電脳筆写『 心超臨界 』

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( ラリー・エルダー )

東京裁判はインチキ 《 なぜ、石原莞爾は被告にならなかったか――渡部昇一 》

2024-05-23 | 04-歴史・文化・社会
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巷間(こうかん)伝わるところによれば、将軍は「もし証言台に立てるのであれば、裁判官や検事たちに堂々と“日本の言い分”を述べてやるのだが」という趣旨のことを語っておられたという。石原莞爾といえば、日本陸軍最高の理論家と言われ、欧州戦史を独自分析して『最終戦争論』という本を書いた人である。おそらく、将軍が東京裁判に出廷していたら、その当時の日本が置かれていた国際情勢から説(と)き起こして、日本の立場を説明してくれたのではないか。もちろん、もし、そんな証言がされれば、連合国はたいへん困ったことになったであろう。


◆なぜ、石原莞爾(かんじ)は被告にならなかったか

『かくて昭和史は甦る』
( 渡部昇一、クレスト社 (1995/05)、p21 )

この東京裁判を思うとき、私にはかならず思い出されることがある。それは、あの満州国建国の中心的存在として知られる石原莞爾(いしはらかんじ)将軍の話だ。

たまたま石原将軍は、私と郷里が同じで、旧制中学でも将軍は私の先輩に当たる。だから、子どものころから将軍の話はよく聞かされたものである。

その石原将軍が、敗戦後、郷里に隠棲されることになった。なにしろ、田舎(いなか)のことであるから、将軍の日常生活について、私もいろいろな噂を聞いた。中学の同級生の一人は石原将軍の結成した東亜連盟の会員であり、私の姉の一人もどういうわけか敗戦直後、東亜連盟のバッジを着けていた。

その中で、私がたいへん印象深く思ったのは、隠棲中の将軍がつねに昂然(こうぜん)としておられるという、周囲の人たちの話であった。

そのころは、すでに東京裁判が始まっていた。政治家や軍人はもとより、普通の日本人でさえ、戦争犯罪で捕まえられるのではないかと脅(おび)えていた時代に、石原将軍は平然と過ごされているという。

聞くところによれば、石原将軍は周囲にこう言っておられたそうである。

「満州国を作ったのは自分である。その人間を呼ばないで、どうして戦犯裁判などが始められようか。私のいない東京裁判(極東国際軍事裁判)など、滑稽(こっけい)のきわみである」と。

なるほど、石原将軍の言うことは、しごくもっともな話である。

満州国建国が悪質な犯罪であるならば、その首謀者こそ、まず訴追されるべき人物であろう。満州国のことについて、石原将軍しか知らない情報もたくさんあるはずだから、何をおいても石原将軍を戦犯として指定し、法廷に呼ばなければ、これは話にならない。

しかも、関東軍において、石原将軍と並び称せられた板垣征四郎(いたがきせいしろう)将軍はA級戦犯として訴えられ、のちに死刑になっているのである。

ところが、極東軍事法廷の検察団は、石原将軍を訴追するどころか、審問しようともしないのである(結局、本人の要求も無視できず、のちに出張審問が行なわれたが、それはまことに形式的なものに終わったようである)。

この点だけ見ても、東京裁判が滑稽な裁判であったことは明白であろう。

たしかに、当時の石原将軍は病気を患(わずら)っていた。彼が訴追リストから外(はず)されたのは、そのことが理由とされていたようだが、だからといって発言できないような体調ではなかった(石原将軍は東京裁判の開始から3年後、すなわち裁判終結の翌年に60歳で死亡)。いったい、なぜ連合国は将軍を法廷に呼ばなかったのであろうか。

巷間(こうかん)伝わるところによれば、将軍は「もし証言台に立てるのであれば、裁判官や検事たちに堂々と“日本の言い分”を述べてやるのだが」という趣旨のことを語っておられたという。

石原莞爾といえば、日本陸軍最高の理論家と言われ、欧州戦史を独自分析して『最終戦争論』という本を書いた人である。おそらく、将軍が東京裁判に出廷していたら、その当時の日本が置かれていた国際情勢から説(と)き起こして、日本の立場を説明してくれたのではないか。

もちろん、もし、そんな証言がされれば、連合国はたいへん困ったことになったであろう。

そもそも東京裁判は、「日本は犯罪行為を犯(おか)したか」ということを調べるための裁判でなく、最初から断罪するつもりで始めたものである。それを今さら、被告の言い分など堂々と聞かされては、たまるまい。石原将軍が訴追されなかった背景には、そういう判断もあったと思われる。
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