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ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

ねんきん特別便

2008-04-02 16:54:11 | つぶやき

先月、私と家内に『ねんきん特別便』が届いた。年金をいただく年齢は、何億光年もはるか先だが。(笑)この特別便の中身を見てインド人もびっくり!(だいぶ古いギャグで・・・。)まず、家内の内容。国民保険に全員が入らなければならなくなった時より前の記録がない。家内は働いていたのだから厚生年金の記録があっていいのだが、それがない。幸いなことに、家内は厚生年金証書をとってあった。その証書には『結婚のため氏名変更・・・神田社会保険事務所』の印鑑がでかでかと押してあった。ということは、社会保険事務所では確認をして、受理したと言うことだ。その事務処理は、記録はどうしたの?私の場合、いま、障害者年金をいただいている。この手続きに社会保険事務所に家内が行った時に、社会保険事務所のほうから『ご主人は今の会社に勤務する以前に、他の会社に勤務されていませんでしたか?』と聞かれたそうで、家内から確認の電話が入ったことを覚えている。私の通っていた学校は、実習や研究材料の費用がかかるので、実習と言う形で会社に通って実習代や研究費を稼いで、自治体に返納するようなシステムで、たまたま、私の実習先の会社が『給与』として処理するために、私を社員として登録し、そのため『厚生年金』も支払っていてくれたのである。で、家内に社会事務所の係員が『確認が取れましたので、追加しておきますね。』といって、年金手帳に追記したのに、特別便には記載されていない!早速、窓口に電話をしたのはいうまでもない。そして、担当者の言葉『全て確認が取れましたので、その旨を記入して送り返してください。確認に半年ほどかかりますので、半年先に再度、お知らせが届くと思います。』ときた。おいおい、本当に大丈夫かよ?と言いたくなる。どうぞ皆さんも、よく内容を確認して、いつ、電話をしたり、社会保険事務所に行ったか、だれが担当だったかをちゃんと記録しておかないと、本当に記録に載ったかどうか分かりませんよ・・・。


『相棒』と『絆』

2008-03-27 21:48:16 | つぶやき

TVドラマ『相棒Season5』が終わった。我が家は全員このドラマのファンである。水谷豊の杉下警部と寺脇康文の亀山刑事の『特命係』のコンビが絶妙である。このドラマが始まったころのSeason1での杉下警部のセリフが忘れられない。岸部一徳が演ずる警察庁官房長とのやり取り。官房長が『捜査には、限界がある。もう、この辺で止めておけ』と言うと、杉下警部が『捜査に限界などありません!もしあるとしたら、それは捜査を諦めた時です。』と言うセリフである。何か自分のしていること、考え方に通じるな。と思って、いまでも心に残っている。話は変わるが、最近、読んだ本に『そうだ葉っぱを売ろう!』(横石知二著)がある。内容は、徳島の山あいの町が「葉っぱを売って2億円を稼ぐおばちゃんたち」と脚光を浴びている。和食に添えられるナンテンやモミジの葉を農家が栽培し流通させる新市場を開拓したのだ。今では町の人口より多くの視察者が訪れる。そこでは、ファックス、携帯電話、パソコンを駆使して注目の事業を営む年配者の姿を見ることが出来る。ビジネスには企業秘密がつきもの。が、ここでは完全公開。仕組みをまねされても、絶対に負けない自信がある。それは『人と人との強い絆があるから』だと書かれていた。いま、どこでも過疎の町は産業や仕事がない。経済基盤も弱い。事実、この町も寒波の襲来で主力産品のミカンがだめになって生活が立ち行かなくなった。その”どん底”で悩みぬいた一人が、すし店で見つけた新規事業。愚痴をこぼしあうだけの人間関係から、目標を掲げ、皆で幾度も共に困難を乗り越えて、共に生きる絆が出来上がったという。『環境で、心の大きさは変わらない。心は、いくらでも広げてゆける。心は、どちらの方向にも行ける。』は偉人の言葉。環境が悪いと嘆くのか、環境を変えようと動くのかで、おのずと結果は違ってくると思う。私が勝手に思い込んでいるのか分からないが(笑)このブログを通じて、いい『相棒』に巡り合い、とても素敵な『絆』を結べたと思っています。私もリハビリ生活を続けていると、自分の境遇を嘆いたり、人の言葉に傷ついたり、時には怒り、時には涙し、時には悔しくて唇をかむ時があります。でも、今、その全てをパワーに変えて、諦めずに前に向かって進めるのも、この『相棒との絆』があるからだと思っています。感謝!

尚、本日の『木リハ』は最悪でした。(涙) また来週を目指して頑張ります。


不幸中の幸い

2008-03-03 16:58:25 | つぶやき

娘の運転している車がぶつけられた。86になる私の母を送る途中で・・・。車は、後ろの席のスライドドアとタイヤハウスがつぶれて運転不能。十字路での事故で、娘のほうが優先車線。相当の衝撃があったみたいである。連絡を受けて、まず心配したのが怪我の有無。それも86の母の事。幸い、娘も母も無事であった。その日に限って、いつもは後ろの席に座らせる母を、助手席のほうが広いからとシートベルトを締めて乗せた。いつもの通りに後ろの席に座らせていれば、母の受けたダメージはものすごかっただろうと思うと、『不幸中の幸い』である。世の中に『転重軽受』(仏教用語・てんじゅうきょうじゅ・重きを転じて軽く受ける)という言葉がある。車にぶつけられたことを嘆くよりも、本来であれば重大なダメージを受けるところであったものが、怪我なくすんだという事に感謝をする。何しろ86になる母が、若しいつもの席に座っていれば、母が受けたであろうダメージは相当なものであったであろう。場合によっては命をなくしていたかもしれない。その事にただただ感謝である。へんな言い方であるが、誤解を恐れずに言わせてもらうと『病気もそうではないかなぁ』と思うのです。病気になってつらくて、大変だと思うけれど、よく病気のことを考え、周りを見回すと必ず、ひとつぐらい良いことがある。私も、この病気になってから私の傍から去っていった人もいるが、ちゃんと前と変わらずに傍にいてくれる人もいる。より密に付き合える人も出来、こうしてブログを通じて何人もの友人が出来、毎日励ましてくれている。この病気にならなければ、真の友達もわからなかったし、励ましあうことの出来る友人とも出会えなかったと思う。『何でこんな病気になったんだ!』と嘆くより、すばらしい友人と出会え、励ましあいながら病気と闘える。素敵な事じゃないですか?だからこそ、病気に負けるわけにはいかない・・・。だからこそ頑張る・・・。春は近いはずだから・・・。


ニンジン・・・

2007-09-24 18:12:42 | つぶやき

世の中に『ニンジンをぶら下げる』と言う言葉がある。馬を走らせるために、馬の鼻先にニンジンをぶら下げる・・・。『餌で釣る』というと聞こえが悪いが、ニンジン=目標とは言えまいか?『子供にテストで100点を取ったら、○○をあげる。』と言うのと同じであるが、ちょっと間違えると目的がテストからご褒美に変わってしまう恐れはあるが(笑)でも、ニンジンは物凄いパワーを持っていると思う。(栄養価の話ではない(笑))相手が、『どうしても手に入れたい。』と言う気持ちが強ければ強いほど。今、私の目の前には色々な『ニンジン』がぶらさがっている。どれも魅力的な物ばかりである。最近、ぶらさがったニンジンはとても魅力的なもので、何か身体の底から力が湧くような物凄いパワーを持っている。ぶら下げてくれた方に感謝しながら、ニンジンを一つずつ手に入れながら目標に向かって進んでゆきたい。そこには物凄く大きなニンジンがぶら下がっているから・・・。


先輩

2007-09-05 14:53:03 | つぶやき

今日、勤務していた時の先輩が会社のOB会に出席する合間を縫って顔を見せに来てくれた。お互いの近況や昔話、同僚の消息や会社の状況など、勤務していたときを思い出すようなひと時だった。その先輩がこんなことを言っていた。『人間は一生に働ける時間は決まってるんだよ。例えば、それが100だったら、若いうちにがむしゃらに働いて100働いてしまった人は、神様が休みなさいと休暇をくれるんだよ。ぶうさんも、会社で頑張りすぎたから、もう、休みなさいって事なんだから、ゆっくりと自分の身体を治す事だけに専念しなさいって事だよ』と話してくれた。何となく、気が楽になった・・・。