電脳筆写『 心超臨界 』

真の教育は自己の最高を引き出すところにある
( ガンジー )

真理のひびき 《 真の平和の世界を作為せんと欲するものは――中村天風 》

2024-10-24 | 03-自己・信念・努力
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   [箴言十一]

   真の平和の世界を作為せんと欲するものは
   先づ個々の家庭平和を確立することを実行すべし
   Those who wish to make up the peaceful world should act
   first to establish the peace of their individual home.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p100 )

世界平和ということはあえて今さらの問題ではなく、いつの時代においてもまことの人々の祈望する現実の念願である。

しかるに、世界推移の実際をみると、たとえ半世紀の短期間といえども、全世界のどこにも何らの民族的トラブルが絶無であったという、いわゆる真の平和時代というものは、かつての過去において絶対になかった。

もっとも識者の中には、それもまた平和たらんと意図する人間欲望から産まれる随伴的事態であるという人もある。

もちろんそう考えられる場合もないではないが、むしろその大部分は、民族相互の生存確保に対する利害関係の相剋(そうこく)がその主因をなしている場合が多く、しかも、その主因事実よりも、そのトラブルの解決途上における感情問題という真理現象が、もっと早く和解のできる場合をも、ことさらに紛糾におとし入らすべく余儀なくしている実際傾向のあるのは、過去の史実がこれを証明してあまりがある。

多くいうまでもなく、およそ事物の判断に感情が混入すれば、勢い公平な結論を出すことを妨げるということは、何人(なんびと)といえども冷静虚心の場合には考察できることである。

それが、いざ実際的事実に直面するとなると理屈と事実とはいつも逆になって、特に冷厳であるべき国際的重大な問題に対しても結局はお互いにいつしか感情本位になって、容易に事態の収拾も解決も進捗しないという実状が、むしろ普通の状態になっている。

しかしこれでは、世界平和ということは、ただ通りいっぺんのお題目にすぎないこととなって、しょせんはできそうでなかなかできないという空文(くうぶん)的くり返しだけを、世界推移の過程とするだけのこととなる。

しかもこのくらいのことは、誰でも十分知っているはずのことではないだろうか?

にもかかわらず事態まさにかくのごときは、要約すれば個人個人の人生生活が、あまりにも平素、感情重点主義で行われているということが、その大きい素因をなしているといえる。

いや、もっと極言すれば、そうした決しておろそかにできない事実さえまったく気付かないほどの無関心さで、反対に感情重点生活こそ人間生活の当然の態度のようにさえ思っている人が多いからである。

その証拠には、家庭以外の人に対しては忍べることも、家庭内においては断然忍べない。それどころか、忍ぶ必要がないようにそれを当然のことのように思っている人がいかに多いかである。よくよく考えてみれば、家庭生活の大部分を感情重点主義で行われているような人が、自分自身自己のその点を知る知らざるとを問わず、それが習性化している以上、その習性化されている人々が社会や国家を形成している限りは、勢い世界平和というものは、その実現の日を遠い将来におかざるをえなくなると思われる。

なぜならば、感情重点主義の生活を行う家庭には、真の平和というものがないからである。

真の平和とは、お互いに克己し、お互いに自制し、お互いに相譲り、相敬い、相愛し、相たのしみ、相導き、相助け合う、という完全調和の美しい気持ちが、家庭組織の各個々人にもたれているということが、何よりの先決条項である。

感情重点主義の人には、これらのどれもがいつも公平に実行できない憾(うら)みがある。

したがってこうした真の平和生活のでき得ない人々が相集って結成した社会国家が、前掲の通りどうしても真の平和を期成することができるであろうか。

多くいうまでもなく、民族意識の総和と統合が、その国家の結成要素をなすがためである。

したがって、真の平和内容の欠如した国と国とが世界を形成している以上は、既述した通り、真人の祈望する真の世界平和はほど遠い後代に待つ以外に方法なしといっても決して誤った断言ではないと思う。

なおあえていう。「請(こ)う先ず隗(かい)より始めよ」のたとえの通り、真の世界平和建設の主要素は、いうまでもなくすべての個人個人の家庭生活をまず真の平和境とすることに努力すべきである。

按(あん)ずるに、これぞまことに久劫の昔より永遠の将来まで、明らかに一貫する世界平和建設の絶対真理なりと、断固として確信するものである。

  争うに先立つことなかれ
    和するに後るることなかれ
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