電脳筆写『 心超臨界 』

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不都合な真実 《 中国共産党の顔色を見るな――乾正人 》

2024-09-21 | 04-歴史・文化・社会
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中国に全面的に依存した経済システムは、もろくも武漢コロナウイルスによって崩壊した。この事実から目を背けるべきではない。中国共産党の一党独裁に起因するチャイナリスクは厳然と存在する。心ある日本の政財界人よ。二度と再び中国共産党の顔色を見るな。人間としての誇りがあるならば。


◆中国共産党の顔色を見るな

『官邸コロナ敗戦』
( 乾正人、ビジネス社 (2020/5/2)、p150 )

武漢コロナウイルスで忘れてならないのは、中国共産党の一党独裁体制が、ウイルス禍が武漢で発生したときに地方政府ぐるみの情報隠蔽を招いて、対策を遅らせ、それがゆえに全世界に被害をばらまいたという厳然たる事実である。

トランプ米大統領は「もし中国政府がもっと早い段階でウイルスの存在を認め、拡散防止を行っていれば、このような事態は防げた」と述べたが、まさしく正論である。

1949年(昭和24年)の中国人民共和国建国以来、中国共産党の一党独裁体制は70年以上も連綿として続いてきた。

なぜ、こんな当たり前なことをわざわざ書いたかと言えば、中国が「民主主義国家」だと思い込んでいる国会議員が、いまだにいるからである。

民主党政権で総務大臣まで務めた原口一博衆院議員は、「中国は民主主義国家です。一党独裁ではないかという私の問いに(中国側は)共産党一党独裁ではない、他に6(党)あると答えてくれました。彼らにも人権を守る姿勢があります」(令和2年1月17日)とツイートした。

そもそも共産党以外に中国で認められている政党は、中国民主同盟、中国農工民主党など8あり、6ではない。

ただし、いずれの政党も綱領で「共産党の指導を受け入れる」ことが明記されている。いわば共産党の「衛星政党」であって共産党の指導下にある。ゆえに、原口議員に「6ある」と親切に教えてくれた中国の偉いさんでさえ、数を間違うほど、影が薄い。

原口議員の名誉のために付け加えると、いまやベテラン議員となった彼には、鄧小平(とうしょうへい)が最高実力者のとき呼号していた「改革開放」路線のイメージが残っていたのかもしれない。

鄧小平は、毛沢東が死去し、毛夫人の江青ら四人組が追放された後に実権を握ると、「改革開放」路線を掲げ、「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫はいい猫だ」という実利主義、「先に豊かになれる者から富ませる」という先富論を唱えた。

あたかも中国が「改革開放」路線によって資本主義を採り入れ、民主化に向かうのではないか、という錯覚を西側世界に与えたのである。とりわけ、日本の政財界人は、昭和53年に来日した鄧小平を大歓迎し、中国の近代化路線を強力に後押しした。

しかし、鄧小平が推進した「改革開放」は、まやかしの代物だった。

毛沢東が主導した文化大革命によって壊滅的打撃を受けた中国経済を立て直すために西側諸国に「改革」イメージを振りまいて資金と技術協力を引き出し、安価な労働力を武器として中国を世界の工場にしようという「富国強兵」策に過ぎなかったのだ。

もちろん鄧小平自身には、共産党の一党独裁体制を変え、民主化路線に舵を切るつもりは、さらさらなかった。

それが明確になったのが、1989年(平成元年)6月4日の天安門事件である。

民主化を求める学生や市民たちが天安門広場を占拠し、一党独裁体制崩壊の危機に立たされた鄧小平は、鎮圧のため躊躇なく人民解放軍を出動させ、無防備な学生や市民に容赦なく銃弾を浴びせた。正確な死傷者数はいまだに明らかにされていない。

即座に欧米は、中国に厳しい経済制裁措置をとり、日本も右へ倣えして円借款供与を停止した。

将来性豊かな中国の市場に目がくらんでいた日本の経済界は、一刻も早く円借款の再開と制裁解除を女性スキャンダルで短命に終わった宇野宗佑政権を継いで誕生した海部俊樹(かいふとしき)政権に強く要望した。

ときの海部政権は、中国と太いパイプを持っていた竹下登元首相が実質的に率いていた経世会の強い影響力下にあった。早い話が、パペット(操り人形)政権だったのである。

竹下の強い要請もあって海部首相は、天安門事件以後、西側諸国首脳として初めて訪中し、円借款を再開した。アメリカをはじめとする西側諸国は、ほどなく経済制裁を解除し、日本に右へ倣えした。

中国の驚異的な経済成長は、海部訪中が起点となったのだ。

しかし、その歴史的事実を中国が恩に着ているそぶりはまったくない。

中国とまったくつきあわずに、日本経済が成り立つかと言えば、答えはノーである。

とはいえ、第5章で指摘したような中国に全面的に依存した経済システムは、もろくも武漢コロナウイルスによって崩壊した。この事実から目を背けるべきではない。

中国共産党の一党独裁に起因するチャイナリスクは厳然と存在する。

心ある日本の政財界人よ。二度と再び中国共産党の顔色を見るな。人間としての誇りがあるならば。
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