電脳筆写『 心超臨界 』

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( パール・バック )

日本史 古代編 《 光明皇后はセイント・コーミョー――渡部昇一 》

2024-08-16 | 04-歴史・文化・社会
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光明皇后はすでに天平の昔に悲田院(ひでんいん)やら施薬院(せやくいん)を建て、1000人の垢(あか)を洗おうという願を立てられたのである。その1000人目の癩病患者が膿(うみ)を吸ってくれるよう願ったのでそれを吸ってあげられた。すると、その病人はただちにアシュク仏(如来の一種)となって空中に消えたという。これは伝説であるが、癩病院を建て、自らその患者の世話までなさったことまでは事実である。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p176 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(4) 「カミ」と「ホトケ」の共存共栄

◆光明(こうみょう)皇后はセイント・コーミョー

「光明皇后会」という財団法人のことを知っておられる方は少ないと思うが、その役員には坂口謹一郎(きんいちろう)、堀一郎、宮本正尊(しょうぞん)、姉崎正治、賀川豊彦、徳川義親(よしちか)というような、いろいろな宗教的立場のそうそうたる人たちが顔をそろえていた。その推進力になっていたのが有窓子(ゆうそうし)杉田英一郎氏である。有窓子は、故岩下壮一神父によってカトリックに改宗した人であるが、その人が光明皇后会を作ったというのが面白い。

では、光明皇后(第45代聖武天皇の皇后)と岩下神父の共通点はどこにあるかといえば、それは救癩(らい)ということである。今の若い人々にこそ癩病といってもピンとこないらしく、ガンのほうがずっと恐ろしいもののように思われているが、少し前までは、それは地方によっては「ドス」などと言われ、一人でも家族にこの病人が生ずれば、その一族は「ドスのマキ」などと言われて、不可触賤民のごとく扱われたものであった。

岩下神父は財界の巨頭岩下清周(せいしゅう)の長男に生まれ、明治の最後の年に東大哲学科を卒業して、七高教授、そして文部留学生として渡欧し、神父になって帰国された人である。学生のころより英俊の誉れが高く、東大に帰ってくるよう予定されていたという。この人が御殿場の癩病院の院長として患者と起居をともにされるようになったことは、その才能と学識を知る人には、一つの驚異であった。

一方、光明皇后はすでに天平の昔に悲田院(ひでんいん)やら施薬院(せやくいん)を建て、1000人の垢(あか)を洗おうという願を立てられたのである。その1000人目の癩病患者が膿(うみ)を吸ってくれるよう願ったのでそれを吸ってあげられた。すると、その病人はただちにアシュク仏(如来の一種)となって空中に消えたという。これは伝説であるが、癩病院を建て、自らその患者の世話までなさったことまでは事実である。

さらに伝説を一つ加えておけば、インドの見生王(けんしょうおう)が、生きた観世音菩薩に会いたいという願を立てたところ、「当方の光明皇后を見よ」というお告げを得たので、問答師という彫刻家をはるばる来朝させ、皇后をモデルに三体の仏像を彫らせた。そのうちの一体は、今でも皇后がお建てになった法華(ほっけ)寺に残っているし、薬師寺の吉祥天(きっしょうてん)の像も皇后をモデルにしているという。この辺、事実と伝説が絡まり合っていて断ちがたいが、皇后の人となりを示すには十分である。

このような献身的な信心行為に関連して、超自然的現象の伝説、つまり奇跡の話がいくつか生まれた場合、カトリックではその伝説の中心人物は、たいてい聖人にされている(現在では審査基準がむずかしくなっている)。この流儀でいえば光明皇后は、セイント・コーミョーなのである。そして千何百年前もの人物の行為を記念するために財団法人を組織するというのは、カトリックの修道会と似た精神である(こっちのほうは宗教法人になるが)。

カトリックの杉田有窓子が仏教徒の光明皇后のために働くというのはおかしいようだが、カトリックの聖人崇拝とか修道会とかに、そのセンスが通じているのだろう。
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