電脳筆写『 心超臨界 』

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( ブリガム・ヤング )

悪魔の思想 《 竹内好――シナ人の現実主義すら判らない竹内好の戯言/谷沢永一 》

2024-05-22 | 04-歴史・文化・社会
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竹内好は、現代シナ文学の研究者として虚名を売ることには見事に成功しました。もともとシナの古典を研究せず、シナの歴史も勉強しないで無学そのものの人でしたから、シナ学における肝心カナメのことが一向にわかっていませんでした。すなわち、長い伝統につちかわれたシナの国民性、平たく言えば、シナ人の根性についての理解です。そのため、多少とも本筋にシナを研究したほどの人なら一笑に附したであろうような頓珍漢を、平気で公言したものです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p217 )
日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好(たけうちよしみ)への告発状
第9章 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

  竹内好(たけうちよしみ)
  明治43年生まれ。東京帝大卒。専門は中国近代文学・慶大講師、
  都立大教授を歴任。シナに仕える筋金入りの反日的日本人。昭和
  52年没。

  魯迅を論じたり訳したりしただけで、ただそれだけのけちくさい“
  学識”で、シナの事は何でも知っているという顔をした鉄面皮な竹
  内好は、3千年のシナ文明史をなにひとつ勉強していないのですか
  ら、その劣等感(コンプレックス)の裏返しとして、現代シナをひた
  すら持ち上げ神聖視する戦術に出ました。そして毛沢東政権のもと
  シナは美しく立派な尊敬すべき国となっているのに反して、日本は
  愚劣な卑しむべき国であると言い募る一点張りで通しました。


9-5 シナ人の現実主義すら判らない竹内好の戯言(たわごと)

竹内好は、現代シナ文学の研究者として虚名を売ることには見事に成功しました。もともとシナの古典を研究せず、シナの歴史も勉強しないで無学そのものの人でしたから、シナ学における肝心カナメのことが一向にわかっていませんでした。すなわち、長い伝統につちかわれたシナの国民性、平たく言えば、シナ人の根性についての理解です。そのため、多少とも本筋にシナを研究したほどの人なら一笑に附したであろうような頓珍漢を、平気で公言したものです。

  ロシアと中国の両方が手を結ぶことによって、共産主義者が尖鋭に
  出していた欠陥が、いくらかおだやかになる可能性が将来あると思
  うし、また現にそれが見えていると思う。そしてそれは平和を強め
  る傾向だと思うわけです。
      (昭和32年4月『世界』〈討論〉「現代革命の展望」(一))

この妄言には今さらなんの注釈をつける必要もありますまい。吉田茂は、安東、天津、奉天の総領事を歴任し、怠りなくシナ人の心性を研究していましたので、北京政府が成立した時から、早くもロシアとシナの対立を予言していました。竹内好はシナ好きのシナ知らずだったわけです。また昭和46年には次のように確信を以て記しました。

  私は、結論だけ申しますと、日中韓の国交回復は不可能だと思いま
  す。
          (昭和46年10月『世界』「尻馬には乗れない」)

なにが「不可能」なものですか。この断言から満1年も経たない翌年の昭和47年9月、北京で、かたや田中角栄首相と大平正芳外相、かなた周恩来首相と姫鵬飛(きほうひ)外相、両者によって国交回復が表明されました。シナ人の現実主義をすら解しない竹内好の戯言(たわごと)には、むしろ哀れを覚えさせるものがあります。

シナ文化の受容を「隷属」と呼ぶ侮言(ぶげん) へつづく
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