電脳筆写『 心超臨界 』

自然は前進と発展において留まるところを知らず
怠惰なものたちすべてにののしりを発する
( ゲーテ )

歴史を裁く愚かさ 《 一人でも多くの支援がほしい――西尾幹二 》

2024-05-28 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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私は日本という国の未来が心配である。私は国を愛しているわけでもない。しかし日本語を話す1憶2千万人のこの列島が、みすみす外の世界が見えないがゆえに侮られ、自分を守れず、汚く無秩序になっていくであろうことが――たとえ私の死後であろうとも――私には耐えがたい。教科書はすでにそうなっている。日本という国全体はまだそこまでひどくはなっていない。教科書になにかの病原菌が集中している観がある。いまのうちに取り除いておかないとヴィールスは全身を侵すであろう。私はそのことを心配している。その理由は本論の最初に述べた。21世紀の勝負は、20世紀の戦争の解釈のいかんにかかっている、と。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p78 )
第2章 なぜ私は行動に立ち上がったか
1 新しい歴史教科書の戦い

◆一人でも多くの支援がほしい

いまよく思い出してみると、記者会見でわれわれの立場の味方、われわれを支援する人たちの発言は少なかった。彼らは拍手をもって応援し、野次をもって反発した。そして、朝日、岩波の人が代表する声ばかりが質問の形になってさかんに出たが、全体の雰囲気のなかで彼らはむしろ孤立していた。

岩波を名乗った人が政府検定を通ったものにさえ反対していいのか、と聞いてきたので、私は異なことをおっしゃる、政府が決めたことに反対できないとしたら民主主義はどうなるのだろう? それとも民主主義をつねづね唱えている岩波書店は、岩波中心の民主主義だけを認めたいということなのか、と私は応答しておいた。

われわれに対する彼らの反論は手厳しいように見えるが、会場で彼らは完全に数名だけで孤立していた。毎日や共同などの記者が、たまたま私の取材記者であったという関係もあって、礼儀正しく、紳士的な態度を示しただけに、朝日の一人の記者、すなわち中沢一議氏の興奮した突っ張った声と態度だけが際立って異様に見えた。

だからわれわれのなかの一人は、「今を境にして状況は一変した」とうれしそうに語ったほどだ。たしかにいま、時代はきわどいところに来ている。確信犯左翼は崖っ淵に追いやられている。だから彼らは手負い獅子のように猛り狂っている。それはたしかにそうかもしれない。しかし、だからといってわれわれの主張がそう簡単に通るものではない。

言葉で、ロゴスで争えば、私たちは負けない。理性的討議だけで現実が決定されるのなら、「新しい歴史教科書をつくる会」が敗北する理由は考えられない。しかし世は無風状態、何も起こらない無感動、無表情の状態を愛している時代である。人は波風の立たないことをなによりも好んでいる。理性的に討議すること、そのこと自体を嫌っている。

私は前途を楽観していない。

記者会見では、これからの会のプログラムはどういうことか、という質問があったので、これも私が代表して次のように答えた。

われわれはこのあと、(1)文部大臣に面会を申し入れ、従軍慰安婦関連記述の中学教科書からの削除を要求する。(2)自民党、新進党のいずれを問わず心ある政治家たちへ働きかける。(3)文部省の教育課程審議会において歴史教科書記述一般についてのわれわれの考え方を陳述する機会を与えるように申し入れ、これを実現し、審議項目に入れてもらう。(4)新しい教科書作成に着手し、1年をめどに完成する〈さもないと4年後の次の検定に間に合わない。(5)できれば検定提出前に一般書として公刊し、広い世間の批判を受け、理解を求める――さしあたりこのような手順を考えています、と答えた。

しかしこれは考えただけでも大変なことである。私は不安に襲われている。一人でも多くの方の精神的支援がほしい。なにかをしてくださらなくてもいいから、応援する、署名するという一言を言ってくださる方の名前がほしい。

いまは残念ながら数が力の時代である。政治においては数が質をきめるのが常で、質の純度の高さが全体を動かす、ということは一方の真実だが、それだけに頼っていると百年たっても、いまのこのすさまじい教科書は変わらない、変えることがまず目標である。

私はニヒリストではない。私は日本という国の未来が心配である。私は国を愛しているわけでもない。しかし日本語を話す1憶2千万人のこの列島が、みすみす外の世界が見えないがゆえに侮られ、自分を守れず、汚く無秩序になっていくであろうことが――たとえ私の死後であろうとも――私には耐えがたい。

教科書はすでにそうなっている。日本という国全体はまだそこまでひどくはなっていない。教科書になにかの病原菌が集中している観がある。いまのうちに取り除いておかないとヴィールスは全身を侵すであろう。私はそのことを心配している。その理由は本論の最初に述べた。21世紀の勝負は、20世紀の戦争の解釈のいかんにかかっている、と。

たとえば原爆投下の「正義」ひとつをとっても未解決である。これを「不正」と全世界が裁定する状況の変化に、はたしてアメリカは耐えられるだろうか。だからそういう時代は、アメリカが崩壊する日まで来ないと考えたほうがいい。それなら、原爆投下は「正義」である、という歴史観に日本人はいつまで耐えられるだろうか。日本はまだ崩壊していない。しかしこの歴史観はいつか確実に日本を崩壊させるのである。

子供の教科書だと思って馬鹿にしてはいけない。たとえばこの一点をどう書くかに、日本の未来の命運はかかっているのだ。日米戦争は終わっていないのである。精神的、心理的戦いはいまだに熾烈に続いている。
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