電脳筆写『 心超臨界 』

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( ヘラクリトス )

不都合な真実 《 「親書書き換え事件」――乾正人 》

2024-08-14 | 05-真相・背景・経緯
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「親書書き換え」事件以来、安倍外交は「親中」路線に舵を切り、仕上げが、習近平の「国賓訪日」だった。しかし、そのために、コロナ対応を遅らせることになった責任を問う声は、官邸のどこからも出ていない。


◆谷内正太郎という男

『官邸コロナ敗戦』
( 乾正人、ビジネス社 (2020/5/2)、p51 )

「最後の国士外交官」といわれた初代国家安全保障局長、谷内(やち)正太郎が、ひっそりと首相官邸を去ったのは、首相が習近平に国賓としての訪日を招請してからわずか2カ月半後の令和元年9月13日のことである。

谷内は、第一次安倍政権のとき、麻生太郎外相のもとで外務事務次官を務め、「価値観外交」を立案、推進した。

価値観外交とは、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済といった「普遍的価値」を共有する国々と連帯、あるいは支援していこうという外交である。

それを具現化したのが、「自由と繁栄の弧(The Arc of Freedom and Prosperity)という概念だ。簡単に言えば、日米同盟を基軸に、インドや東南アジア諸国連合(ASEAN)、中央アジア諸国の一部と組んで事実上の中国包囲網を敷こうという日本外交としては珍しく野心的なプランだった。

第一次安倍政権が、参院選敗北と首相の病によってあっけない終幕を迎え、あとを継いだ福田康夫政権は中国に軸足を移す「親中外交」に舵を切り、谷内もほどなく事務次官を退任した。「価値観外交」はいったん不完全燃焼で終わらざるを得なかった。

「価値観外交」が息を吹き返したのは、民主党政権が倒れ、安倍晋三が「奇跡の復活」を成し遂げて第二次政権を発足させた平成24年暮れのことである。

安倍は、既に役人生活を終えていた谷内を内閣官房参与として呼び戻し、初外遊先にベトナム、タイ、インドネシアというASEANの有力国を選んだ。

まさに「自由と繁栄の弧」を形成する3カ国であり、安倍は次の5項目からなる安倍ドクトリンを発表した。

・自由、民主主義、基本的人権等の普遍的価値の定着および拡大に向け
 て、ASEAN諸国とともに努力していく

・「力」ではなく「法」が支配する自由で開かれた海洋は公共財であり、
 これをASEAN諸国とともに全力で守る。米国のアジア重視を歓迎す
 る。

・さまざまな経済連携ネットワークを通じて、モノ、カネ、ヒト、サー
 ビスなど貿易および投資の流れを一層すすめ、日本経済の再生につな
 げ、ASEAN諸国とともに繁栄する。

・アジアの多様な文化、伝統をともに守り、育てていく

・未来を担う若い世代の交流をさらに活発に行い、相互理解を促進する。

そして、平成26年正月、日本版NSCと呼ばれ、鳴り物入りで新設した国家安全保障局の初代局長に谷内を据えたのである。

そこまで安倍が信頼を寄せた谷内はどんな人物なのか。

(中略)

本人曰く、モラトリアム人間のはしりで、大学(東大法学部)の4年間で進路を決められず、大学院に進学したはいいが、指導教官2人がそろって長期入院し、まったく教えてもらえなかった。そこで大学院2年生のときに方向転換し、外務省を受けたものの不合格になり、翌年合格した。このころの外務省キャリア組は東大か京大の3年生で合格し、中退して入省する者が結構多く、一人老けていたという。

そんな省内で異端だった彼が、事務次官にまで上り詰めたのは、実力もさることながら北朝鮮による日本人拉致事件の影響もまた大きい。平成17年1月の人事で、ときの小泉純一郎首相は、小泉電撃訪問の功労者である田中均外務審議官を充てようとした。

前出の高橋記者によると、これに強く反対したのは当時、自民党幹事長代理を務めていた安倍晋三である。北朝鮮寄りとみられていた田中を事務次官に起用すれば、拉致問題は北朝鮮ベースで幕引きされると危惧したのだ。それでも小泉が意見を変えないとみるや、安倍は外相だった町村信孝、それに小泉が閣内で唯一、言うことを聞いた総務相だった麻生太郎とタッグを組み、ついに撤回させた。代わりに3人が推薦したのが、北朝鮮強硬派で官房副長官だった谷内で、小泉も受け入れた。つまり、小泉訪朝と安倍・麻生のタッグがなければ、谷内次官は誕生しなかったのである。

それほどまでに安倍―麻生―谷内ラインは強固だったが、米国第一主義を掲げ、国際協調などくそ食らえという態度を露骨に示すトランプ米大統領が登場すると、「価値観外交」に陰りが見え始めた。しかも政権発足当初、トランプは習近平を褒めあげていた。このままでは、日本を外した米中蜜月もあり得る、バスに乗り遅れないよう日中関係の「正常化」こそ急務だ、と危機感を抱いていたのが首相秘書官の今井尚哉だった。

◆北京での「親書書き換え事件」

第二次安倍政権で、初代の国家安全保障局長となり、外交・安全保障の司令塔となった谷内だが、「安倍一強」体制が固まるにつれ、「影の総理」と呼ばれるようになった今井首相秘書官が、外交分野にも影響力を行使し始めたのもこのころだ。突き詰めれば中国包囲網の側面をもつ「価値観外交」からの転換に動き出したのだ。

象徴的だったのが、平成29年に起きた「親書書き換え事件」である。

この年の5月、中国を訪問した自民党の二階俊博幹事長は、安倍首相の親書を携えて中国の習近平国家主席と面会したが、この親書が幹事長に同行した今井によって肝心な部分が書き換えられた、というのである。

そもそも自民党幹事長の外遊に首相秘書官が同行するのは、極めて異例である。当時は「安倍がお目付役として今井をつけた」という情報が流れたが、実際は二階が首相に頼み込んで今井を同行させることになったのが、真相だ。

今井は、二階が経産大臣を務めたとき、大臣官房総務課長として仕えた。作家の大下英治は二人の関係をこう活写する。

「(二階は)中国とのパイプは、日本の政治家で一、ニを争うといっても過言ではない。国内で力があるだけに外交力も発揮できる。この時、今井は感じたのである。『外交力とは、結局、内政力である』こうして二階は、今井が常に意識し、頼りにする政治家となったのである」(『ふたりの怪物 二階俊博と菅義偉』より)

首相の親書は、外交上重要な文書で、それまで安倍政権では最終的に谷内がチェックしていた。

関係者によると、書き換えられたのは、政治問題となっていた中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関するくだりだ。谷内の承認を得ず、日本が参加することに前向きな表現が、二階の意向を受けた今井によって、盛り込まれたという。

AIIBは、中国が推進する「一帯一路」を金融で支える尖兵の役割を果たしており、「価値観外交」を推進する谷内は、「中国の覇権拡大につながる」と参加に絶対反対の立場だった。

対する今井は、「一帯一路は日本企業にも利益になる。日本も積極的に協力すべきだ」という二階の主張を全面的に支持していた。欧州各国も次々と参加を表明しつつあったAIIBにも「バスに乗り遅れるな」というわけだ。

書き換えを知った谷内は激怒し、「こんなことじゃあ、やってられません」と辞表を首相のたたきつけたとされる。結局、安倍の慰留によって職にとどまったが、谷内と今井の関係が修復することは二度となかった。

谷内が中心となって進めてきた北方領土返還交渉も暗礁に乗り上げた。父の安倍晋太郎がなし得なかった日露平和条約締結をなんとしても成し遂げたい安倍は、次第に鈴木宗男らが唱える実質的な「二島返還論」に与(くみ)するようになり、ついには官邸を去ることになった。いまや「価値観外交」「自由と繁栄の弧」もすっかり死語と化してしまった。

谷内の後任には、警察庁出身で内閣情報官を務めていた北村滋が起用された。

初代国家安全保障局長ポストをめぐっては、警察庁と外務書、それに安全保障の本家である防衛省が食指を動かし三つどもえ争いになったが、省庁間のパワーバランスでいまだ劣勢の防衛省は早々と降りた。警察庁と外務省の一騎打ちとなり、最終的に安倍は、谷内に軍配を上げたが、6年近くの歳月を経て警察庁が巻き返した格好だ。

北村は内閣情報官として首相執務室に足繁く通い、安倍の信頼を獲得しつつ、谷内と対中政策や日露交渉で対立を深めていた今井ともタッグを組んで念願のポストを掌中にした。

「日本版NSCは、谷内時代とがらりと変わるだろう。外務省の出番はますますなくなる」と、元外務省高官は嘆く。

「親書書き換え」事件以来、安倍外交は「親中」路線に舵を切り、仕上げが、習近平の「国賓訪日」だった。しかし、そのために、コロナ対応を遅らせることになった責任を問う声は、官邸のどこからも出ていない。
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