電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

悪魔の思想 《 すべてのロシア人が日本を怨み憎んでいた――谷沢永一 》

2024-07-10 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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有史以来、ロシアはいまだかつて一回も戦争に負けたことのない常勝国なのです。それまで常に強運に守られていた天才ナポレオンを、初めて撃退したのがロシアだったではありませんか。海千山千の政治感覚抜群だったビスマルクでさえ、ロシアとだけは戦わないとの自戒を国是としていました。その光栄ある不敗の祖国にただ一回だけ負印(ばつじるし)をつけた日本に、ロシア人がどれだけ憎しみの念を燃やしても不思議ではないでしょう。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p48 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(4) ソ連の呪(のろ)いがかけられた国・日本

◆すべてのロシア人が日本を怨(うら)み憎んでいた

第三に、国際共産党組織(コミンテルン)および奥の院に鎮座するスターリンに、日本を極度に罵倒する発想を促(うなが)した情念は、日露戦争の敗北を深く根にもつ怨(うら)みと、憎しみと、復讐心でした。昭和25年7月、林達夫は『旅順陥落』と題する忘れがたい文章を書いています。

  終戦5年目の8月15日が近づいてきて、私がはしなくもこのレー
  ニンの文章を思い出したのは、外でもない、戦後まもなく私の入手
  した外国雑誌類の中に、スターリンが対日参戦ののち将兵に与えた
  メッセージの全文を見出してそこから甚大な衝撃を受けたという小
  事件、否(いな)、私にとっては大事件があったからである。

  スターリンによれば、満洲に進駐した赤軍将兵は、その父兄がかつ
  てそこで受けた国民的屈辱を雪(そそ)いで仇をとったのだ。それを
  彼は祝福しているのだ。レーニンはわざわざ「恥ずべき敗北を喫し
  たのは、ロシア人民ではなくして、この専制主義である」と断って
  いる。そのレーニンの「正統的」後継者たるスターリンは、いつこ
  の専制主義とツァーリズムの後継者、否、僣脱者になったのであろ
  う。

  私はポクロフスキーの『1905年』も読んでいたし、プリボイの
  『対馬』も読んでいた。「革命的毒気の一掃」の手段としての日本
  との戦争が、かえってその「革命的毒気」でツァーの先制政治をふ
  るえあがらせる1905年の革命にまで高調したことは、その革命
  推進者たちの一番よく知っているところだ。

  レーニンの思いは、多少の程度においてまたそれはその同志たちの
  思いでもあったろう。スターリンだけがその例外だったのだろうか。
  その日以来、私はレーニン主義とスターリン主義との相違が、単に
  共産主義政治と世界革命との旧段階と新段階とに応ずる、その理論
  的発展の度合いに精密にもとづくという、公式的説明などは相当の
  条件づきでなくては受付けられなくなってしまった。満州の工業施
  設のほとんど根こそぎ的な撤収、日本捕虜の仮借なき長期使用――
  つづいて起ったそれら一連の事象は、それがいかに立派な「革命的」
  大義名分にもとづくものであったにしても、頑迷固陋(がんめいこ
  ろう)な私の如き「曲学阿世(きょくがくあせい)」の徒には、どう
  しても釈然とできないていのものであった。

  私の「曲学阿世」的空論によると、世界革命の参謀本部たるクレム
  リンは、それにいかにも似つかわしい画期的に明朗な創意的フェア
  ・プレイでこういう問題を処理すべきで、人々が散々見せつけられ
  てきた、黴臭(かびくさ)い帝国主義や専制主義に紛(まぎ)れ易いえ
  げつないやり口の踏襲などは夢にもしないはずだったのだ。このお
  めでたい期待は、次から次へと物の見事に背負い投げを喰わされた。
  それが「新世界」からの便りであっただけに、私の狼狽と悄気方(
  しょげかた)は目もあてられなかった。

  私は改めて政治というものを勉強し直さねばならぬと痛感した。私
  はせっせと一所懸命に生きた政治史、わけても共産主義をめぐる国
  際政局の現勢を扱った文献を頼りに巨大な世界政治の世界に目を皿
  のように馳せ廻って来たが、その結果は小心な私をしてますます政
  治という政治の裏のおぞましさを思い知らされる羽目になっただけ
  である。政治とは腹黒いものであって常に人の善意を翻弄する――
  というのが私の阿保のような「小ブルジョア的」結論であった。
  (中公文庫『共産主義的人間』101頁、『林達夫著作集』5巻253頁、
  なお岩波文庫『林達夫評論集』には共産主義ソ連を憚(はばか)って
  か除かれています)

敗戦国である日本は戦勝国をけっして恨んでいませんが、こういう万事を水に流す精神的処理法は、ほとんどわが国だけの特産物であって、日本を除くあらゆる国においては、敗戦を怨みの種(たね)として忘れないのが通例のようです。第一次大戦の敗北と苛酷なヴェルサイユ条約に対するドイツ人の怨念がもしなかったら、ヒットラーの急激な抬頭はまずはありえなかったでしょう。

林達夫は、大正から昭和の初期に知的形成を行なった多くの人の例にもれず、共産主義の正統的な表向きの論理にいくぶん同情的でしたから、この場合、スターリン個人の身を批判していますが、公平に見てそれは当たらないと思われます。スターリンは煮ても焼いても喰えないしたたかな政治家なのです。その老獪なスターリンが、ソ連の将兵に喜ばれない受けもしない台詞(せりふ)を、頼まれても口にするでしょうか。ソ連の将兵はスターリンの演説に必ずや歓喜したにちがいありません。その効果を十分に計算したからこそ、スターリンは自信をもって、堂々と復讐論を一席ぶったにちがいありません。

何ごとにせよ、過去にこだわらない淡白な日本人には怪訝(けげん)に思われるでしょうけれど、ロシア人のすべては、日本をふかく怨み憎んでいたのです。それには無理からぬ事情があります。

有史以来、ロシアはいまだかつて一回も戦争に負けたことのない常勝国なのです。それまで常に強運に守られていた天才ナポレオンを、初めて撃退したのがロシアだったではありませんか。海千山千の政治感覚抜群だったビスマルクでさえ、ロシアとだけは戦わないとの自戒を国是としていました。その光栄ある不敗の祖国にただ一回だけ負印(ばつじるし)をつけた日本に、ロシア人がどれだけ憎しみの念を燃やしても不思議ではないでしょう。

わが日本は、69連勝の無敵とうたわれた双葉山に、とうとう土をつけて連勝を停止(ストップ)させた安藝(あき)ノ海のような存在なのです。もし日露戦争の一敗さえなかったら、第二次大戦のいわゆる大祖国戦争の勝利にいたるまで、ロシアは世界の戦史に類のない連戦連勝を誇りえたはずです。

ああ、あの日露戦争さえなかったら、全ロシア人が歯嚙みして口惜しがったところで無理はありますまい。日本は、光り輝く絢爛(けんらん)たる無地の金屏風に、おぞましくも泥を塗ったのです。いくら憎んでも憎み足りないのが、日本ではありませんか。

ロシア人にとって、日本だけは、世界中で、まったく別の、徹底的に厭(いと)うべき国と映ります。明治38年から数えて40年あまり、ロシア人は復讐心を燃やしつづけてきました。できることなら日本および日本人を呪い殺し、この世から抹殺し消滅させたい。この根ぶかい怨念を考慮に入れずに日露の歴史は語れません。

昭和20年8月15日以後も戦闘をつづけて日本軍を追いつめたこと、57万数千の日本人捕虜を無法にも酷寒のシベリアへ連行し、無慈悲な強制労働を課して5万数千もの死者を出したこと、ポツダム宣言を無視して北方領土を占領したこと。これらの暴戻(ぼうれい)残虐は、日本を相手とする場合なら何をどうしても構わないのだと信じる勃然(ぼつぜん)たる復讐心のなせるわざでありましょう。

まったくもってスターリンの言ったそのとおりなのです。ロシア人はこのとき、ついに日露戦争の仇を討つことができたんですね。この間の事情を、日本人は因果関係の連鎖として理解すべきではないでしょうか。

そのような怨念と憎悪と復讐心が、胸の底でくすぶっているロシア人によって起草されたのが「32年テーゼ」です。

しかも大綱を指示したのが復讐論者のスターリンですよね。「32年テーゼ」は、日本人の根性をくじくために送りつけられた毒薬であること明々白々でありましょう。
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