電脳筆写『 心超臨界 』

どんな財産も誠実にまさる富はない
( シェークスピア )

まっすぐ歩いてゆくしか生きる道はない――紀野一義

2024-05-25 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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紀野一義さんの遺伝子には、紀一族の持つ詩人的性格といくさ人の血が受継がれているという。学徒兵の銃剣術訓練の時に、紀野さんの戦士の遺伝子がオンになる。その後、命のやりとりのどたん場に追いつめられた紀野さんが知ったのは、「ぎゃあてい、ぎゃあてい」と唱えながら険しい道をゆくしかないという世界だった。


◆まっすぐ歩いてゆくしか生きる道はない――紀野一義

『人生は捨てたもんじゃない』
( 紀野一義、PHP研究所、p52 )

紀一族は代々、将軍と詩人を輩出している。東京大学に入って白山上の寮に下宿した私が、白山上の角にあった小さな、詩書のみを扱う古書店に入り浸って、三度の食を節してまで詩書を購入し沈溺したのは一族の持つ詩人的性格によるものであり、軍隊に入って剽悍な戦士に変身していったのは、一族の持つもう一つの面、いくさ人(にん)の血に目覚めたからに他ならない。

戦士への変身のきっかけは、銃剣術の訓練の時に始まった。戦場帰りの死に損ないの軍曹が本身の銃剣で私たちを鍛えた。敵だと思って遠慮せず突け、という。そんなこといったって相手は軍曹で銃剣術の名手、本気で突けるわけがない。どうしても遠慮するから、へっぴり腰になる。腰がついていかない刺突ぐらいあわれなものはない。あっというまに銃剣を刎ねあげられ、余勢を駆って銃の床尾(しょうび)板が私たちのあごを直撃し、失神することになる。

私の後にいた津田幸男は一撃で倒れた。余りに真に迫っていたので軍曹は津田が軍曹をおちょ食ったものと勘違いし、殴り、突き飛ばし、津田は本当に失神してしまった。私は猛烈に腹が立ち、「軍曹もう一遍やらしてください」と叫んでしまった。軍曹の眼が吊り上り果たし眼になった。「いいだろう、掛かって来い」私は一瞬のうちに殺し屋の心境になった。このままじゃ、学徒兵たちは半殺しにされてしまう。ようし、やってやろうじゃないか。私は本気で突き刺す気になった。右の肩を突いてやる。腕には少々自信がある。さっきは遠慮して殴り倒された。手の内は見えている。本気でやる気なら負けはせぬ。私の後に誰か立っている。私がやられたらすぐに挑む気で、うっそり立っている。殺気が私のうなじに冷たく吹きつけてくる。こいつもやる気だなと思った。泉三吉は国士舘の学生で剣道四段、私よりももっと手強いだろう。他にも続きそうな奴が動き始めている。軍曹は我知らず学徒兵たちの戦気を呼びさましたのだ。

突然、軍曹は一間ほど飛び退った。「貴様、本気で刺す気だな」「敵だと思って本気で刺せといったでしょうが」「この野郎」軍曹はしばらく私を凄い眼で睨んでいたが、急に銃剣を引いた。「これまでだな。これじゃ命がいくつあっても足りねえな。やめた、やめた」「軍曹」「なんだ」「学徒兵をなめんで下さい。わしらは戦士だということを忘れんで下さい」「分かったよ、これからは戦友として扱ってやる」その日から軍曹の態度はがらりと変わった。そして、私自身も変わった。戦士、いくさ人(にん)に変身した。

企業戦士という言葉はあるが、戦士というからにはいくさ人、自分の仕事のためにいつ命を捨ててもいいという気に、どれくらいの人がなっているであろうか。やがて私は工兵の将校に任官し、フィリピンのレイテ戦線に送られることになる。命のやりとりのどたん場に追いつめられることになる。そこで知ったのは、「ガテー ガテー パーラーガテー パーラーサンガテー」しかないという世界だった。「行きて、行きて、彼岸に行きて、彼岸に完全に行きて」という世界だった。腹をくくって、まっすぐ歩いてゆくしか生きる道はないという世界だった。
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