電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

悪魔の思想 《 近代日本人、合理性の証明――谷沢永一 》

2024-06-30 | 04-歴史・文化・社会
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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近代日本においては社会福祉への貢献がどれほどさかんであったか、くだくだしく説明する必要がないではありませんか。それを大塚久雄は「いまだ見出されない」と一言で全面的に否定するのです。事ここにいたれば、大塚久雄の錯乱は炬(きょ)(たいまつ)をもって照らすがごとく明瞭ではありませんか。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p23 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(2) 前近代という蔑称(べっしょう)

◆近代日本人、合理性の証明

ここに『日本科学技術史大系』全25巻別巻1冊(昭和39年3月~47年2月・第一法規出版)という叢書があります。これは論説や史的研究ではなく、それぞれの時代における原資料を忠実に復刻した資料集です。

この『体系』の出版は戦後ですけれども、資料そのものは近代期の全期間にわたってすでに公表ずみの共有財産ですから、近代日本における科学技術の発達がいかに盛んであったか、ひとめに見わたすことができます。近代日本は科学技術の面でもめざましい発達を遂げたのでした。

その一例として下瀬火薬の卓越した功績をあげておきましょう。日露戦争において日本海軍が強かったのは、もちろん猛烈な射撃訓練のせいもありますけれど、下瀬火薬がことのほか威力を発揮したからでした。司馬遼太郎は『坂の上の雲』でこう描いています。

  日本の砲弾は、下瀬雅允(しもせまさちか)という無名の海軍技師の
  発明したいわゆる下瀬火薬が詰められている。この当時、世界でこ
  れほど強力な火薬はなかった。その爆発によって生ずる気量は普通
  の砲火薬の2倍半であったが、実際の力はいっそう強猛で、ほとん
  ど3倍半であった。しかもこれを詰めた日本の砲弾は、水に衝突し
  ただけで炸裂した。巨大水柱が、海をわきあげさせながら、こげ茶
  色の煙と炎をともなってあがる光景は、異様というほかなかった。
  (全集25巻121頁)

明治30年代において、下瀬火薬は世界の水準をはるかに抜いていたのでした。松原宏遠
が『下瀬火薬考』(昭和18年11月10日・北隆館)を編集し、『下瀬火薬発明記』(19年6月20日・葛城書店)を著わしています。

また、近代科学とはちょっと系統を異にするかもしれませんが、わが国民は農業の技術と経営にも緻密な努力を重ねました。その営々たる苦心に成る厖大な農書を、これもまた原資料の集大成として編まれたのが、『明治農書全集』全13巻(昭和58年8月25日~61年1月25日・農山漁村文化協会)です。これだけの成果をあげた近代日本人の心性に、「合理性」がなかったとは絶対に言えますまい。大塚久雄はまったく根拠のない誹謗の言を弄(ろう)したのです。

また、近代日本には「社会的関心」がなかったのでしょうか。この場合もまた原資料に就いて見ようではありませんか。

次のような復刻文献の集大成があります。

 『社会福祉古典叢書』既刊6巻(昭和55年6月~58年10月・鳳書院)
 『戦前期社会事業史料集成』全20巻(60年4月~9月・日本図書センター)
 『戦前日本社会事業調査資料集成』既刊8巻(61年3月~平成5年4月・勁草書房)
 『戦前期社会事業基本文献集』全15巻(平成7年1月~6月・日本図書センター)

いずれも書名にうたうように昭和20年より前の文献であり、原資料の復刻であること言うまでもありません。また書誌としては、

 『近代日本社会事業史文献目録』(昭和46年3月5日・日本生命済生会)

が刊行されています。近代日本においては社会福祉への貢献がどれほどさかんであったか、くだくだしく説明する必要がないではありませんか。それを大塚久雄は「いまだ見出されない」と一言で全面的に否定するのです。事ここにいたれば、大塚久雄の錯乱は炬(きょ)(たいまつ)をもって照らすがごとく明瞭ではありませんか。
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