ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

診療科目と医師の専門科目

2021年01月30日 | 随筆
 私の住んでいる街には、幸いなことに様々な医療関係施設があります。
そのせいか知りませんが、医院の入口に出て居る看板や表示している科名と専門科目について、一致していな場合がしばしば見受けられるようです。
 近くで数年前に開業した医院ですが、噂に依るとさる大学病院の准教授からやがては教授になると噂の医師が、突然近くに開業されたのです。
 その医師は大学では「心臓血管外科」の医師として後進の指導に当たって来られたのでした。開業された時の標榜は「心臓血管外科・内科」となっていました。当時のドラマの『白い巨塔』のように大学に様々あったらしく、准教授・教授の道が閉ざされてしまったのだと聞きました。
 やがてその医院は「優しい医師」として地域に根ざして、今は専ら「内科」の患者が殆どのようです。
 私は医院の前を通って日々スーパーへ通っていますが、朝は受付の行列が外まで続く程混み合います。
 医学部では、専門を選ぶ前に一通り全科を学びますから、僅かでも学んだ事には変わりありません。医師は日々のたゆまぬ勉強と努力の積み重ね、そして人間性を磨くこと、患者さんの話にしっかり耳を傾けることなど、医師として努力して行かねばならないことには際限が無いようで、新しい医学に付いて行くのには、生涯多大な努力が必要とされる苛酷な職業です。
 私の夫の伯父も開業医の内科医師でした。医師が少ない時代でもありました。幼い頃から優れていたそうで、選ばれて奨学金付きで医学部を卒業しました。
 伯父は研修期間が終わると、故郷で開業しました。ある日激しい腸チフスの患者さんが出て、その往診を頼まれたそうです。それはとても重症だったとのことで、医師ですから感染の危険性は重々承知していましたし,消毒にも念を入れたと聞きましたが、往診先の対応であった為に、自らも感染して間もなく亡くなってしまいました。
 夫のきょうだいは今もみな元気ですが、その伯父の方の家族は不幸にも全員病で亡くなって、家系は絶えてしまいました。
 本筋の話しに戻りますと、私達の地域で本来は外科でありながら、開業時から内科を標榜している医院がこの他にもあります。地域の人達の中には「看板に内科とも表示してあるので、内科も出来る人なのでしょう」と大らかに云っていたのを聞きました。また、ある上級職の国家公務員であった方も、大きな市民病院の泌尿器科で「ここでは貴方のような軽症な患者さんには、身近な開業医を勧めています。近くにあったら其処へ紹介状を書きます。」と云われて、現在の本来は心臓血管外科の医院へ来たと云うことでした。その医師は快く引き受けてくれたそうです。この方は他に糖尿病を抱えておいでですが、それも一緒に診てくれるそうだとの事でした。私は心のどこかに不安を感じつつ聞きました。
 現在は大病院は軽傷患者は診ない時代です。ですからその医師の専門の科を良く理解して、診療をお願いすることが大切です。
 私の知人の女性に、ご自分やご家族の医師選びにとても熱心な人がいます。下調べの仕方が半端でなく、お人柄まで良く承知して診て頂いていて感心します。
 命を預けるのですから大切なことだと思って、私も心掛けるようにしたいと考えていますが、幸い我が家のかかりつけ医は、優れた技術と人格を持ち合わせておられて、安心して診て頂いています。
 かかりつけ医制度が益々叫ばれています。良いことでもありますし、治療は二人三脚ですから、私も患者としてしっかり学びながら、これからも診て頂きたいと思っています。
 「内科」と書かないと患者が来ないから、という理由で書いているとすれば、まさに看板に偽りありです。今や各科とも更に専門が細分化されています。大病院では内科だけでは通用しなくなり、消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、神経内科,心療内科と、専門医による高度の治療が当たり前になっています。
 医師の良心と、使命感と、責任感に期待する以外に、私達は身を守る方法がありません。これらに感謝して老後の二人三脚を確かな足取りで歩きたいと思っています。