電脳筆写『 心超臨界 』

感謝を表わすのに忘れてはならないこと
最高の感謝は言葉ではなく
感謝をもとに生きることである
J・F・ケネディ

◆日本兵のどこが悪者か――硫黄島から生還された兵士に聞く

2024-07-24 | 05-真相・背景・経緯
§6-2 真正保守が追放され反日左翼と似非(えせ)保守だらけになった日本
◆日本兵のどこが悪者か――硫黄島から生還した兵士に聞く


金井さん、この違いは何ですか、日米の違いは何ですか。ほんとうは、日本は戦後教育で日本兵は悪者だったと教えてきたから、英霊は英霊ではなくて悪者だと教えてきたから、悪者だから忘れてよかった、悪者だから放っておいてよかった、悪者だから滑走路の下に閉じ込めて滑走路を便利に使ってよかった、これが戦後日本の本当の真実なんですね。


『ぼくらの祖国』
(青山繁晴、扶桑社 (2011/12/28)、p208 )

◇「その通りっ。俺たちのどこが悪者なんだ。おまえたちのためにみんな戦ったんだ」

1033人と言われる生き残った将兵のうちのお一人、金井啓(かないけい)さん、当時82歳に会いに行った。

東京郊外(こうがい)のお宅(たく)を訪(たず)ねて、3時間話した。

3時間お会いしている間に、ぼくは必ず叱(しか)られると思った。

そのはずだった。たとえば金井さんは生き残りとして硫黄島に入り、限られた遺骨収集の場所にだけ行き、ボランティアの学生諸君も連れていって、しかし限られたところしか掘れないから一部しか遺骨を取り返せない。

防衛庁が飛行機は出してくれるけれど、政府の支援(しえん)はほとんど無く、滑走路の引き剥がしはもちろんのこと、大きな岩をどかしたりもできない。

政府はなぜ、そうなのか。ぼくを含めた国民が忘れたままだからだ。

そこに60年ぶりに思い出したといってぼくが訪ねてきた。当然、お怒(いか)りになると思った。

しかし最後までとても穏やかで、何の苦情もおっしゃらない。おっしゃらないうちに3時間たって、もうご家族に迷惑がかかるからぼくはお別(わか)れしなければいけなくなった。だから最後に金井啓さんにぼくから申した。

「金井さん、今日はぼくはお叱りを受けると思ってきたのに一言も金井さんはおっしゃらない。だからぼくの方から申します。実は硫黄島は日本では忘れられているのにアメリカでは奇跡の島と呼ばれていますね。どうしてか、6千万人が亡くなったあの第二次世界大戦のなかでも最も無残な肉弾戦が硫黄島の戦いだった。それなのに日米の兵士が戦争が終わった後、自然に集まって毎年、早春に合同慰霊祭をやっていますね。だから、奇跡の島と呼ばれています」

金井さんは身じろぎもせずに聴いている。

「それなのにそこにやってくるアメリカ軍の生き残りは、自分だけでなくて子や孫、ひ孫に至るまですべてアメリカ国民が支えて、つまりみんなみんな、税金で来ますね。アメリカ国民の支えによって、アメリカの政府とアメリカ軍の支えによってやってくる。そして亡くなった方々は、ぼくが調べたらケンタッキーに帰った人も、ニューヨークに帰った人も、カンザスシティーに帰った人も、サンフランシスコに帰った人も、みなヒーローになって、そこで褒(ほ)め称(たた)えられて祖国を守った英雄(えいゆう)として扱(あつか)われています」

金井さんは、ぐっと目を見開かれた。一気に何十歳も若返ったようにも感じた。

「金井さん、この違いは何ですか、日米の違いは何ですか。ほんとうは、日本は戦後教育で日本兵は悪者だったと教えてきたから、英霊は英霊ではなくて悪者だと教えてきたから、悪者だから忘れてよかった、悪者だから放っておいてよかった、悪者だから滑走路の下に閉じ込めて滑走路を便利に使ってよかった、これが戦後日本の本当の真実なんですね」

金井さんはそのとき突然、大きな声を出された。

「その通りっ。俺たちのどこが悪者なんだ。おまえたちのためにみんな戦ったんだ」

そのたった一言を叫んで、金井さんはまた静まられた。

ぼくは黙った。すると、金井さんが、ぽつぽつと話し始めた。

それは自分が生き残った理由だった。

「もう死を覚悟(かくご)してね、というのは私の部隊、私が小隊長だった部隊はね、戦っていた地下壕に閉じ込められたんです。爆撃で閉じ込められたけれど、栗林忠道閣下を尊敬していたから、閣下が自殺するなと言ったからそれを守って、呼吸もしにくいが、じっと我慢して真っ暗な中で耐えていた」

「ところが自分の隊に少年兵がいた。少年兵というのは15歳とかではないですよ。恐らく18歳前後ですね。17歳ぐらいかもしれません。一番若かったやつの、はらわたが出ていて、真っ暗な中で手探(てさぐ)りすると、明らかに腸(ちょう)に触った」

「そいつがもう苦悶(くもん)して苦悶して苦しんで、小隊長殿(しょうたいちょうどの)、自分は栗林中将の、司令官(しれいかん)の御命令に背くけれども自決したいと言う」

「私はもう我慢しきれなくて、よし、いいぞ、おまえ、自決しろと言って彼が手榴弾を抱え込んで自爆した、その衝撃(しょうげき)で上に穴があいて、島を占領したアメリカ兵がたまたま通りかかって、何だ、この穴はと見たら生き残っていた日本兵がいたからそれで私は捕虜(ほりょ)になって、硫黄島から抜けることができたんです」

ぼくは声が出なかった。

金井さんは、あとは、眼だけで、「この自決した部下が悪者だったんですか。私が悪者だったんですか」と聞いている。

ぼくは声を振り絞って、「申し訳(わけ)ありません。ぼくらがどれほど英霊を苦しめてきたか、初めてわかりました。申し訳ない、金井さん」。

両手を両手で包むと、金井さんは、微笑(ほほえみ)を浮かべられて、「いや、いや」とだけ応えられた。

もうお別れの時間だった。金井さん宅の前に出て、車に乗って遠ざかっていった。

ぼくは車のリア・ウインドウのところにしがみついて、金井さんをずっと見ていた。小柄(こがら)な金井さんは、ただの背のすこし曲がったおじいさんのように、立っていた。

そして金井さんが、ぼくのこの小指ぐらいの小さな金井さんになったときに、金井さんの表情が変わった。ぼくは、たまたま眼がよいので表情がよく見えていた。

金井さんは明らかに、『もう青山さんは見ていないな』という顔になった。金井さんからは、ぼくの顔がよく見えなくなったのだろう。

ぼくがもう見ていないと思われた、その瞬間に、金井さんはきりりと背筋(せすじ)を伸ばし、足を揃(そろ)え、帝国海軍の敬礼をなさった。

なんと謙虚な人であるのか。なんとほんとうに美しい日本国民がここにいらっしゃるのか。

ぼくは震(ふる)える思いだった。
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