電脳筆写『 心超臨界 』

計画に失敗すれば、失敗を計画したことになる
( アラン・ラケイン )

バカの壁を突破するものは何か。決まっている。脳に磨(と)がれた知恵の槍である――池田晶子さん

2010-10-26 | 03-自己・信念・努力
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『41歳からの哲学』
【 池田晶子、新潮社、p86 】

新潮新書、養老孟司氏の『バカの壁』がよく売れている。

私も読んでみた。いつも通りに面白い。言われていることはいつもと同じなのに、なぜ本書はとくによく売れているのか。

言うまでもなく、タイトルの力である。「バカの壁」、これがウケた。誰にも心当たりがある。自分の中にあるのではない。他人の中にそれを見る。そこがバカ受けしたのである。

「話せばわかる」なんて大ウソだと書いてある。折しも世界では、テロ、戦争、民族・宗教間の紛争が絶えず、日常では、アイツやコイツと話が合わない。知りたくないことに耳を貸さない人間に話が通じないという経験は、誰にも心当たりがある。そして、話が通じないのは、相手がバカだからだと、誰もが思っている。

誰もが腹立ちとともにそう思っているその経験、その原因を、この解剖学の先生は、「脳」だと言った。それは脳への入力、出力の問題として説明できる。話が通じないのは、脳の中に、バカの壁があるからだと。

「脳」と言われると、きょうびの我々は、誰もが天から納得する、わかったと思う。「遺伝子」や「素粒子」と同じくらい、それは、現代人がその前にひれ伏す強力な呪言である。脳を開ければ心が出てくると、本気で思っているのだから、文字通りこれは魔術であろう。

しかし、たまには自分で考えてみるといい。脳を開いて、そこに心が見えるかどうか。見えるのは、灰色をしたあの物質の塊であって、心なんぞはどこにも見えない。当然である。心というのは、もとより見えるものではないからである。心というは、感じるものであって、目に見えるものではないからである。

なるほど、目に見える脳の、目に見えない働きが心だという説明の仕方はできる。しかし、だからと言って、目に見えないものが感じているというこのこと自体の謎が、謎でなくなるわけではない。説明は説明であって解明ではない。脳で説明して、いったい何がわかったというのか。

養老氏の言説は、いつも、それ自体がからくり構造となっているということに注意しなければならない。すべては脳から説明できる。社会も世界も脳が作り出したものだからだ。しかし、社会や世界を作り出したその脳は、人間が作り出したものではない。それは自然が作ったものだ。自然は人間の理解を超えている。わかってわかるわけがない。「脳」という前提は、説明のためのトリックである。これに気がつかなければ、我々はいつまでも、氏の言説に騙されたままである。当該書の中でも書いている。

「常識」というのは、知識があるということではなく、「当たり前」のことを指す。ところが、その前提となる常識、当たり前のことについてのスタンスがずれているのに、「自分は知っている」と思ってしまうのが、そもそもの間違いだ。

したがって、というまさにそのことについて言っていることこの本が、ベストセラーになっているという現象について、おそらく氏はこう思っている。私の本なんぞを読んでわかったと思うお前がバカなのだ。騙されるのがバカなのだ。バカの壁は自分で築いている。私のせいではない。

氏の憮然とした表情が見えるようである。

じっさい、氏には騙すつもりなどまったくないのである。なぜなら、「話せばわかるなんてのはウソだ」と言いながら、じっさいにこんな本を書いて出しているのだからである。もし本当にそう思っているのなら、こんな本を出すはずがないではないか。人に向かって話をするはずがないではないか。

人に向かって話をするのは、それでも話せばわかると思っているからである。騙されてはいけない。これは常識である。

まあ、誤解も理解のひとつだと言えば、言えなくはない。バカの壁は、とにかく厚い。それなら、これを突破するものは何か。決まっている。脳に磨(と)がれた知恵の槍である。

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