電脳筆写『 心超臨界 』

あなたが犯す人生最大の過ちは
過ちを犯すことを常に恐れることである
( エルバート・ハッバード )

ふつうの人が智恵を出し合うことで創造的なものが生まれる――茂木健一郎さん

2011-12-13 | 05-真相・背景・経緯
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『ひらめきの導火線』http://tinyurl.com/6vmspam
【 茂木健一郎、PHP研究所 (2008/8/19)、p27 】

ふつうの人が智恵を出し合うことで創造的なものが生まれる。こうした考え方とは対照的な言葉を、アルベルト・アインシュタインは残している。ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者で、天才の例としてよく名の挙がる彼は、「創造性は個人レベルでしかありえない」ということを言っている。私もかつてはそう信じていた。

しかし、考えてみれば、アインシュタインの相対性理論も、さまざまな人や先行研究の影響を受けて生み出されたものなのだ。そもそも、彼自身が最も生産的だったのは、友人や家族と活発に議論していた1905年から1921年ごろまでだったという。これは、特殊相対性理論の発見に始まり、一般相対性理論を発表した時期にあたる。一方、1933年にプリンストン高等研究所に入り、一人で考えることが多くなってからは、急速に独創性が失われている。

この史実を見ても、「独創性は一人の天才に宿る」ということは信じがたい。必ずしも個人のレベルでのみ生まれるということはないだろう。もちろん、人によって思索のスタイルはさまざまだから、一概にはいえない。しかし、一人で内にこもって悩むのならば、外に出て、人と話して、人の智恵を借り、人の発想を集めるほうが、事態が開ける可能性はずっと高まる。

いろんな人が集まってアイデアを出し合い、「リナックス」や「ウィキペディア」のように自由に流通させる。それぞれがアイデアをもとにひらめきを得て、また新たなアイデアを
生み出していく。そのほうが、たった一人の天才が思考を重ねるモデルより、はるかに進歩は早い。

厳密にいえば、「創造性は大衆的な形で宿る」という日本の考え方も、ヨーロッパやアメリカの天才モデルも、どちらもフィクションといえばフィクションである。「どちらが、より自然の営(いとな)みに近いか「どちらがより現実に即しているか」という視点から、本質を見通す必要がある。

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