電脳筆写『 心超臨界 』

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( ジグ・ジグラー )

真珠湾攻撃の真実 《 「最後通牒」(ハル・ノート)――ハミルトン・フィッシュ 》

2024-07-05 | 04-歴史・文化・社会
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ルーズベルトもスチムソンもハル・ノートを「最後通牒」だと考えていたことは明らかである。スチムソン自身の日記にそう書き留めてある。関係者の誰もが日本に残された道は対米戦争しかないと理解していた。わが国はこうして憲法に違反する、議会の承認のない戦争を始めたのである。アメリカは戦う必要もなかったし、その戦いを(アメリカ国民も日本も)欲していなかった。( ハミルトン・フィッシュ )


◆「最後通牒」(ハル・ノート)

『ルーズベルトの開戦責任』
( ハミルトン・フィッシュ、草思社 (2017/4/4)、p247 )

ルーズベルト大統領が日本に最後通牒を発したのは1941年11月26日であった。この通牒は日本に対して、インドシナから、そして満洲を含む中国からの撤退を要求していた。これによって日本を戦争せざるを得ない状況に追い込んだのである。この事実をルーズベルト政権は隠していた。しかしこれは紛れもない歴史的事実である。

元来イギリスは、日本に対する外交政策は宥和的であった。それが変わったのは1941年6月22日のヒトラーによるソビエト侵攻以降のことである。チャーチルは極東における大英帝国の利権を守るとFDRから約束されたのだ。日本との戦争を起こすための役者に不足はなかった。チャーチル、スターリン、オーウェン・ラチモア、スチムソン、ラクリン・カリー等。これがわが国を裏口からあの大戦に導いた役者の顔ぶれである。

最後通牒であるハル・ノートは真珠湾攻撃以降も意図的に隠された。最後通牒を発した責任者はもちろんFDRである。日本の対米戦争開始で喜んだのはスチムソンでありノックスであった。彼らは根っからの干渉主義者であり、日本と戦うことになるのを喜んだ。もちろん戦いの始まりはもう少し遅くしたかったに違いない。フィリピンでも真珠湾でも、もう少し軍備増強したいと考えていたからだ。ルーズベルトもスチムソンもハル・ノートを「最後通牒」だと考えていたことは明らかである。スチムソン自身の日記にそう書き留めてある。関係者の誰もが日本に残された道は対米戦争しかないと理解していた。わが国はこうして憲法に違反する、議会の承認のない戦争を始めたのである。アメリカは戦う必要もなかったし、その戦いを(アメリカ国民も日本も)欲していなかった。

最後通牒を発する前日の11月25日の閣議に参加していたのはハル、スチムソン、ノックス、マーシャル、スタークである。FDRが指名し登用した者ばかりであった。「どうやったら議会の承認なく、また国民に知られることなく戦争を始められるか」。彼らの頭の中にはそれだけしかなかった。私はFDRと同政権幹部の行なった隠蔽工作を白日の下に晒さなければ気がすまない。アメリカ国民は真実を知らなければならない。

( 中略 → p254 )

日本に対する最後通牒が日本の野村(吉三郎)駐米大使に手交されたのは1941年11月26日のことであった。その通牒は日本のすべての軍隊の中国およびインドシナからの撤退を要求していた。軍隊だけでなく警察の撤退までもが条件であった。中国という表現には満洲も含んでいた。この通牒を前にした日本は壁際に追い詰められたネズミであった。戦う以外の道が残されていなかった。そうしなければ、日本の指導者は自殺を迫られたか、暗殺されたに違いない。

( 中略 → p262 )

あの「最後通牒」が何を引き起こすのか。それを理解することは容易である。日本の歴史、制度あるいは日本人の心理に詳しくなくてもすぐにわかることである。彼らは三つの結論を出した。一つは、どのような政権であれ、ハル・ノートを受け入れれば政権は崩壊するということである。二つ目は、ハル・ノートに示された過激な要求で、太平洋地域の和平の維持を目指す米日の会談はもはや望めないということである。そして三つ目は、ハル・ノートを受けた日本は、もはや宣戦布告なくして対米戦争をいつ始めてもおかしくないということであった。
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