電脳筆写『 心超臨界 』

あなたが犯す人生最大の過ちは
過ちを犯すことを常に恐れることである
( エルバート・ハッバード )

日本史 昭和編 《 「爆弾」を抱えていた大正デモクラシー――渡部昇一 》

2023-11-28 | 04-歴史・文化・社会
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組閣の命令は首相になる人に下り、その人が他の大臣を人選するのであるから、他の大臣についてはあまり問題はないのであるが、軍部の大臣は、つねに内閣の爆弾であった。いつ爆発するかわからない。上原勇作のような陸・海軍の大臣がいつ出てくるかわからない。とりあえず、木越安綱の英断で爆発の危険性は少なくなったものの、その可能性がなくなったわけではない。本当に大丈夫にするには爆弾の信管を抜くこと、つまり、陸・海軍の大臣が民間人でもよいという規定を作ることである。さすがの山本権兵衛も、そこまで考えなかった。


『日本史から見た日本人 昭和編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p61 )
1章 総理なき国家・大日本帝国の悲劇
――「昭和の悲劇」統帥(とうすい)権問題は、なぜ、起きたか
(2) なぜ、議会制民主主義は崩壊したか

◆「爆弾」を抱えていた大正デモクラシー

上原陸相事件は明治憲法の欠陥を、はしなくも暴露した事件であり、それが修復されたのは、議員たちの護憲運動と、山本権兵衛首相の英断と、原敬らの説得力と、木越安綱の滅私奉公の精神によるものであった。

そして、この山本内閣の決断が、大正デモクラシーという、戦前の短い民主主義的政党政治の時代の幕を切って落とすことになった。昭和5年(1930)、統帥権干犯問題が起こるまで、日本の政治家たちは、まがりなりにも軍部の暴走を抑えることができていたのである。

それは、文民統制(シビリアン・コントロール)と軍部優越との覇権争いであった。別の言葉で言えば、それは立憲主義(コンスティチューショナリズム)と軍国主義(ミリタリズム)の対立であった。立憲主義は、憲法の下で成立した政府が政策決定の実権を握ることであり、軍国主義とは、軍の意向が政府の上にあることである。

この意味において、ビスマルク(ドイツ宰相、1898年没)死後、第一次欧州大戦終了(1918年)までのドイツは軍国主義の色彩が強く、ヒトラーの政権下のドイツは軍国主義ではない。

ヒトラーは職業軍人であったことはなく、ナチスという政党の党首として政権を握り、軍を支配していたからである。スターリン治下のソ連についても同じことが言われよう。軍備は巨大でも軍国主義ではない。国家の最高意思決定が軍の意向に左右されるのが軍国主義である。イギリスの海軍はいかに巨大であっても、イギリスが軍国主義と呼ばれたことはなかった。国の政策は海軍によらず、イギリス海軍はいつも議会と政府の支配下にあったからである。

日本は立憲君主政治ではあったが、首相は憲法に明記された機能を持たず、わずかに内閣官制の中で「各大臣の首班」であるにとどまり、各大臣は天皇直結の形であった。

とは言っても、具体的には組閣の命令は首相になる人に下り、その人が他の大臣を人選するのであるから、他の大臣についてはあまり問題はないのであるが、軍部の大臣は、つねに内閣の爆弾であった。いつ爆発するかわからない。上原勇作のような陸・海軍の大臣がいつ出てくるかわからない。とりあえず、木越安綱の英断で爆発の危険性は少なくなったものの、その可能性がなくなったわけではない。

本当に大丈夫にするには爆弾の信管を抜くこと、つまり、陸・海軍の大臣が民間人でもよいという規定を作ることである。

さすがの山本権兵衛も、そこまで考えなかった。とりあえず、陸・海軍の大臣・次官の任命資格から現役という制限を抜くことに成功したのであったが、これでも不充分なことは、この山本内閣の直後に起こった。

それは、シーメンス事件という海軍の汚職事件が思いがけず起こったため、山本内閣が倒れたことによる。海軍の高級将校たちが、シーメンス社やアームストロング社から、建艦に当たって巨額のリベートをもらっていたことが発覚した。当然の結果として、内閣は――特に、海軍出身の首相である山本内閣は――総辞職となった。大正3年(1914)の春のことである。
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