電脳筆写『 心超臨界 』

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ひとつは天国に、もうひとつは素直で感謝に満ちた心に
( アイザック・ウォルトン )

不都合な真実 歴史編 《 本当に独立運動だったのか――百田尚樹 》

2024-05-10 | 04-歴史・文化・社会
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「3・1独立運動」を民族抵抗運動と捉(とら)えるか、単なる暴動と捉えるかで、犠牲者の位置づけが大きく異なります。私は歴史家ではないので、ここでその判断を下すことは難しいのですが、一つ言えることは、もし日本がこれらの暴徒を鎮圧しなければ、朝鮮半島が大混乱状態に陥ったであろうことは容易に想像がつくということです。


◆本当に独立運動だったのか

『今こそ、韓国に謝ろう そして、「さらば」と言おう』
( 百田尚樹、飛鳥新社 (2019/3/1)、p121 )

韓国では「3・1独立運動」を、「朝鮮の民衆が日帝に反旗を翻(ひるがえ)した偉大な独立運動」と位置づけ、例年、3月1日を国民の記念日(31節)にして、毎年、国を挙げて大々的な行事を行っていましたが、2019年は百周年ということで、おそらくこの本が書店に並んでいる頃は、大騒ぎしている様子がニュースになっていることでしょう。

しかし、これがはたして本当に「独立運動」であったのかは甚(はなは)だ疑問の残るところです。というのも、初期のデモは別にすると、後の暴動は単なる騒擾(そうじょう)事件と呼ぶべきものだったからです。

総督府当局によって逮捕された暴徒は1万2668人でしたが、有罪判決を受けたのは3967人でした。そのほとんどが軽い罪で、死刑や懲役15年以上の判決を受けた者は1人もいません。懲役3年以上の刑を受けた者がわずかに80人です。もし本気で総督府の転覆を狙った抵抗運動だったなら、こんな刑ではすまなかったはずです。

もしこれが欧米諸国を相手にした独立運動だったならば大変なことになったでしょう。たとえば、1962年に、アルジェリアが独立しようと立ち上がったとき、フランスは大量のアルジェリア人を虐殺しました。パリ市内で独立を訴えるデモ行進をしたアルジェリア人でさえ、少なくとも2百人がフランス人治安部隊に殺されたといいます。もし朝鮮を支配していたのがフランスなら首謀者は全員死刑だったでしょう。

余談ですが、フランスは今もこの件についてアルジェリアに一切謝罪していません。「悔恨は個人がすべきもので、国家がすべきものではない」というのがフランス政府の見解です。

話を「3・1独立運動」に戻しましょう。この運動の代表者33人の1人、朴熙道(パクヒド)は後に「近代化のためには朝鮮語を全廃すべし」と総督府に申し入れています。また「3・1独立宣言」を起草した崔南善(チェナムソン)は2年6カ月の懲役刑をうけましたが、後に満洲建国大学の教授になっています。そして大東亜戦争を「英米の桎梏(しっこく)に泣く、東亜十数億大衆の祈願であり、真に万邦共栄の世界秩序を確立する、アジアの解放戦争」と言っています。不思議なことに、彼は戦後、韓国政府から反民族行為処罪法によって処罪されています。

首謀者たちのその後を見る限り、初期の運動さえ、はたして本気で日本からの独立を目指したものかと考えると、到底そうは思えません。後期の騒擾は言わずもがなです。韓国の作家兼評論家の金完燮(キムワンソプ)も、綿密な研究の結果、「独立運動ではなく暴動であった」と言っています。

つまり「3・1独立運動」を民族抵抗運動と捉(とら)えるか、単なる暴動と捉えるかで、犠牲者の位置づけが大きく異なります。私は歴史家ではないので、ここでその判断を下すことは難しいのですが、一つ言えることは、もし日本がこれらの暴徒を鎮圧しなければ、朝鮮半島が大混乱状態に陥ったであろうことは容易に想像がつくということです。そして最悪の場合、とてつもない数の死傷者が出たことでしょう。
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