電脳筆写『 心超臨界 』

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( エドマンド・バーク )

悪魔の思想 《 大塚久雄――進歩的文化人に共通する語法とは/谷沢永一 》

2024-06-22 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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革命抜きの共産主義という穏健な主題(テーマ)が、同業者に共通の経営方針となりました。危険な崖っぷちへ近寄らないよう力をあわせて綱をはり、これより先へは立ち入るべからずと頷(うなず)きあったわけです。説教師である自分たち自身、革命を遂行する気は毛頭ないのですから、当然のこと、信徒に革命の勧めを説くわけにはいかないでしょう。そこで、革命なんて危険な命題は棚あげして、社会主義・共産主義に対する憧れの気分だけを醸しだすという手にでました。


◆大塚久雄――進歩的文化人に共通する語法とは

『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p296 )

〈進歩的文化人の原型・大塚久雄(おおつかひさお)への告発状〉
 第13章 近代日本を全否定した国賊

  大塚久雄(おおつかひさお)
  明治40年生まれ。京都帝大卒。法政大教授、東大教授、東大名誉
  教授を歴任。反日感情を前提とした“大塚史学”を確立させる。

  明治以来の日本人が苦心の末に築き上げた近代社会を全面的に否定
  し、近代国家である日本は実は近代社会ではなかったのだと弾劾し
  たのが大塚久雄です。近代の日本人には近代精神がどこにも見出さ
  れないのだと、それほどまでに徹底的にわが国民を侮蔑した例は他
  にありません。日本には近代科学を成立させる基盤であるところの
  合理的思考がなかったと断言するのですから、我が国の近代科学は
  すべて虚構虚偽(うそはったり)だったということになります。この
  ような妄言が生まれた根拠を探ってみようではありませんか。

13-8 進歩的文化人に共通する語法とは

事柄がそのような落ち着きへと推移した理由は戦後進歩的文化人の論法が直截(ちょくせつ)型ではなかったからです。この連中は大塚久雄が創始した言葉遣いの手法に倣って朧ろ語法を中軸としました。

事柄を明晰に表現しないで、ほのめかし、言いくらまし、あてこすり、いやがらせ、皮肉、嫌味、難癖、野次、持ってまわった曖昧な言立て、そういう迂回作戦をとりました。いずれも遠慮ぶかい人たちでしたね。

そもそも社会主義・共産主義は政治変革の理論です。政府を打倒するために企む革命の戦略・戦術です。現実に政権を奪取するために方針を練る戦いの工夫です。すなわち、政治闘争の青写真です。

ところが、わが国の戦後進歩的文化人は社会主義・共産主義から闘争の原理を抜きとり、省いて、どこかへ蔵(しま)いこみました。砲弾から雷管をとりはずすような措置ですね。そして、もっぱら社会主義・共産主義に対する憧れの気分だけを世に広めようと考えました。なぜなら彼らのひとりのこらずが自力で日本に革命を実現する意図も意欲もなかったからです。

連中にとっての社会主義・共産主義は、それを口実として論壇に自分の座を確保するための処世術だったのですから、どうしてこの日本に革命を起こすかなんて、そういう物騒な議論は頭から願いさげなんです。座り心地のよい執筆者生活を楽しんでいるのに、修羅場へ引っ張りだされるなんて迷惑千万でしょう。

そこで、革命については考察しない、配慮しない、議論しない、計画しないという暗黙の諒解が成りたちます。すなわち、革命抜きの共産主義という穏健な主題(テーマ)が、同業者に共通の経営方針となりました。危険な崖っぷちへ近寄らないよう力をあわせて綱をはり、これより先へは立ち入るべからずと頷(うなず)きあったわけです。

説教師である自分たち自身、革命を遂行する気は毛頭ないのですから、当然のこと、信徒に革命の勧めを説くわけにはいかないでしょう。そこで、革命なんて危険な命題は棚あげして、社会主義・共産主義に対する憧れの気分だけを醸しだすという手にでました。

真物(ほんもの)の社会主義・共産主義ではない骨抜きの社会主義・共産主義、紛(まが)い物の社会主義・共産主義を掲げてのしとやかな宣伝です。戦後進歩的文化人が目指したのは、社会主義・共産主義を小綺麗な盆栽に仕立てあげる、小手先の起用な職人藝でした。

読者の側にしても、峨々(がが)たる社会主義・共産主義理論を小味な盆栽に縮小してもらえば、くつろいで扱えるゆえ心やすくつきあえます。こうして、戦後日本に特有な進歩主義的風潮の盆栽が全国にゆきわたりました。一見めでたしめでたしの盛行なのですが、そこで、お気の毒ながら戦後進歩的文化人の使命はつつがなく終わりました。

盆栽の蒐集愛好家としては微妙に持ち味のちがう他の品種を探しているのに、戦後進歩的文化人は根が真物(ほんもの)の根気づよい職人ではありませんから、精進を怠って、ついに別個の品種を提供することができなかったのです。さきほども申しましたように、わが国びとはせかせか焦(い)らちで倦(あ)きっぽいですから、戦後進歩的文化人の単調な憧れ説法には、しだいにうんざりしてきます。こうして、戦後進歩的文化人の時代は終わりを告げたのでした。

大塚久雄が創始した「零(ゼロ)史観」の害悪 へつづく
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