『マリリン 7日間の恋』をTOHOシネマズ六本木ヒルズで見ました。
(1)この映画は、原題が「My Week with Marilyn」であり、邦題だとマリリン・モンローが主体の恋物語のように思われてしまうところ、実は「My」とは、マリリン・モンローが出演する映画の助監督コリン・クラークの「My」であり、彼が彼女に恋したお話です(注1)。
さらに、映画の冒頭に、例によって「a true story」との文字が現れますが、この映画も『マーガレット・サッチャー』と同様、別に彼女の伝記をリアルに描くことが主眼ではないのではないか、むしろある24歳の青年と30歳の女性との恋物語だと受けとめてもいいのではないか、とも思われます。
そして、そうすることによって、クマネズミのようなマリリン・モンローの映画をホンの少ししか見たことがない者にとっても、この映画を随分と楽しむことが出来ました(もちろん、マリリン・モンローをよく知った上でこの映画を見てもそれはそれで楽しむことができることでしょうが)。
さて、マリリンは、自分が初めてプロデュースする作品『王子と踊り子』の撮影のために、夫アーサー・ミラー(ダグレイ・スコット)(注2)と一緒に、本作の舞台となるロンドンに行きます。
『王子と踊り子』の監督・主演は、舞台で同作品を演じたローレンス・オリヴィエ(ケネス・ブラナー)。
一方で、資産家で美術史学者の父親の息子ながら映画界入りを志した青年コリン・クラーク(エディ・レッドメイン)は、その映画の製作に当たり第3助監督(要は雑用係)に採用されます。
彼は、当初いろいろ失敗をしながらも、衣装係のルーシー(エマ・ワトソン)と付き合うようになります。ですが、マリリンの気まぐれな振る舞いに業を煮やしたローレンス・オリヴィエに、もっとマリリンに貼り付くように命じられます(注3)。
その仕事を通じてマリリンの真の姿を理解するようになったコリン・クラークは、次第にマリリンに対して恋心を抱くようになって(注4)、……といった感じです。
本作には、コリンとマリリンとの恋愛関係において、二つの山場があるように思いました。
一つ目は、コリンがマリリンを連れて、ロンドン郊外に小旅行に行ったことでしょう。
ウィンザー城に行って、ホルバインとかダヴィンチの絵を見たり(注5)、コリンの母校イートン校に行ったり(注6)、そこで2人は裸になって水浴びをしたりします(注7)。
この旅行は、運転手のロジャーが目を光らせていて、決して二人きりというわけではありませんでしたが、随分と二人の中が接近します。
二つ目は、マリリンが部屋に閉じこもってしまい、外から戸を叩いても何の反応もしなくなった時です。
関係者が心配するなか、まるでバルコニーをよじ登るロミオのように(注8)、コリンは立てかけた梯子を登って2階の窓からマリリンの部屋に入っていきます。
彼は、部屋の外にいる人のために鍵を開けることはせずに、ドアのところから立ち去るように求め、マリリンが目覚めた後、コリンは彼女と二人きりで親密に話をします(注9)。
こんな経緯もあったにもかかわらず、撮影が終わると、マリリンは夫のアーサ-・ミラーのもとに帰ってしまうのです。
まあ、コリンが如何に誠実に振る舞おうとも、夫のいるマリリンの恋人でいつまでもいられるはずもありませんが、それにしてもあっけない幕切れでした(注10)!
マリリンに扮する主演のミシェル・ウィリアムズは、『ブルーバレンタイン』における演技が印象的ですが、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされただけあって、『マーガレット・サッチャー』のメリル・ストリープと遜色ない演技を披露します。
ただ、本作は、マリリンというより、むしろコリン・クラークが主役のように思えるところがあって、アカデミー賞についてはメリル・ストリープの後塵を拝したのかもしれません。
そのコリン・クラークを演じるエディ・レッドメインは、第3助監督ながらマリリンと恋に落ちてしまうという役柄を実に瑞々しく演じているなと思います(なお、『ブーリン家の姉妹』(2008年)に出演していたようですが、印象に残っていません)。
その他には、出番は少ないながら、俳優シビル・ソーンダイクに扮するジュディ・デンチの存在感が際立っているように思いました。彼女は劇中映画『王子と踊り子』に皇太后役で出演するのですが、当初こそナンダこの若い女優はという態度を見せるものの(注11)、次第にオリヴィエとマリリンとの間に入って緊張緩和に努めるという難しい役を上手く演じています。
(2) この映画で興味を惹くのは、本作ではあまり明確に描かれていませんが、マリリンとオリヴィエの演技論の違いです(2人の間の確執は、どうやらそこに原因が求められます)。
新潮文庫『マリリン・モンロー 7日間の恋』の亀井俊介氏の解説によれば、マリリン・モンローは、リー・ストラスバーグから「メソッド」という演技法を学び、それは「俳優は単に真似するだけでなく、自身の「感情の記憶」を呼び戻してその人物の真実(リアリティ)を再現するように努めること」であり、「つまり俳優とその演じる対象の人物との人格的な融合が求められる」というものだったようです(P.239)。
そればかりか、この撮影にストラスバーグの妻ポーラ(ゾー・ワナメイカー)が演技指導者として同伴し、撮影現場にも彼女は立ち会ったのです。
これに対して、ローレンス・オリヴィエの方では、「演技とはある人物の外的な特質を集積して、その人物の人格を表現する入念な「技(テクニック)」にほかならな」いと考えていたようです(同)。
つまり、「オリヴィエから見れば、「メソッド」なんてちゃんちゃらおかしい自己満足の方法にすぎなかった」わけで(P.240)、これでは撮影現場が混乱するのも当然でしょう(注12)。
そこで、マリリンには、第3助監督のコリンが自分を助けてくれる“王子様”に見えたのかもしれません。
また、本作のオリヴィエも、最後にラッシュを見ながら、「演技の勉強をしないでこれだけの演技をするのだから」と感嘆し、「だから不幸なのだ」と言う一方で、「彼女を変えようと試みた私が馬鹿だった」とも嘆きます。
そして、オリヴィエは、映画監督に2度と携わることなく、演劇に専念するようになります。
ところで、Wikipediaによれば、上記の「メソッド演技法」は、「アメリカ映画、演劇を担う演劇方法、理論としての役割を確立」する一方で、「イギリスの俳優陣」、すなわちローレンス・オリヴィエのみならず、ピーター・ユスティノフ、ヒュー・グラント、アンソニー・ホプキンスなども同演技法を批判しているようです。
とすると、イギリス出身のサイモン・カーティス監督やイギリス出身の俳優ばかりの中で、アメリカ生まれのミシェル・ウィリアムズはどのように振る舞ったのでしょうか?
劇場用パンフレットに掲載された彼女のインタビュー記事では、これまでの「31年間の経験をなんとか繋ぎ合わせて、自分なりの演技法というのを培ってきたのよ。だからそれをどんな手法と呼ぶのか分からないけど、俳優は自分に合ったものを見つけ出せばいいんじゃないかしら」などと述べていますが(注13)。
そういえば、メリル・ストリープも、『マーガレット・サッチャー』の撮影においてミッシェル・ウィリアムズと同様の状況だったそうですが、彼女の演技法はどんなものなのでしょうか、興味のあるところです。
(3)渡まち子氏は、「ダンスシーンや「王子と踊り子」の演技などでは、マリリンそっくりの動きをみせはするが、ウィリアムズはあえてマリリンの“そっくりさん”になろうとせず、むしろ少女のように傷つきやすい繊細な内面からアプローチし、結果的に素晴らしいマリリンになった」として70点を付けています。
また、前田有一氏も、「ミシェル・ウィリアムズが往年の大スター、マリリン・モンローを演じて高く評価されたこの映画は、しかしマリリン世代以外の若い人にとっても楽しめるユニークな恋愛ドラマである」などとして70点を付けています。
(注1)映画の原作本を翻訳した新潮文庫『マリリン・モンロー 7日間の恋』(務台夏子訳)に掲載されている亀井俊介氏の解説に従うと、映画『王子と踊り子』に関して、コリン・クラークは2冊の本を書いています。
すなわち、一つが、1995年の『王子と踊り子と私』という日記(1956年6月3日~11月20日)ですが、「この日記は、9月9日から16日までの8日間が、何のことわりもなく欠落してい」て、その部分を埋めたのが二つ目の『マリリン・モンロー 7日間の恋』(2000年)とのこと(P.242)。
そして、本作の脚本を書いたエイドリアン・ホッジスへのインタビュー記事も新潮文庫版に掲載されていて、「物語の背景、映画関係の多彩なエピソードは、『王子と踊り子と私』から採用しました。より深い部分、映画後半の核心を成す素材は、『マリリン・モンロー 7日間の恋』からもらっています。今度の映画はまさに、ふたつのアプローチをブレンドした作品なのです」と述べられています。
(注2)映画『脳内ニューヨーク』の序盤で、演出家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が手掛けたのがアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』でした。
(注3)マリリンが、「私をスパイしてるの?」とか「あなたは誰の見方なの?」と言うと、コリンは、「まさか、あなたの味方です」と答えます。
(注4)本作によれば、コリンがマリリンを恋するようになったのは、当初は、見当たらなくなってしまった台本を探しに行ってマリリンの部屋に入った際に、彼女のヌードを目にしたのが直接的なきっかけとなっているように思われます。
(注5)息子の方のハンス・ホルバイン(1497年/98年 - 1543年)は、「大使たち」などの絵画で知られるところ、このサイトによれば、その「サー・ヘンリー・ギルフォード」(1527年)や「サー・トマス・モア」(1526年-1527年)がロンドン・ウィンザー城の「Royal Collection」所蔵とされています。
また、同サイトによれば、同コレクションには、ダ・ヴィンチの「レダの頭部」(1504年-1506年)などの素描も含まれています。
(注6)コリンは、8歳で寮に入れられたとマリリンに説明します。
(注7)2人が全裸で泳ぐ場所は映画では「池」のように見えましたが、原作では「川」とされています。イートン校は、テムズ川を挟んでウィンザー城の対岸にありますから、二人が飛び込んだのはテムズ川なのでしょう。
(注8)シェイクスピアの戯曲自体にはそうした指示はされていませんが、演出家によっては、ロミオがバルコニーのジュリエットと抱き合う演出も見かけるようです(特に、バレエの場合は、2人が手を携えて踊るパ・ド・ドゥになるようです)。
(注9)マリリンは、母親の写真を見るコリンに対して、「そのあと精神病院に入った」と言い、もう一方の写真を指して「これがリンカーン、本当の父親は分からないから」と言います。
また、マリリンは、「アーサーは、私のことについて、酷いことを書いていた。私を愛してくれる人は、皆あたしから去っていく。愛しているのはマリリン・モンローとしてだけ。実際のあたしがそれと違うと分かると、去って行ってしまう」などと言います。
そして、2人は重なったスプーンのようになって眠ってしまいます〔原作小説の解説者の亀井俊介氏も、ここら辺りが「ある意味で本書の山場」だと述べています(P.243)〕。
(注10)マリリンは、アーサーが米国からロンドンに戻ってくると、コリンに「今回の仕事が終わったら、アーサーのいい奥さんになる。私のことは忘れて」と言い、コリンが「こんな狂った世界を捨てるんだ、僕があなたを守る」と言うと、マリリンは、「私と結婚?そんなことはできない、私はこれでハッピー」と答えるのです。
そして、最後に、「皆さん、私を許して、私は病気なの、でも努力したの」と言って立ち去ります(本作の最後に、マリリンはもう一度コリンのところに現れて、「お別れを言いに来たの、私を忘れないで」と言い、去っていきます)。
コリンは、再度ルーシーのところに戻って土曜日の予定を尋ねますが、彼女は「心が傷ついたの?いい薬ね」と言い放ちます。果たして二人のヨリは戻るのでしょうか?
(注11)シビル・ソーンダイクは、台詞の言えないマリリンに対して、自分の家にきて一緒に練習をと声をかけるものの、マリリンは忘れてしまいます。でも、それで気を悪くせずに、なにかとマリリンを元気づけたりします。
(注12)マリリンが、場面の状況が理解出来ずに台詞に詰まってしまうと、オリヴィエは、「分かった振りをすればいいのだ」と言い、ポーラも「別のことを考えてみたら」とアドバイスしますが、マリリンは、「そんなことをしたらエルシー(映画『王子と踊り子』のヒロイン)が嘘っぽくなってしまう」と反論し、オリヴィエは怒ってしまいます。
(注13)ミシェル・ウイリアムズのインタビュー記事によれば、撮影に入る前に、彼女は、マリリン・モンローに関する資料を「山ほど」目を通したようです。あるいは、こうしたところが「メソッド演技法」の一つのやり方なのかもしれません。
ただ、同インタビュー記事の中で、「私とマリリンとの共通点といえば、きちんとした演技の勉強をしてこなかったというところにあると思う」と述べているくだりがあるのはどうしたことでしょう。マリリン・モンローが「メソッド演技法」を勉強したことはよく知られている事実にもかかわらず。
★★★☆☆
〔追記〕ちょうど本日(4月10日)発売された『文藝春秋』5月号に、「没後50年 発見 M・モンローの未公開メモ」と題した作家・井上篤夫氏のエッセイが掲載され、それによれば彼女は、『王子と踊り子』の撮影のためにロンドンに滞在しているときには、例えば次のようなメモを便箋に残しています。
「愛する人が私の横で寝ている。/薄暗い光のなか―/男らしい顎が見える/ふと少年時代そのままの/口元に戻っている/そのやわらかさは、/さらにやわらかくなって/その感じやすさがおののいている/……」(P.293)
ここで言う「愛する人」は夫アーサー・ミラーなのでしょうが、あるいはもしかしたらコリン・クラークなのかも?
なお、このメモは、アメリカで出版された『Fragments: Poems, Intimate Notes, Letters』(2010/10/12)に掲載されています。
象のロケット:マリリン 7日間の恋
(1)この映画は、原題が「My Week with Marilyn」であり、邦題だとマリリン・モンローが主体の恋物語のように思われてしまうところ、実は「My」とは、マリリン・モンローが出演する映画の助監督コリン・クラークの「My」であり、彼が彼女に恋したお話です(注1)。
さらに、映画の冒頭に、例によって「a true story」との文字が現れますが、この映画も『マーガレット・サッチャー』と同様、別に彼女の伝記をリアルに描くことが主眼ではないのではないか、むしろある24歳の青年と30歳の女性との恋物語だと受けとめてもいいのではないか、とも思われます。
そして、そうすることによって、クマネズミのようなマリリン・モンローの映画をホンの少ししか見たことがない者にとっても、この映画を随分と楽しむことが出来ました(もちろん、マリリン・モンローをよく知った上でこの映画を見てもそれはそれで楽しむことができることでしょうが)。
さて、マリリンは、自分が初めてプロデュースする作品『王子と踊り子』の撮影のために、夫アーサー・ミラー(ダグレイ・スコット)(注2)と一緒に、本作の舞台となるロンドンに行きます。
『王子と踊り子』の監督・主演は、舞台で同作品を演じたローレンス・オリヴィエ(ケネス・ブラナー)。
一方で、資産家で美術史学者の父親の息子ながら映画界入りを志した青年コリン・クラーク(エディ・レッドメイン)は、その映画の製作に当たり第3助監督(要は雑用係)に採用されます。
彼は、当初いろいろ失敗をしながらも、衣装係のルーシー(エマ・ワトソン)と付き合うようになります。ですが、マリリンの気まぐれな振る舞いに業を煮やしたローレンス・オリヴィエに、もっとマリリンに貼り付くように命じられます(注3)。
その仕事を通じてマリリンの真の姿を理解するようになったコリン・クラークは、次第にマリリンに対して恋心を抱くようになって(注4)、……といった感じです。
本作には、コリンとマリリンとの恋愛関係において、二つの山場があるように思いました。
一つ目は、コリンがマリリンを連れて、ロンドン郊外に小旅行に行ったことでしょう。
ウィンザー城に行って、ホルバインとかダヴィンチの絵を見たり(注5)、コリンの母校イートン校に行ったり(注6)、そこで2人は裸になって水浴びをしたりします(注7)。
この旅行は、運転手のロジャーが目を光らせていて、決して二人きりというわけではありませんでしたが、随分と二人の中が接近します。
二つ目は、マリリンが部屋に閉じこもってしまい、外から戸を叩いても何の反応もしなくなった時です。
関係者が心配するなか、まるでバルコニーをよじ登るロミオのように(注8)、コリンは立てかけた梯子を登って2階の窓からマリリンの部屋に入っていきます。
彼は、部屋の外にいる人のために鍵を開けることはせずに、ドアのところから立ち去るように求め、マリリンが目覚めた後、コリンは彼女と二人きりで親密に話をします(注9)。
こんな経緯もあったにもかかわらず、撮影が終わると、マリリンは夫のアーサ-・ミラーのもとに帰ってしまうのです。
まあ、コリンが如何に誠実に振る舞おうとも、夫のいるマリリンの恋人でいつまでもいられるはずもありませんが、それにしてもあっけない幕切れでした(注10)!
マリリンに扮する主演のミシェル・ウィリアムズは、『ブルーバレンタイン』における演技が印象的ですが、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされただけあって、『マーガレット・サッチャー』のメリル・ストリープと遜色ない演技を披露します。
ただ、本作は、マリリンというより、むしろコリン・クラークが主役のように思えるところがあって、アカデミー賞についてはメリル・ストリープの後塵を拝したのかもしれません。
そのコリン・クラークを演じるエディ・レッドメインは、第3助監督ながらマリリンと恋に落ちてしまうという役柄を実に瑞々しく演じているなと思います(なお、『ブーリン家の姉妹』(2008年)に出演していたようですが、印象に残っていません)。
その他には、出番は少ないながら、俳優シビル・ソーンダイクに扮するジュディ・デンチの存在感が際立っているように思いました。彼女は劇中映画『王子と踊り子』に皇太后役で出演するのですが、当初こそナンダこの若い女優はという態度を見せるものの(注11)、次第にオリヴィエとマリリンとの間に入って緊張緩和に努めるという難しい役を上手く演じています。
(2) この映画で興味を惹くのは、本作ではあまり明確に描かれていませんが、マリリンとオリヴィエの演技論の違いです(2人の間の確執は、どうやらそこに原因が求められます)。
新潮文庫『マリリン・モンロー 7日間の恋』の亀井俊介氏の解説によれば、マリリン・モンローは、リー・ストラスバーグから「メソッド」という演技法を学び、それは「俳優は単に真似するだけでなく、自身の「感情の記憶」を呼び戻してその人物の真実(リアリティ)を再現するように努めること」であり、「つまり俳優とその演じる対象の人物との人格的な融合が求められる」というものだったようです(P.239)。
そればかりか、この撮影にストラスバーグの妻ポーラ(ゾー・ワナメイカー)が演技指導者として同伴し、撮影現場にも彼女は立ち会ったのです。
これに対して、ローレンス・オリヴィエの方では、「演技とはある人物の外的な特質を集積して、その人物の人格を表現する入念な「技(テクニック)」にほかならな」いと考えていたようです(同)。
つまり、「オリヴィエから見れば、「メソッド」なんてちゃんちゃらおかしい自己満足の方法にすぎなかった」わけで(P.240)、これでは撮影現場が混乱するのも当然でしょう(注12)。
そこで、マリリンには、第3助監督のコリンが自分を助けてくれる“王子様”に見えたのかもしれません。
また、本作のオリヴィエも、最後にラッシュを見ながら、「演技の勉強をしないでこれだけの演技をするのだから」と感嘆し、「だから不幸なのだ」と言う一方で、「彼女を変えようと試みた私が馬鹿だった」とも嘆きます。
そして、オリヴィエは、映画監督に2度と携わることなく、演劇に専念するようになります。
ところで、Wikipediaによれば、上記の「メソッド演技法」は、「アメリカ映画、演劇を担う演劇方法、理論としての役割を確立」する一方で、「イギリスの俳優陣」、すなわちローレンス・オリヴィエのみならず、ピーター・ユスティノフ、ヒュー・グラント、アンソニー・ホプキンスなども同演技法を批判しているようです。
とすると、イギリス出身のサイモン・カーティス監督やイギリス出身の俳優ばかりの中で、アメリカ生まれのミシェル・ウィリアムズはどのように振る舞ったのでしょうか?
劇場用パンフレットに掲載された彼女のインタビュー記事では、これまでの「31年間の経験をなんとか繋ぎ合わせて、自分なりの演技法というのを培ってきたのよ。だからそれをどんな手法と呼ぶのか分からないけど、俳優は自分に合ったものを見つけ出せばいいんじゃないかしら」などと述べていますが(注13)。
そういえば、メリル・ストリープも、『マーガレット・サッチャー』の撮影においてミッシェル・ウィリアムズと同様の状況だったそうですが、彼女の演技法はどんなものなのでしょうか、興味のあるところです。
(3)渡まち子氏は、「ダンスシーンや「王子と踊り子」の演技などでは、マリリンそっくりの動きをみせはするが、ウィリアムズはあえてマリリンの“そっくりさん”になろうとせず、むしろ少女のように傷つきやすい繊細な内面からアプローチし、結果的に素晴らしいマリリンになった」として70点を付けています。
また、前田有一氏も、「ミシェル・ウィリアムズが往年の大スター、マリリン・モンローを演じて高く評価されたこの映画は、しかしマリリン世代以外の若い人にとっても楽しめるユニークな恋愛ドラマである」などとして70点を付けています。
(注1)映画の原作本を翻訳した新潮文庫『マリリン・モンロー 7日間の恋』(務台夏子訳)に掲載されている亀井俊介氏の解説に従うと、映画『王子と踊り子』に関して、コリン・クラークは2冊の本を書いています。
すなわち、一つが、1995年の『王子と踊り子と私』という日記(1956年6月3日~11月20日)ですが、「この日記は、9月9日から16日までの8日間が、何のことわりもなく欠落してい」て、その部分を埋めたのが二つ目の『マリリン・モンロー 7日間の恋』(2000年)とのこと(P.242)。
そして、本作の脚本を書いたエイドリアン・ホッジスへのインタビュー記事も新潮文庫版に掲載されていて、「物語の背景、映画関係の多彩なエピソードは、『王子と踊り子と私』から採用しました。より深い部分、映画後半の核心を成す素材は、『マリリン・モンロー 7日間の恋』からもらっています。今度の映画はまさに、ふたつのアプローチをブレンドした作品なのです」と述べられています。
(注2)映画『脳内ニューヨーク』の序盤で、演出家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が手掛けたのがアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』でした。
(注3)マリリンが、「私をスパイしてるの?」とか「あなたは誰の見方なの?」と言うと、コリンは、「まさか、あなたの味方です」と答えます。
(注4)本作によれば、コリンがマリリンを恋するようになったのは、当初は、見当たらなくなってしまった台本を探しに行ってマリリンの部屋に入った際に、彼女のヌードを目にしたのが直接的なきっかけとなっているように思われます。
(注5)息子の方のハンス・ホルバイン(1497年/98年 - 1543年)は、「大使たち」などの絵画で知られるところ、このサイトによれば、その「サー・ヘンリー・ギルフォード」(1527年)や「サー・トマス・モア」(1526年-1527年)がロンドン・ウィンザー城の「Royal Collection」所蔵とされています。
また、同サイトによれば、同コレクションには、ダ・ヴィンチの「レダの頭部」(1504年-1506年)などの素描も含まれています。
(注6)コリンは、8歳で寮に入れられたとマリリンに説明します。
(注7)2人が全裸で泳ぐ場所は映画では「池」のように見えましたが、原作では「川」とされています。イートン校は、テムズ川を挟んでウィンザー城の対岸にありますから、二人が飛び込んだのはテムズ川なのでしょう。
(注8)シェイクスピアの戯曲自体にはそうした指示はされていませんが、演出家によっては、ロミオがバルコニーのジュリエットと抱き合う演出も見かけるようです(特に、バレエの場合は、2人が手を携えて踊るパ・ド・ドゥになるようです)。
(注9)マリリンは、母親の写真を見るコリンに対して、「そのあと精神病院に入った」と言い、もう一方の写真を指して「これがリンカーン、本当の父親は分からないから」と言います。
また、マリリンは、「アーサーは、私のことについて、酷いことを書いていた。私を愛してくれる人は、皆あたしから去っていく。愛しているのはマリリン・モンローとしてだけ。実際のあたしがそれと違うと分かると、去って行ってしまう」などと言います。
そして、2人は重なったスプーンのようになって眠ってしまいます〔原作小説の解説者の亀井俊介氏も、ここら辺りが「ある意味で本書の山場」だと述べています(P.243)〕。
(注10)マリリンは、アーサーが米国からロンドンに戻ってくると、コリンに「今回の仕事が終わったら、アーサーのいい奥さんになる。私のことは忘れて」と言い、コリンが「こんな狂った世界を捨てるんだ、僕があなたを守る」と言うと、マリリンは、「私と結婚?そんなことはできない、私はこれでハッピー」と答えるのです。
そして、最後に、「皆さん、私を許して、私は病気なの、でも努力したの」と言って立ち去ります(本作の最後に、マリリンはもう一度コリンのところに現れて、「お別れを言いに来たの、私を忘れないで」と言い、去っていきます)。
コリンは、再度ルーシーのところに戻って土曜日の予定を尋ねますが、彼女は「心が傷ついたの?いい薬ね」と言い放ちます。果たして二人のヨリは戻るのでしょうか?
(注11)シビル・ソーンダイクは、台詞の言えないマリリンに対して、自分の家にきて一緒に練習をと声をかけるものの、マリリンは忘れてしまいます。でも、それで気を悪くせずに、なにかとマリリンを元気づけたりします。
(注12)マリリンが、場面の状況が理解出来ずに台詞に詰まってしまうと、オリヴィエは、「分かった振りをすればいいのだ」と言い、ポーラも「別のことを考えてみたら」とアドバイスしますが、マリリンは、「そんなことをしたらエルシー(映画『王子と踊り子』のヒロイン)が嘘っぽくなってしまう」と反論し、オリヴィエは怒ってしまいます。
(注13)ミシェル・ウイリアムズのインタビュー記事によれば、撮影に入る前に、彼女は、マリリン・モンローに関する資料を「山ほど」目を通したようです。あるいは、こうしたところが「メソッド演技法」の一つのやり方なのかもしれません。
ただ、同インタビュー記事の中で、「私とマリリンとの共通点といえば、きちんとした演技の勉強をしてこなかったというところにあると思う」と述べているくだりがあるのはどうしたことでしょう。マリリン・モンローが「メソッド演技法」を勉強したことはよく知られている事実にもかかわらず。
★★★☆☆
〔追記〕ちょうど本日(4月10日)発売された『文藝春秋』5月号に、「没後50年 発見 M・モンローの未公開メモ」と題した作家・井上篤夫氏のエッセイが掲載され、それによれば彼女は、『王子と踊り子』の撮影のためにロンドンに滞在しているときには、例えば次のようなメモを便箋に残しています。
「愛する人が私の横で寝ている。/薄暗い光のなか―/男らしい顎が見える/ふと少年時代そのままの/口元に戻っている/そのやわらかさは、/さらにやわらかくなって/その感じやすさがおののいている/……」(P.293)
ここで言う「愛する人」は夫アーサー・ミラーなのでしょうが、あるいはもしかしたらコリン・クラークなのかも?
なお、このメモは、アメリカで出版された『Fragments: Poems, Intimate Notes, Letters』(2010/10/12)に掲載されています。
象のロケット:マリリン 7日間の恋