電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

読書の達人に学ぶ――斉藤英治

2024-06-29 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ノーベル賞受賞者の経歴をみてみると、多くの場合それ以前の受賞者の大学や研究室から出ているといわれます。つまり、朱に染まれば赤くなる、ということです。ただし、ノーベル賞の場合は、単にそうした環境に身を置いただけではだめで、本人に朱に染まる強い意志と信念が必要なことは言うまでもありません。

速読の本を読んでいたら、著名人の読書術が載っていました。速読法の解説よりも、興味深い内容に思えましたので、紹介してみます。読書の達人の色に染まってみたい、と思わせる内容です。


◆読書の達人に学ぶ

『カンタンスラスラ べんり速読術』
( 斉藤英治、日本実業出版社 (1998/8/1) )

★「芥川龍之介」の場合
文豪と称される人には、大変な読書家が多いが、中でもその読書力が群をぬいていたといわれるのは芥川龍之介。和書、漢書、洋書の類を選ばず、その読書量は何万巻にも及ぶとか……。積極的な心の働きとして、ひたすら読書をした芥川。その35年の生涯に読んだ本の量から読書時間を推測すると、食べる、寝るといった生活に必要な時間や、作家としての創作時間を差し引いた、ほぼすべての時間を読書に当てていたとも考えられる。こうした結果、蓄積された膨大な知識は、彼の全集の中におさめられている多くの手紙の中に垣間見ることができる。

★「堀辰雄」の場合
こうした芥川の読書法を「本を速くしか読めなかった」と評しているのは、白樺派の作家、堀辰雄。堀は1冊の本を読む時、じっくりと時間をかけ、1行ずつ正確に読む方法を取っていたようだ。彼が一生の間でもっとも長くつきあったのは、マルセル・プルーストの名著『失われた時を求めて』だったそうだが、そのテキストには随処に色鉛筆の囲いがしてあり、また別に研究ノートを作成していたりと、驚くほどの徹底した緻密な読書を行っていたという。あまりにも凝った読み方をしたために、結局、全巻を通読することはできなかったという逸話が残されている。芥川の読書法とは別の意味で、才人ならではの読書法といえるだろう。
(中村真一郎著『本を読む』新潮社参照)

★「松本竣介」の場合
終戦3年後に、36歳の若さで世を去った、洋画家、松本竣介(しゅんすけ)。神奈川県立近代美術館蔵の「立てる像」をはじめ、数多くの傑作を残している彼は、「生命の藝術」「雑記帳」などの雑誌の編集者としても知られている。多岐にわたる創作活動を支えたのは、やはり読書による知識の集積だった。若き日の松本は、創作の傍ら、マルクス主義の叢書から、カント、ヘーゲル、マルクスといった社会学者の書物から、H.G.ウエルズの「世界史体系」、モーパッサン、ドストエフスキーなどの文学書へと読書の幅を広げていく。そんな彼のポケットには、いつも岩波文庫が入っていたという。
(朝日晃著『松本竣介』日動出版部/宇佐美承著『求道の画家 松本竣介』中公新書ほか参照)

★「大佛次郎」の場合
小説家、大佛次郎の寝台(ベッドを氏はこう呼んでいる)は、相当なサイズだったらしい。その枕元と足側の両側には本棚が据え付けられていて、手を伸ばしさえすれば、すぐに抜き出せるようになっていた。一度取り出された本は、読み終えるまでそのまま寝台の布団の上に積み上げられ、1年でも2年でも片付けられることなく置かれていたそうだ。「一度片付けてしまったら、二度と探し出して読むことはないだろう」というのが氏の弁。多忙を極めた氏にとって、本の洪水さながら「いつでも読める本たち」に囲まれた寝台に横たわってる時間が、一番幸福な時間だったという。
(『大佛次郎随筆全集 第三巻』(本の寝台)朝日出版社参照)

★「サマセット・モーム」の場合
イギリスの作家サマセット・モームが著した『読書案内』によると、モームは1冊ずつ読むのではなく、同時に4、5冊の本を並行して読んでいた。その日その日で気分が違うし、ある1冊の書物を読もうとする熱意も時間によって違うのだから、その時の気分に合った本を読むのが一番だ、というのがモームの考え。実際に彼は、朝、仕事を始める前には科学書や哲学書などの「新鮮で注意深い頭脳を必要とする書物」を、仕事のあとの、激しい努力を必要とする精神活動はやりたくない気分の午後には、随筆や歴史などの書物を、夕方には小説を、と時間によってある程度のジャンル分けをしていた。そのほか、読みたいときにいつでも読めるように詩集を、また夜寝る時には、どこから読み始め、読み終えても少しも心をかき乱されない書物を1冊用意していたらしい。また、モームは「飛ばして読むことも読書法の1つ」だという。たとえば、古典的な書物の、むずかしい注釈のある部分は、現代の読者にとっては難解で、退屈でしかない。重要な意味を持つ場合以外には、そうした部分は思い切って飛ばして読めば、有益に、かつ楽しんで読書をすることができるというわけだ。
(モーム著・西川正身訳『読書案内』/岩波文庫参照)

★「江戸川乱歩」の場合
幻想ロマン文学の奇才、江戸川乱歩。乱歩は自らの読書を『わがままの気まぐれの常として、気の向いた本を漫読する散策的な読み方』だと称している。ただ、一方で魅力ある書物に出会うと驚くばかりの「長旅」にも出ていたらしい。彼の名随筆『書斎の旅』によると、散策的読書の途上で知り合ったJ・A・シモンズの伝記をきっかけに、シモンズのほとんどの著作を読破し、さらにギリシャ関連のあらゆる書物へと、その読書を広げていくさまが、みずみずしいタッチで描かれている。
(『江戸川乱歩全集第17巻』講談社参照)

★「二宮尊徳」の場合
決まった読書の場を持たず、薪を売り歩きながら読書をしたという話で有名なのは、かの二宮尊徳だが、実はこの方法、尊徳一人がやっていた方法ではなく、むしろ漢の朱買臣が本家だという。そう考えると、西行や桃水、芭蕉といった草枕の諸氏も、移動しながらのちょっとした間に、書物を紐といていたり思索に耽っていたのであろう。考えようによっては、どんな場所でも読書はできるといういいお手本を、先人は伝えてくれているのだ。
(楠瀬日年著『書斎管見』(風変わりな書斎)南有書院参照)

★「毛沢東」の場合
中国の故毛沢東首席も、大変な読書家として知られている。没後10年目にあたる1986年には、党機関紙「人民日報」が三面1ページをつぶし、その読書生活について紹介する論文を掲載したほど。中国では「歴史上の偉人の死を記念した公式行事はしない」方針であることを考えると、故主席の読書の奥の深さが忍ばれる。氏の読破した書物はマルクス・レーニン主義に関連したものに止まらず、金剛経、華厳経といった仏教書から聖書までの、幅広い思想書を含んでいたという。

★「辻静雄」の場合
フランス料理を日本に紹介し、広めた第一人者として、また希代の料理研究家として知られる「辻調理師専門学校」の前校長、故辻静雄し。フランス料理に関する様々な名著を残しているが、文献の蒐集やその読破ぶりも、なみなみならないものがあったらしい。そんな氏だが、実は最初から料理人だったわけではない。もとは新聞記者。取材で料理学校を訪問したのがきっかけで結婚。料理の道に入ったのは、その後のことだったという。フランス料理やワイン、その歴史などに関わるありとあらゆる書を読みあさり、自分の物とした結果が、今日の日本のフランス料理や、ワインの歴史を作ったといっても過言ではない。
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