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奇跡

2011年07月02日 | 邦画(11年)
 『奇跡』を吉祥寺バウスシアターで見てきました。

(1)予告編を見て、子役が中心の映画だとわかったので見る気が失せてしまったのですが(子役とかペットが売りの映画は基本的には嫌いなので)、監督が、『空気人形』や『歩いても、歩いても』の是枝裕和氏であり、特に後者に出演していた阿部寛とか樹木希林原田芳雄夏川結衣らも出演するというので、それではと映画館に出かけてみました。

 映画が始まると、冒頭に「ジェイアール東日本企画」と映し出され、また特別協賛に「JR九州」とあるところから、もしかして『津軽百年食堂』と同類なの、と危惧してしまいました。
 まして、そちらが漫才コンビ「オリエンタルラジオ」が主演なら、こちらも兄弟でお笑いをやっている「まえだまえだ」、そちらが「はやぶさ」開業を控えての映画制作なら、こちらは九州新幹線全線開業を受けてのもの、そちらが「津軽そば」なら、こちらは鹿児島名物「かるかん」ですから!

 とはいえ、『津軽百年食堂』の方は、国会議員が発起人に名を連ねていることからも分かるように、地方振興という政治的な強い臭いをどうしても映画に嗅ぎ取ってしまうのに対し、こちらには余りそうした臭みは感じないのです。
 それには何と言っても、「まえだまえだ」の2人が実に達者な演技を披露していることが大きく与っているのでは、と思われます。
 加えて、JR九州が特別協賛し、九州新幹線全線開業を踏まえてのものだといっても、航一・龍之介の兄弟たちが利用するのは在来線ですし、ことさら列車の光景がプレイアップされているわけでもありません。

 特に、桜島の雄大な景色が何度も映し出され、そこには観光映画的な色彩も感じられるものの、実際には、周辺で生活する人にとって、桜島は実に厄介で、兄の航一が何度も「訳わからんわ」と呟くほか仕方がないようなシロモノであることが映画では強調されてもいます(祖父が折角作った「かるかん」も、航一によれば「何んやぼんやりした味」ですし!)。

 といったようなことから、この映画に対しては、『津軽百年食堂』を見たときのような違和感をあまり感じませんでした。

 とはいえ、いろいろ粗を感じるものです。たとえば、
イ)「さくら」と「つばめ」の一番列車がすれ違うのが川尻駅そばとのことで、それ以上何も調べずに航一らが出かけてみると、駅の周囲は高架ばかりで見学が難しいとわかります。そこで、トンネルの出入口ならば通過する列車を見ることができるからと、偶々泊めてもらった家の老夫婦が運転する車に乗せてもらって行ってみると、ちょうどそこが二つの一番列車がすれ違う地点でもあったのです!なんというご都合主義なのでしょうか?

ロ)航一は祖父(橋爪功)の了解を得ているにしても、そのほかの子どもたちは一泊旅行について親の了承を得ているとは思えないところです(とにかく、宿泊先が事前に決まっていないのですから)。モンスターペアレントたちが跋扈する今の日本でそんなことが起きたら、九州各地で大々的な捜索が行われるに違いありません!



 とはいえ、そんなことを言い募っても実に虚しい感じがします。
 当の監督は、そんな他愛もないことなど十分織り込み済みで映画の製作に当たっているでしょうから。
 それに、「奇跡」というタイトルだからといって、『歩いても、歩いても』などの作品を手がけている是枝監督なら、まともに「奇跡」を描き出すはずもないことくらい、見る前から予想がつきます。
 マア、一つの小さな目的に向かって子どもたちが一生懸命になり、あちこち走り回りはするものの、そして周囲の大人たちもそれにわずかながら影響されますが、とはいえ、出来事の前と後では、殆ど何も変わっておらず、「退屈な毎日も/当然のように過ぎていく」(注1)という結果になるのは既定事実でしょう!
 絵の中にせよ桜島が大爆発するシーンが挿入されているのは、もしかしたら、観客に対する監督のサービスかもしれません。
 とはいえ、兄の航一が、弟の龍之介に向って、当初決めたように家族の再結成を祈らずに「世界」を願ったと言いますが、こうしたとってつけたシーンがなければもっとよかったのにとは、思いましたが。

 実は、連日の暑さの中、こうした映画で「ほっこり」などしたくはありませんから、子どもたちのこともさることながら、むしろオダギリジョーと原田芳雄がどんな感じなのか、に注目していました(注2)。

 まず、オダギリジョーは、映画で見るのは『Plastic City』以来で、この映画では、大阪で妻(大塚寧々)と暮らしていた生活を打ち切り福岡に戻って、十何年振りかで仲間とバンドを組みギターの演奏活動を始めるという役を演じています(『パッチギ』では、フォークギターを弾いていましたっけ)。どんな役柄でも、ピタッとうまくそれにはまってしまうのはいつもの通りで、登場する時間は少ないながら、存在感をいかんなく発揮していますし、そうであるならもっともっと映画に出演してもらいたいものだと思いました(注3)。
 そういえば、『空気人形』においても、人形師という頗る変わった役柄を演じていました!



 また、原田芳雄ですが、病気もし、また既に70歳を超えていますから機会が少なくなるのは当然ながら(一昨年の『黄金花』は印象に残ります)、この映画ではシルバーの駐輪場管理員を演じているものの、もう少し出番があってもいいのでは、と少し残念な気もいたしました(もうすぐ公開される『大鹿村騒動記』を期待いたしましょう)。

(2)この映画を見て、誠にどうでもいいことながら、タイトルの「奇跡」の意味合いは何なんだろうと思ってしまいました。
 一般的には、ほとんど起こるはずのないような願い事、それでもホンの僅かの稀な可能性なら残っているような願い事が起こった時に、「奇跡」と言うのではと思われます。
 でも、この映画には、そんなに起こる確率が低そうな事柄はほとんど見当たらないのではないでしょうか?
 航一と龍之介とが家族で一緒に暮らすこと、「かるかん」事業が成功すること、などが挙げられるでしょうが、いずれも起こる可能性がそんなに低い願い事とはいえないように思われます。

 そういえば、先般も『太平洋の奇跡』がありましたし、『阪急電車』でも副題「片道15分の奇跡」というように、タイトルに「奇跡」が使われていました。
 前者では、サイパン島の悲惨な戦いの中で大場大尉の率いる部隊が生き残り、米軍と戦い続けたあげく、最後は整然と降伏したことを「奇跡」としていて、これは十分に頷けるところです。
 ですが後者の場合には、小さな親切運動的な事柄(それも「願い事」というよりもお節介事)が「奇跡」と持ち上げられているような感じを受けてしまいます。

 そんなこんなで、このところ邦画界では「奇跡」が大安売りなのでは、という気がしてきます。
 とはいえ、「奇跡」とする対象範囲が拡大しているからといって、別にとがめ立てをするつもりは毛頭ありません。ただ、なんだかこうした傾向には、昨今のギリギリまで追い詰められて酷い閉塞感が漂う日本の現状(特にその政治状況)を何とかしてほしいという人々の切実な願いが込められているのではないかと思えてきます(注4)。

(3)渡まち子氏は、「航一と龍之介の背景を丁寧なエピソードで積み重ねたことで、彼らの願いと心の成長がスムーズに感じられる。さらに、懸命に生きる大人の姿も盛り込み、その土地の魅力が立ち上るご当地映画としても第一級の作品になっている」「両親の離婚で深く傷つきながらも、自分の力だけではどうしようもないことがあり、それを受け入れることを学んでいく二人。まだ思春期にも満たない少年たちは、仲間との小さな旅を通して世界に思いをはせ、少しだけ、でも確かに大人になった」として85点もの高得点をつけています。
 福本次郎氏は、「子供たちが、子供たちなりに悩み、知恵を絞り、大人の力を借りずに冒険しようとする姿がたくましくも微笑ましい。映画は、この年齢ならではの正直さと、芽生え始めた他人への思いやりや独立心といった繊細な感情をリアルに描く」として50点をつけています。


(注1)映画の主題歌であるくるりの「奇跡」より。

(注2)2人は『たみおのしあわせ』で共演しています。

(注3)彼の監督作品『さくらな人たち』(2007年)をDVDで見ましたが、出演している河本準一などは熱心に演じていたものの、全体としてちょっとどーもという感じです。

(注4)このサイトの記事によれば、「奇跡」と「奇蹟」とは意味が違い、「奇蹟」とは、「神様が何か意思を持って起こしたことで、神様の力を現実に見せることができるものの事をい」うとあります。
 また、橋爪大三郎・大澤真幸著『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、2011.5)には、「世界が自然法則に従って合理的に動いていると考えるからこそ、奇蹟の観念が成り立つ」などとあります(P.117)。




★★★☆☆




象のロケット:奇跡


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7 コメント

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Unknown (リバー)
2011-07-02 16:03:16
TB ありがとうございます。

なんとも こころが温かくなるお話で
さすが、是枝監督でした

やはり 私的には大人たちの視線が好きでした
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奇跡の正体 (ふじき78)
2011-07-03 01:41:57
> ちょうどそこが二つの一番列車がすれ違う地点でもあったのです!

この映画の中で、どこか一か所「奇跡」を探せと言ったら、彼らが体験したいと思ったその瞬間に彼らが立ち会えた事、それが奇跡でしょう。
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Unknown (Unknown)
2011-07-03 02:26:22
福岡も鹿児島も、一泊は「勉強会」ということになってたようですね。
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今時の親 (クマネズミ)
2011-07-03 05:27:34
Unknownさん、貴重なご指摘ありがとうございます。
でも、「勉強会」で泊まりに行くにしても、宿泊場所(住所や電話番号も含めて)を事前にしっかり確認せずに子供を送り出す親が、今の日本であんなに沢山存在するとは思えないのですが?
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奇跡? (クマネズミ)
2011-07-03 05:45:08
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
確かに、子供達の受ける印象からしたら、もしかしたら「奇跡」なのかもしれません。あるいは、この奇跡が次の奇跡を呼ぶということなのでしょう。
でも実際のところは、二つの新幹線がそこですれ違うという客観的事象自体は、毎日起こっていることで、事前にJR職員にでも確かめれば分かることでもあり、はたしてそんなものまで「奇跡」というのかしら、と思ってしまうのですが?
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TBありがとうございました (sakurai)
2011-07-03 08:10:06
日常におこってることって、奇跡の積み重ねじゃないかなと思うことがよくあります。
今日、おいしい味付けが出来たこと。
いい映画に出会えたこと。
きゅうりがまっすぐなったこと。。
当たり前のことなんだけど、それはいろんな偶然が重ねって、自分や、みんながあるんだ!と思うと、世の中は素敵な奇跡がいっぱいあるように感じます。
どこか大人びた子どもたちでしたが、何かを信じたい、と言う気持ちが、ほっとさせるものを感じさせてくれました。

親としては、子供が泊まりに行くのをよしとはしませんが、子供を信じてやろうという大人の目線の表しかたのひとつだったように思えました。
「津軽千年食堂」はスルーしたんですが、そんな感じだったんですか。参考になりました。
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奇跡って? (クマネズミ)
2011-07-03 20:58:25
sakuraiさん、TB&コメントを誠にありがとうございます。
おっしゃるように「日常におこってることって、奇跡の積み重ね」なのかもしれません。そして、「世の中は素敵な奇跡がいっぱいある」のかもしれません。
でも、子供達は、極く稀れにしか起こらない本当の「奇跡」を求めて大胆な行動を起こしたのではないでしょうか?
そして、それを取り扱うのが、是枝監督だからこそ、ソウは簡単に「奇跡」などは起こさないのではないでしょうか?ヤッパリ、一泊旅行の前と後では、ホンの少ししか事態は変わらないのではないでしょうか?それは「奇跡」と言うよりも、日常生活そのものなのではないでしょうか?
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