電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

巌谷栽松(がんこくにまつをうえる)―松原泰道禅師

2024-05-28 | 03-自己・信念・努力
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現代の人間の心もまた、寒々として巖谷です。そこに松を植えるのは、教育者です。種をまいた人は、百年後に生い茂った松の緑をみることはできませんが、その成長した姿を信じて種をまきつづける行為は尊いのです。しかし、本当をいえば、松は、あなたの心の中に既に植わっているのです。誰の心の中にも、素晴らしい仏心は植わっているのですが、ただそれに気がつかないだけなのです。


◆巌谷栽松

『人生をささえる言葉』
( 松原泰道、主婦の友社 (2001/05)、p105 )

29 巌谷栽松(がんこくにまつをうえる)――『臨済録(りんざいろく)』
  未来を信じ、
  人間を信じて種をまく

臨済禅師が、山中で松を植えていました。そこへ師の黄檗(おうばく)禅師が来て、こんな深い山の中にさらに松など植えてどうするのか、と尋ねると、臨済は、「一つは山門の風致(ふうち)のために、一つは後人(こうじん)の標榜(ひょうぼう)のために」こうして松を植えているのです、と答えました。

これは単なる植林の話ではありません。深山というのは象徴であり、人間はみな、仏性という豊かな森を持っている。その心にさらに木を植える、つまり修行するというのはどういうことなのか、と黄檗は問うたのです。

それに対する臨済禅師の答えですが、山門の風致とは、ただ環境を整えるというだけのことではありません。後人のための標榜、これもただ、後人のお手本にするという意味だけではありません。

禅の修行で、労働することを作務(さむ)といいます。作務は、単なる労働とはちがいます。務めを作(な)すと書きますが、その務めは、自分の職務を務めるのではなく、仏の務めをするのです。ですから、臨済禅師は、ただ松を植えていたわけではなく、作務、つまり仏の務めを行っていたのです。

『臨済録』の序文を書いた馬防(ばぼう)は、この臨済の「臨済栽松」という行為を、「巌谷栽松(がんこくさいしょう)」と表現しています。私は、馬防の「巌谷」という言葉に深い意味を感じます。巌谷は、深く険しい谷ですが、それはまた人間の心でもあります。険しくそびえる岩に松を植えるとは、荒れ果てた心に仏の教えの種をおろすことなのです。

現代の人間の心もまた、寒々として巖谷です。そこに松を植えるのは、教育者です。種をまいた人は、百年後に生い茂った松の緑をみることはできませんが、その成長した姿を信じて種をまきつづける行為は尊いのです。

しかし、本当をいえば、松は、あなたの心の中に既に植わっているのです。誰の心の中にも、素晴らしい仏心は植わっているのですが、ただそれに気がつかないだけなのです。

俳人の種田山頭火に、

  いつ死ぬる一粒の種を蒔く

の句があります。どうせ死ぬのだから何をしても無駄だというのではなく、明日死ぬことがわかっていても、それでも一粒の種をまく、という心が大切なのです。その種が花開き、実を結ぶところは見ることはできませんが、未来を信じ、人間を信じ、種をまくのです。
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