電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「どうかフォクシーが訪ねた土地や、見た景色のことを、ノートに書いて下さい。写真つきだともっといいんだけど……」。たぶんアリソンちゃんは、まだ自分の故郷の町から遠くへは行ったことがない。それで、フォクシーに代わりに世界のあちこちを見てきてもらおう、と考えついたのだ。フォクシーは94年11月の初めに、ナッセルを出発していた。まずカリフォルニアへ行き、ついでフロリダへと、アメリカ国内を回っていることが、ノートの記録からわかる。「そうやって十人ぐらいの人の手に抱かれて旅をし、95年2月にアンカレッジに着いたばかりだったのです」
◆キツネの世界旅行
『読むクスリ 25』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (1996/06)、p117 )
ソニー会長の大賀典雄さんの趣味は、オーケストラの指揮と飛行機の操縦。
指揮のほうでは1995年6月、世界最高の楽団の一つイスラエル・フィルハーモニーの定期演奏会に招かれて、並みいる聴衆を前に棒を振った。
一流指揮者として遇されたわけで、ただの趣味ではない。
「私は60歳になったら経営者をやめて、指揮者になるのが夢で、ずっと勉強を続けてきたのです。残念なことに、まだ経営者をしていますが」
飛行機操縦のほうは、単発機からジェット機まで、20年間で7つのライセンスを取った。
「ウチの社用機のパイロットより私のほうが、飛行時間は長いと思いますよ」
これも、なまじの趣味ではない。
*
国際企業のトップのかたわら、よくそんなに本格的な趣味に費やす時間がありますね、と不思議そうにたずねられる。
「その秘密は、1日2回の睡眠にあるのです」
会社の仕事は忙しくて、帰宅はたいてい夜10時か11時になるが、帰るとすぐ寝てしまう。
「寝つきはいいし、ぐっすり眠ります。そして午前2時になると、決まって目が覚めるんです」
これは東京芸大声楽家の学生だった十代の終りから、夜中のほうが勉強の能率が上がるので身についた習慣だ。
「今は、仕事の電話がこなくてもっと能率が上がります。この時間に私は指揮や操縦の勉強をするのです」
指揮をするには、楽譜をすべて暗記して頭の中に入れてしまわなくてはいけない。何度も読んで、間違いのないように覚えていく。
操縦のほうは、ライセンスを取るために学科試験がある。だからこれも、本を読んで頭に入れていく必要がある。
「そういう勉強を、午前4時半ごろまでやります。終わると再びベッドに入り、6時半まで眠ります」
夜11時就寝として、“分割払い”の睡眠の合計は5時間。
「でも眠りが深いですから、だらだら8時間寝るよりよほど合理的だと思っています。ただ、ほかの人に合うかどうかわかりませんから、すすめるつもりはありませんがね」
*
その大賀さんが95年2月、社用機でニューヨークへ出張した。むろん、こういうときはパイロットがついている。
帰途社用機は、給油のためにアラスカのアンカレッジに立ち寄った。いったん降りて待合室にいると、空港職員がやってきて、いった。
「ミスタ・オオガ。お願いがあるのですが」
「なんでしょう?」
「じつは、これなんです」
30センチほどの、薄茶色のキツネの縫いぐるみを、職員は差し出した。
「アメリカの8歳の女の子が、この縫いぐるみを世界旅行に出したのです。手伝ってやっていただけませんか」
「ほほう」
*
縫いぐるみは肩からカバンを下げていて、中にノートが入っている。
その最初のページに子供の字で、Passport to the world!と書いてある。
縫いぐるみのパスポートというわけだ。続いて、
「私の名はフォクシーです」
と縫いぐるみの自己紹介があり、
「私を旅に出したのは、アリソンちゃんです」
アリソンちゃん自身の写真と、手紙、アドレスも入れられていた。
それによると彼女は、ワシントン州ナッセルの小学校3年生。
フォクシーを知人に託して旅行に出し、行った先でまた別の人の手に渡してもらって、リレー式につぎつぎ知らない土地を旅させよう、というのだった。
「どうかフォクシーが訪ねた土地や、見た景色のことを、ノートに書いて下さい。写真つきだともっといいんだけど……」
たぶんアリソンちゃんは、まだ自分の故郷の町から遠くへは行ったことがない。それで、フォクシーに代わりに世界のあちこちを見てきてもらおう、と考えついたのだ。
フォクシーは94年11月の初めに、ナッセルを出発していた。
まずカリフォルニへ行き、ついでフロリダへと、アメリカ国内を回っていることが、ノートの記録からわかる。
「そうやって十人ぐらいの人の手に抱かれて旅をし、95年2月にアンカレッジに着いたばかりだったのです」
素晴らしい旅の計画だ、ぜひアリソンちゃんとフォクシーのために成功させてあげたい、と思った大賀さんは、空港職員にいった。
「お引き受けしました。まず日本へ連れて行き、そこから世界一周ができるよう計らいます」
*
東京へ帰った大賀さんは、アリソンちゃんにあてた手紙を、ノートに書いた。フォクシーが綴ったかたちで。
アリソンちゃん、ぼくが今どこにいると思う? 東京だよ、日本の! ソニーの会長室で、たくさんの女子社員に抱かれたり、握手されたりで、すごく忙しい……」
「富士山を背に遊んでいるようなハイテク合成写真を撮ってもらったから、送るよね。会長さんからアリソンちゃんにプレゼントもあるんだ。クレジットカードみたいに薄くてちっちゃなラジオだよ!」
ソニー社員の家で泊めてもらったり、1週間ほど東京で過ごしたフォクシーは、シンガポールへ赴任する社員に連れられて飛行機に乗った。
そこから今度は、ヨーロッパに出張する駐在員に抱かれてロンドンへ。
そして、アメリカへ行く社員に託され、ぐるり地球を一周して故国へ戻ることになった。
*
5月に大賀さんは、またニューヨークへ行った。
ソニーのオフィスへ入ると、なんとそこにあの縫いぐるみが、ちょこんと坐っているではないか。
「やあ、フォクシー! 奇遇だなあ」
駐在員たちが気をきかせて、再会を演出したのだった。
「それにしても、故郷を出てもう半年だ。そろそろ帰ってくるころ、と、アリソンちゃんが待っているんじゃないか」
アメリカへ帰ったからには、もうソニーの手を離れてもいいだろう。
フォクシーは、ワシントン州出身のニューヨークの大学生に渡された。
*
10月になって、東京の大賀さんにアリソンちゃんから手紙が届いた。
「フォクシーが帰ってきました! そして、彼のノートから、旅の間すっかりミスター・オオガにお世話になったことを知りました。ありがとうございました……」
「私は農場に住み、5頭の犬と、4頭の山羊を飼っています。馬も大好きです。音楽が好きでピアノを弾きますし、絵を描くのも好きです」
アリソンちゃんの手紙には、彼女の描いた馬の絵がつけられていた。
「祖父と祖母は、日本へ行ったことがあります。私も行ってみたいです。クレジットカードかしら、と思うようなラジオも、ありがとうございました」
手紙の終りに、彼女のサインと並んで縫いぐるみのフォクシーの足型が押してあった。
「フォクシーは最後に、アメリカのある大学総長から郵送でアリソンちゃんに届けられたそうです。少女の夢を支えてあげようとする人たちが、たくさんいたんですね。私もその一人になれたことが、とてもうれしいんです」
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「どうかフォクシーが訪ねた土地や、見た景色のことを、ノートに書いて下さい。写真つきだともっといいんだけど……」。たぶんアリソンちゃんは、まだ自分の故郷の町から遠くへは行ったことがない。それで、フォクシーに代わりに世界のあちこちを見てきてもらおう、と考えついたのだ。フォクシーは94年11月の初めに、ナッセルを出発していた。まずカリフォルニアへ行き、ついでフロリダへと、アメリカ国内を回っていることが、ノートの記録からわかる。「そうやって十人ぐらいの人の手に抱かれて旅をし、95年2月にアンカレッジに着いたばかりだったのです」
◆キツネの世界旅行
『読むクスリ 25』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (1996/06)、p117 )
ソニー会長の大賀典雄さんの趣味は、オーケストラの指揮と飛行機の操縦。
指揮のほうでは1995年6月、世界最高の楽団の一つイスラエル・フィルハーモニーの定期演奏会に招かれて、並みいる聴衆を前に棒を振った。
一流指揮者として遇されたわけで、ただの趣味ではない。
「私は60歳になったら経営者をやめて、指揮者になるのが夢で、ずっと勉強を続けてきたのです。残念なことに、まだ経営者をしていますが」
飛行機操縦のほうは、単発機からジェット機まで、20年間で7つのライセンスを取った。
「ウチの社用機のパイロットより私のほうが、飛行時間は長いと思いますよ」
これも、なまじの趣味ではない。
*
国際企業のトップのかたわら、よくそんなに本格的な趣味に費やす時間がありますね、と不思議そうにたずねられる。
「その秘密は、1日2回の睡眠にあるのです」
会社の仕事は忙しくて、帰宅はたいてい夜10時か11時になるが、帰るとすぐ寝てしまう。
「寝つきはいいし、ぐっすり眠ります。そして午前2時になると、決まって目が覚めるんです」
これは東京芸大声楽家の学生だった十代の終りから、夜中のほうが勉強の能率が上がるので身についた習慣だ。
「今は、仕事の電話がこなくてもっと能率が上がります。この時間に私は指揮や操縦の勉強をするのです」
指揮をするには、楽譜をすべて暗記して頭の中に入れてしまわなくてはいけない。何度も読んで、間違いのないように覚えていく。
操縦のほうは、ライセンスを取るために学科試験がある。だからこれも、本を読んで頭に入れていく必要がある。
「そういう勉強を、午前4時半ごろまでやります。終わると再びベッドに入り、6時半まで眠ります」
夜11時就寝として、“分割払い”の睡眠の合計は5時間。
「でも眠りが深いですから、だらだら8時間寝るよりよほど合理的だと思っています。ただ、ほかの人に合うかどうかわかりませんから、すすめるつもりはありませんがね」
*
その大賀さんが95年2月、社用機でニューヨークへ出張した。むろん、こういうときはパイロットがついている。
帰途社用機は、給油のためにアラスカのアンカレッジに立ち寄った。いったん降りて待合室にいると、空港職員がやってきて、いった。
「ミスタ・オオガ。お願いがあるのですが」
「なんでしょう?」
「じつは、これなんです」
30センチほどの、薄茶色のキツネの縫いぐるみを、職員は差し出した。
「アメリカの8歳の女の子が、この縫いぐるみを世界旅行に出したのです。手伝ってやっていただけませんか」
「ほほう」
*
縫いぐるみは肩からカバンを下げていて、中にノートが入っている。
その最初のページに子供の字で、Passport to the world!と書いてある。
縫いぐるみのパスポートというわけだ。続いて、
「私の名はフォクシーです」
と縫いぐるみの自己紹介があり、
「私を旅に出したのは、アリソンちゃんです」
アリソンちゃん自身の写真と、手紙、アドレスも入れられていた。
それによると彼女は、ワシントン州ナッセルの小学校3年生。
フォクシーを知人に託して旅行に出し、行った先でまた別の人の手に渡してもらって、リレー式につぎつぎ知らない土地を旅させよう、というのだった。
「どうかフォクシーが訪ねた土地や、見た景色のことを、ノートに書いて下さい。写真つきだともっといいんだけど……」
たぶんアリソンちゃんは、まだ自分の故郷の町から遠くへは行ったことがない。それで、フォクシーに代わりに世界のあちこちを見てきてもらおう、と考えついたのだ。
フォクシーは94年11月の初めに、ナッセルを出発していた。
まずカリフォルニへ行き、ついでフロリダへと、アメリカ国内を回っていることが、ノートの記録からわかる。
「そうやって十人ぐらいの人の手に抱かれて旅をし、95年2月にアンカレッジに着いたばかりだったのです」
素晴らしい旅の計画だ、ぜひアリソンちゃんとフォクシーのために成功させてあげたい、と思った大賀さんは、空港職員にいった。
「お引き受けしました。まず日本へ連れて行き、そこから世界一周ができるよう計らいます」
*
東京へ帰った大賀さんは、アリソンちゃんにあてた手紙を、ノートに書いた。フォクシーが綴ったかたちで。
アリソンちゃん、ぼくが今どこにいると思う? 東京だよ、日本の! ソニーの会長室で、たくさんの女子社員に抱かれたり、握手されたりで、すごく忙しい……」
「富士山を背に遊んでいるようなハイテク合成写真を撮ってもらったから、送るよね。会長さんからアリソンちゃんにプレゼントもあるんだ。クレジットカードみたいに薄くてちっちゃなラジオだよ!」
ソニー社員の家で泊めてもらったり、1週間ほど東京で過ごしたフォクシーは、シンガポールへ赴任する社員に連れられて飛行機に乗った。
そこから今度は、ヨーロッパに出張する駐在員に抱かれてロンドンへ。
そして、アメリカへ行く社員に託され、ぐるり地球を一周して故国へ戻ることになった。
*
5月に大賀さんは、またニューヨークへ行った。
ソニーのオフィスへ入ると、なんとそこにあの縫いぐるみが、ちょこんと坐っているではないか。
「やあ、フォクシー! 奇遇だなあ」
駐在員たちが気をきかせて、再会を演出したのだった。
「それにしても、故郷を出てもう半年だ。そろそろ帰ってくるころ、と、アリソンちゃんが待っているんじゃないか」
アメリカへ帰ったからには、もうソニーの手を離れてもいいだろう。
フォクシーは、ワシントン州出身のニューヨークの大学生に渡された。
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10月になって、東京の大賀さんにアリソンちゃんから手紙が届いた。
「フォクシーが帰ってきました! そして、彼のノートから、旅の間すっかりミスター・オオガにお世話になったことを知りました。ありがとうございました……」
「私は農場に住み、5頭の犬と、4頭の山羊を飼っています。馬も大好きです。音楽が好きでピアノを弾きますし、絵を描くのも好きです」
アリソンちゃんの手紙には、彼女の描いた馬の絵がつけられていた。
「祖父と祖母は、日本へ行ったことがあります。私も行ってみたいです。クレジットカードかしら、と思うようなラジオも、ありがとうございました」
手紙の終りに、彼女のサインと並んで縫いぐるみのフォクシーの足型が押してあった。
「フォクシーは最後に、アメリカのある大学総長から郵送でアリソンちゃんに届けられたそうです。少女の夢を支えてあげようとする人たちが、たくさんいたんですね。私もその一人になれたことが、とてもうれしいんです」