電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

フランス革命がドイツの哲学者に大きな誤解を植えつけた――木田元さん

2008-07-16 | 04-歴史・文化・社会
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巴里祭――哲学者・木田元
【「あすへの話題」08.07.14日経新聞(夕刊)】

今日は7月14日、巴里祭だ。さあシャンソンのCDでも聴きながら、軽く楽しい話題を探そう、と思ったが、いや待てよ、この日を「巴里祭」なんて楽しげに呼ぶのは日本人だけじゃないのか。

なんといっても革命記念日、つまり1789年のこの日、巴里の民衆がバスティーユの牢獄(ろうごく)を占拠して、革命の火蓋を切ったその記念日なのだ。フランス人はズバリ「7月14日」(ル・カトルズ・ジュイエ)」と呼ぶ。それがなぜ?

1932年にルネ・クレールが、名作『巴里の屋根の下』の続編という感じで『7月14日』という映画をつくり、大当たりした。これが輸入されたが、このタイトルでは誰も見てくれない。そこで題名を『巴里祭』に変えたら、これがまた当たった。以後日本では「7月14日」は「巴里祭」、とんだ誤解が植えつけられたわけだ。

だが、誤解といえば、フランス革命自体がドイツの哲学者に大きな誤解を植えつけている。この革命の起こったころ、ヘーゲルは隣国ドイツの大学生、学友のシェリングやヘルダーリンと共にその後もずっと革命の進行に一喜一憂した。

彼らは、人類の苦難の前史が終るその幕切れに立ち合っているのだと信じていた。これからは自由で平等な理想郷が実現されるのだ、と。だが、それは錯覚で、流血の果てに実現されたのは、不自由で不平等なブルジョワ社会でしかなかった。

特に、自分こそこの革命の思想的代弁者だと信じていたヘーゲルは、その錯覚の上に壮大な世界史像を描き、その哲学を構築したのだが、それが同時代や後世の思想家たちに及ぼした影響を考えると、誤解・錯覚といっても恐ろしいものだと思う。

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