映画的・絵画的・音楽的

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ヘルプ

2012年04月18日 | 洋画(12年)
 『ヘルプ 心がつなぐストーリー』をTOHOシネマズシャンテで見ました(注1)。

(1)本作については、この映画館を随分と利用しているために何回も予告編を見て、それで全部分かったような気になっていましたが、実際に見てみると、また予告編では味わえない面白さがありました。

 物語の舞台は、公民権運動が高まりを見せていた頃の南部ミシシッピー州ジャクソン。ラスト近くでは、TVに映し出される、凶弾に倒れたケネディ大統領の葬儀の模様を皆で見ているシーンがありますから、1964年に公民権法がジョンソン大統領の下で成立する前の頃の時期といえます。

 白人女性の主人公スキーターエマ・ストーン)は、大学を卒業して、新聞社でアルバイト的な仕事をしていたところ、その仕事を通じて“通いの黒人メイド”(「ヘルプ」)(注2)の実態を知るようになり(注3)、彼女達の証言を集めて本にしようと思いたちます。
 ですが、知り合いのメイドのエイビリーンヴィオラ・デイヴィス)や彼女を通じて知ったミニーオクタヴィア・スペンサー)の協力は何とか得られたものの、その先にはなかなか進みません。そんなことがバレたら、勤め先を解雇されてしまうのは必至ですから。
 でも、仲間が公衆の面前で警官に酷い仕打ちを受けたのを見たメイド達が(注4)、次々と口を開くようになり、ようやく『The Help』が出版されるに至ります。
 でも、彼らメイドを使っていた白人たちは、こうした事態を黙って見ていたのでしょうか、その後事態はどのように展開していくでしょうか?

 本作では、こうしたメインの話を肉付けすべく、エイビリーンやミニーが働く白人家庭の様子が、むしろ彼らの視点の方からなかなか興味深く(ときには皮肉をこめてユーモラスに)描き出されています。



 例えば、本作における憎まれ役はヒリーブライス・ダラス・ハワード)が一手に引き受けているところ、地域の若い白人女性たちのリーダー的な存在である彼女は、一方で、メイド専用のトイレを家の外に作ることを義務付ける法案を準備し、各方面にいろいろ働きかけを行っています。
 こうした動きに堪えられなくなったのでしょう、スキーターは、ヒリーの活動に対して冷水を浴びせることになる仕掛けを施したりします(注5)。
 他方で、ヒリーは、ミニーによるチョコパイ事件(注6)に最後まで祟られてしまうのです。

 こうして、本作は、人種差別を描いてはいるものの総じてコメディタッチであり、ありきたりの人種差別糾弾物とは相当隔たっていると思われます。

 スキーターを演じる主演のエマ・ストーンは始めて見ますが、一歩間違えば大変な事態を招きかねない企てにのめり込む役柄に、まさにピッタリという感じでした。



 エイブリーンに扮するヴィオラ・デイヴィスは、『ダウト』で注目され、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』でも“black”氏の妻の役を演じているところ、本作では、期待していた長男を亡くして気落ちしていながらも(注7)、スキーターを支えるという極めて重要な役柄を大層巧みに演じていると思いました。



 ミニー役のオクタヴィア・スペンサーは、本作でアカデミー賞助演女優賞を獲得したのは十分うなずけるところです。



 ヒリーに扮するブライス・ダラス・ハワードは、『50/50 フィフティ・フィフティ』でも主人公から離れてしまう役を演じていましたが、本作では、皆の憎しみを一身に受けながらも、どこか抜けていてとことん憎めない女という実に難しい役をうまくこなしています。

(2) ありきたりの人種差別糾弾物とは隔たっていると上で申し上げましたが、この映画で描かれているのはまさに人種差別とはいえ、別の観点からすると職業的な差別とされるものが描かれているに過ぎないようにも思われます。
 クマネズミが暮らしたことがあるブラジルでは、中以上のマンションになると、メイド(現地語ではempregada)専用の部屋が各家に設けられ、そこには当然のことながらメイド専用のバスルームも設けられているのです(さらに、メイド専用のエレベーターも設けられています)。
 これは、ジャクソンの場合のように通いではなく住み込みですから、同日の談ではないのでしょう。でも、雇う側とメイドとの間に仕切りを設けていることには変わりがないと思われます。
 それでも、差別されているとメイド達が思っているようには見受けませんでした。問題があるとしたら、そうしたメイド達を排出する貧民窟(favela)の存在、そして彼らの貧しさの寄って来るところにこそあるのではないでしょうか。

 本作の場合、差別の問題が絡まってくるのは、メイド達が黒人であって、黒人の女性はそうした職にしか就けないという事情があるからだと思われます。
 そこに問題があるにもかかわらず、「ヘルプ」という職業にまつわる問題を取り上げること(スキーターの著書も、そうした内容のように見受けられます)が人種差別問題究明につながるという物語になっているように見える点が本作の一つの限界ではないのか、と思ったりしています(ただし、ここら辺りはなかなか難しい問題で、もっと検討する必要があるでしょう)。

(3)また本作は、「ヘルプ」たちの無記名の証言を集めた『The Help』という本の出版を巡るお話ともいえるでしょう。
 ですから、原作小説は、映画『ヒューゴの不思議な発明』の原作小説『ユーゴの不思議な発明』のような構成(注8)になっているのかな、と期待しました。ですが、実際に同小説〔キャスリン・ストケット著『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(集英社文庫、栗原百代訳、2012.2)〕に当たってみると、その予想は見事に外れてしまいました。
 原作小説は、全体で34章、エイビリーン、ミニーそしてスキーターが、大体3章ずつ割り振られて、繰り返し物語を語っていく、という構成になっているのです(ただし、第25章「慈善パーティー」だけは、“神の視点”にたった客観的な描写です)。
 大体、本の題名を検討しているときに、スキーターはミニーに向かって、「この本は小説じゃないのよ、ミニー。社会学の本なの(注9)。的確な題名にしなくちゃ」と言うのですから(P.201)、元々が“入れ子”構造になりようがありません。

 といっても、ミニーのチョコパイ事件がこの著書には書き込まれているのです。
 ミニーがその書き込みを強く主張したのは、そうすればこの著書の舞台が逆にジャクソンではないことになって、証言したメイドが不利な扱いをされなくなるとの理屈からです。
 確かに、ヒリーは、その話が掲載されている章を読んで甚だしい衝撃を受けるものの(注10)、それでミニーたちを攻撃したら自分の馬鹿さ加減も同時に認めることになると悟って、賢明にも、この本の舞台はジャクソンではないと明言するようになります。
 ただ、こうした書き込みがなされていること自体は、この著書が「社会学」の硬い本から随分と逸脱していて、むしろ小説まがいのものであると思わせます。

 なお、映画においても、原作小説の構成の片鱗が残されていて、エイブリーンのナレーションで物語が展開されていきます。ただ、そうしてしまうと、一方で映画はスッキリとするものの、他方で、スキーターとかミニーが活躍する場面は、誰の視点から見ているのか、ということが問題になりかねないのではないでしょうか?

(4)渡まち子氏は、「色鮮やかな衣装、おいしそうな南部料理、女たちのにぎやかなおしゃべり。小さな勇気が、時代に風穴を開けるストーリーは、最後まで楽観的だ。彼女たちは、その後の苦労も、きっと持ち前のしなやかさでやりすごしていくことだろう。偉人ではない、名もなきメイドたちの声に、とことん前向きになれる感動作である」として75点をつけています。




(注1)原題は、原作小説と同様、『The Help』。

(注2)一般に、自分の子供は養子に出したり、施設に預けたりしながら、白人の家庭に通ってその家の家事一切を行う黒人のメイドを「ヘルプ」というようです。
 本作で中心的な役割を果たすエイブリーンも、これまで17人の白人の子供を育てたとされています(他方、ミニーは、家に帰ると大勢の子供が待っています)。

(注3)スキーターが黒人メイドについて関心を持った一つの切っ掛けは、自分を母親のように親身になって育ててくれた黒人メイドのコンスタンティンが家に戻った時にはいなくなっていて、その理由について母親があいまいにしていたこともあるでしょう。

(注4)あるメイドが、居間の掃除中にソファーの陰に落ちていた指輪を見つけ、それを質屋に持ち込んだら盗みとされ警官に逮捕されますが、その際の酷く手荒な扱いに見ていたメイド達が憤激します。

(注5)地域の若い白人女性たちが作る会合の会報の編集を任せられていたスキーターは、メイド専用のトイレを家の外に作ることを義務付ける法案をその会報に掲載するようヒリーに要請されていたにもかかわらず、何度かすっぽかしていました。
 しかしながら、断り切れなくなってその掲載を余儀なくされるのですが、その際、ちょっとした仕掛けを施します。というのも、会の活動の一環として、「古いコート」を集めて換金し、それをアフリカの子供の支援に充てるという事業があるところ、その広報に際して、「leave old coat」とすべきところ、よくはわからなかったのですが、どうも「leave old seat」と修正を施して会報を配布したようなのです。
 ヒリーの家の前庭には、すごい数の便器(seat:便座)が瞬く間に放置されることになってしまいました!
このサイトの記事の中では、ここら辺りのことについて、「Skeeter puts Hilly's new law in the newsletter, as well as a note about a charity coat drive; donors are asked to bring old coats to Hilly's house. Skeeter gets an idea to change it from coats to something else.
」と述べられています〕

(注6)ヒリーに余りに酷い扱いをされたミニーが、怒りのあまり、ヒリーに自分の作ったパイを届けて食べてもらいますが、実はその中に自分の大便を巧妙にまぶしていました!
 なお、そのチョコパイはオークションに出品され、開明的なヒリーの母親(シシー・スペイセク)が落札するというオマケまでつきます(自分を老人ホームにぶち込んだ娘ヒリーに対する復讐といった意味があります)。

(注7)エイブリーンの話によれば、材木を運んでいた息子(当時24歳)がトラックに轢かれたとき、人々は彼を黒人病院に投げ込んだだけで、殺されたも同然だったとのこと。

(注8)『ユーゴの不思議な発明』は、当該小説の中で書かれている小説が、実は当該小説それ自身であるという“入れ子”構造になっています。

(注9)“黒人メイド”に対するインタビューを集めたものだから「社会学」だというのでしょうが、そういうためには、舞台とされている都市名を実在のものにするとか、こうした生の材料を社会学的な手法を使ってどんな分析がなされているかが重要なのでは、と思われますが、そこら辺りのことはよくわかりません。

(注10)映画では、就寝前にベッドでこの本を読んでいたヒリーが、当該個所を読んで、余りのことに狂ったように大声で喚きます!




★★★☆☆



象のロケット:ヘルプ~心がつなぐストーリー