがいある人生を送っている人だといってよいと思う。

心理学者マズローは、自己実現を十分なしとげた人は、しばしばピーク・エクスピアリンスを持つという。この言葉は直訳すれば至高体験とか、頂上体験とかになろう。しかしそう訳してしまうと性交の際のアクメ(これも頂上という意味だ)に限定されそうな語感がでるので、ヴァイニング夫人の小恍惚がよいと思う。この頃ではボケることを恍惚というのがはやっているが、ここでいうのは『恍惚の人』のボケでなく、生きがいのある生活のしるしとしての小恍惚である。

芭蕉に、「よく見れば なずな花さく 垣根かな」という句がある。なずなは、はでな花ではなく、だれにでも容易に見落とされるような種類の花である。しかもそれは垣根のところである。しかし芭蕉はこの小さい花、このなんということもない花が垣根のところでだれに見られるのを期待したわけでもないのに咲いているのに目をとめたのだ。その時の芭蕉の心境が小恍惚なのだ。それは夕焼けに飛んで行く鷺をみた少女エリザベス・ヴァイニングとおなじような心の体験である。

こういう小恍惚がしばしば起こるときがほんとうの自己が伸びているときなのである。だれでも数学の問題がきれいに解けたときのいい気持ちを知っていることだろう。小説を読んで時間のたつのを忘れることもあろう。シューベルトの「楽興の時」のことを思い出し給え。あのように美しい楽想が湧(わ)いてきたとき、それはシューベルトにとっては小恍惚のときなのである。普通の人は、作曲する才能やそのための教育を受けていない。しかしシューベルトを聞いてその恍惚に参加できるのである。

このように恍惚感は、心の状態が受身であってよい。あるいは有利な商売上の契約を結んだときでもよいし、プラモデルを夢中になってし上げるのもよい。この小恍惚の体験は、生きがいにきわめて重要であるので、次の章(148ページ以下)で詳しく考えてみることにする。
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