ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

「死ぬる時節には死ぬがよく」

2019年03月05日 | 随筆
 今日でも良寛さまを尊敬する人は多くいらっしゃいます。全国良寛会と云う会もあり、様々な人が研究しておられます。私は良寛さまをとても尊敬している一人です。以前このブログでも、良寛さまの墓地を訪れた時の感動を書きました。
 それはNHKの生涯学習講座の課題として、「尊敬する先人の墓地を訪ねてリポートせよ」と云うテーマを頂いた時のことでした。まだ一度も良寛さまの墓地を訪ねた事の無い私は、先ず「どこに在るのか」を図書館で調べなくてはなりませんでした。矢張り良寛さまを尊敬して居た夫がつき合ってくれて、蝉しぐれの降る夏の日に訪れた時の感動を書いたものです。
 リポートの課題を出された講座の講師先生も未だ訪れた経験がなく、私は写真も添えて提出しましたのでとても感動されて、リポートの余白に書き切れない程の感想を書き込んで返却して下さいました。これも又忘れがたい感動でありました。
 子供の頃から「良寛さまは縁の下から生えて来た竹の子のために、縁側をくり抜かれた」というお話を聞いて育ちましたから、とても親しみを覚えていたのです。良寛さまの、何処に引かれるのか、人により様々ですが、幼い子供達と日がな一日手鞠をついて遊んだ事は、誰もが知っていることです。
 良寛さまは大変多才な人でした。漢詩、和歌に優れた作品を残してもおられます。あれ程の高僧と云われながら、お寺を持つ事もなく、禅を学ばれた良寛さまは、人生をかけて修行され、実践されました。徹底的に自我を捨ててた人として、私はとても尊敬しています。
 かつて当ブログに書いた「ひかりちゃん」と私達夫婦の交流の中で感じた、まるで仏様のような心を、良寛さまも子供達に感じ取っていたに違いないと思いました。(2018年6月5日444号神さまの贈り物)
 人間は「生まれた時が一番み仏に近い」と云われます。
 
 おさな子がしだいしだいに知恵づきて仏に遠くなるぞ悲しき 一休さまの歌です。

 自我が強い大人の姿と、無心な子供では、その心のありようを見れば素直に理解できます。
 子供達と無心に遊ぶ良寛さまと、『僧伽(そうぎゃ)』と云う「だらけてしまった僧呂」を厳しく批判して書いた長い漢詩や、他にも沢山の優れた漢詩や和歌を読まれた学識に富んだ良寛さまと、禅僧として修行にいそしんだ良寛さまとを合わせて考えると、矢張り親しく感じる一方で、近づきがたい様に偉大な人だと思われます。
  
 五合庵と言われる良寛様の庵は、初めの頃は夫の車で山道の下まで行き、赤土で滑り易い細い山道を、汗をかきかき歩いて登ったものですが、長い年月の間に五合庵の直ぐ上の国上寺(こくじょうじ)まで車で行けるようになり、新しく谷を越える吊り橋も出来て、とても簡単に行けるようになりました。
 五合庵は文字通りささやかな萱葺き屋根で、畳6枚ほどの小さな庵でした。吹き込む雨によって、年輪が浮き出た縁側があり、吹き抜けの小窓から月も望まれて、質素で静かで、ここで良寛さまはあの素晴らしい漢詩を書いたり、貞心尼もはるばる訪れたのかと、とても親しみを覚えました。

 君にかく あひ見ることの うれしさも まださめやらぬ夢かとぞう思ふ 貞心

 ゆめの世に かつまどろみて ゆめをまた 語るも夢も それがまにまに 良寛

のように歌を交わしておられます。
  
 越後の良寛さまは与板の山田杜皐(やまだとこう)という俳人と親友だったそうです。五合庵から与板までは、歩いて相当な時間がかかりましたが、与板へ行けば杜皐さんの家に泊まり、親しく付き合われていたそうです。
 良寛さまが71才の時、近くの三条市を中心に大地震がありました。良寛さまの地域は被害が少なく、与板の方は被害が甚大だったそうで、良寛さまは杜皐さんへ見舞の手紙を送っています。

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候  是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候   

 悟り切った高僧の死生観を見事に表現した、良寛さまらしいお見舞といえましょう。
 いつ死ぬのか、どういう風にして死ぬのか、この年になりますと、友人知人の訃報に接する度にふと思わせられるのですが、そのような事には頓着しないで自然に任せておけばよい、と云われてみると、何となく楽になる気がします。
 藤場美津路の「ちょうどよい」と云う詩の一節に「死ぬ時までもちょうどよい」と言う一節がありますが、両者の死生観の見事な迄の一致に、心を動かされます。

 裏を見せ表を見せて散るもみじ (良寛さま辞世の句)


 さて、今年はこのブログを書き始めた2009年3月3日から、丁度10年になり、号数はこれが464号になりました。「石の上にも三年」等と云いつつ、紡ぎ続けて何時の間にか10年の月日が経っていて、自分でも驚く程です。未熟な文章を臆面も無く書き続けて来ました。読んで頂いている皆様には、心から厚くお礼申し上げます。
 この号を一つの区切りとして、心新たに、これからも感じたままに書き続けて、私の生き甲斐にさせて頂きたいと存じます。気弱な人間なので、皆様からのメールを受け取るように設定せず、一方通行の書きっぱなしで、申し訳ありません。
 たまたまひかりちゃんに依って、人間本来の心とは、どういうものかをも教えて貰いました。以来、行き交う子供達に対して、慈愛の心で接するようになった気がしています。
 良寛さまへの理解を一歩深めて、私のこれからの生き方の参考にしたいと念じています。