大層評判が高いにもかかわらず、新宿バルト9での上映中は見逃してしまった『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』を、吉祥寺バウスシアターのレイトショーで見ることができると聞きこんで、取るものもとりあえず上映2日目に行ってきました。
(1)映画は、埼玉のラッパーグループ「Sho-gung」の片割れのイック(駒木根隆介)とトム(水澤紳吾)が、群馬にやってきたところから始まります。憧れの「伝説のタケダ先輩」がライブを繰り広げた聖地を探しに、地図だけを頼りにやってきた由。
そこで偶然にも、アユム(山田真歩)に道を尋ねます。彼女も以前ヒップホップをやっていました。
アユムは、彼らに触発されて、以前の仲間を集め、自分達のグループ「B-hack」の復活ライブをやろうよ、と言いだします。
そうしたところ、駒瀬川の河原で、片や「Sho-gung」の2人組、片や「B-hack」の5人組はラッパーとして激突します(ここで素晴らしい“ヒップホップ合戦”が繰り広げられます)。
ここからは、かって「B-hack」のメンバーだった女の子たちの現実の生活ぶりが描き出されていきます。
たとえば、アユムは、今ではこんにゃく屋の長女として、父親(岩松了)と一緒にこんにゃく作りに明け暮れている毎日。
また、ミッツー(安藤サクラ)の家は大きな老舗の旅館で、「B-hack」も、むかしここに設けられた「Bの部屋」を根城にしていたようで、その部屋には今でも、著名なラッパーの写真とかヒップホップ・グッズが、埃を被ったままながら、所狭しと並べられてあります。
ところが、旅館業が左前になって債務が嵩み、母親が逃げ出して旅館は閉鎖されてしまい、東京に出てホテルの仕事に就いていたミッツーが、借金整理をすべく戻ってきたというわけ。
ですから、アユムが、1曲でもいいから復活ライブをしようと提案しても、ミッツーにはなかなか現実感が伴いません。
それでも5人組は、家族連れで賑わうプールの脇に設けられた特設ステージらしきところで、1曲歌うことまでなんとか漕ぎつけます。
ですが、余りに寒すぎるパフォーマンスのせいもあって皆の心が離反してしまい、復活ライブの話は急に萎み、厳しい現実も覆い被さってきて、グループは解体してしまいます。
そして、最後に、お寺におけるアユムの母親の3周忌のシーン。
そこには、東京に行ったはずのミッツーが戻っていたりする一方で、再び群馬にやってきたイックやトムも現れ、またまたラップが入り乱れます。
(2)ここまでくると、昨年3月に公開された第1作目の『SRサイタマノラッパー』に触れないわけにはいきません。
と言って自慢するわけではありませんが、昨年中はこの映画のことは全く耳にしたことがありませんでした。今年に入って第2作目が公開されてからはじめて、その噂を耳にするようになった次第です。
ですから、5月下旬にTSUTAYAでそのDVDがレンタルされると、「新作」扱いにもかかわらず早速借りてきて見た上で、今回の映画館というわけです。
さて、第1作は、埼玉県福谷市(実は深谷市)の男子ばかりのヒップホップグループ「Sho-gung」のお話であり、群馬県の女子ばかりの「B-hack」を巡る第2作とはだいぶ様相が違っているようにも見えます。
とはいえ、第1作の冒頭は、いきなり「Sho-gung」のメンバーが乗っている車から、威勢のいいラップが聞こえてきます。これは、第2作の、駒瀬川の河原におけるラップ合戦にある程度対応している感じです。
また、第2作では、プールサイドでのウラ寂しいライブをピークにして、一気に復活ライブの話は消滅し「B-hack」も解散してしまいますが、同じように第1作でも、初ライブを来月敢行しようと盛り上がりが頂点に達したところで、イックらと同じ高校の同級生の女の子―千夏(みひろ)―のことで内部分裂してしまい、「Sho-gung」は解散に追い込まれてしまいます。
さらに、第2作のラストでは、再度現れたイックらに挑発される格好で、アユムとミッツーとマミー(桜井ふみ)がラップを歌い出し、最後にアユムが「♪あたしはラップが好き …… いつかまた動き出す……あたしは歌う! 明日は今日よりも輝く」と締めます。
これに対して、第1作のラストは、イックのアルバイト先の焼き肉屋に、道路工事の交通指導員のアルバイトをしているトムが仲間とともに入ってくる場面。トムを見とがめたイックが、「♪バイト レジ 打っているが 夢は捨てねえぞ」云々と歌うと、トムは「♪余計な妄想注意 気づけ コレが現実 真実」等と応じ、それに対してイックは、「この町 福谷から この狭い 半径1メートル 俺らが進む道 見えてる」などとトムを鼓舞し続けます〔雑誌『シナリオ』8月号に掲載のシナリオより〕。
このように、第1作よりも第2作の方が、関係する人の数が増えている雰囲気ではあるものの、重要な3つの山場で、同じような構造をもつように構成されていると考えられます。
(3)とはいえ、第1作では、イックとトムとマイティ(奥野瑛太)が、福谷市の「若者と市民との集い」に呼ばれてラップを披露した後、出席者と質疑応答をするという場面が設けられています。
そこでは、「将来どうなりたいのか」と聞かれて、マイティは、「実家がブロッコリー栽培やっているからノープロブレム」と応じます。
さらにトムも、「今は“おっぱいパブ”の店員だが、株の勉強をしている」と答えたのに対して、イックが、「今生活に困っていないから就職は考えていないが、レコード屋の店員といったバイトを探そうと思っている」と言ったら、「ここらにはレコード屋なんてない」と逆に市民に突っ込まれて窮してしまいます。
こうした一般常識を振りかざす大人との対決自体は、第2作ではあまり見あたりませんが(アユムの父親が、一般常識人を代表しているのでしょう)、それぞれが抱えている問題が頗る深刻なのは、第1作の場合とマッタク同様です。
例えば、「B-hack」のメンバーだったマミーは、ソープランド嬢ですが、堕胎したばかりにもかかわらず、ペアを組んでいる中国人が店を失敗してしまったとかで夜逃げせざるを得なくなったりします。
このマミーは、第1作の千夏に対応するのでしょうが、にもかかわらず千夏は「Sho-gung」のメンバーではありませんし、イックらのラップに対して「うわっ、さっぶー」と大層否定的なのです。
(4)もっと第1作と第2作との関連性を探れば、
a.第1作に何度も登場する高速道路(関越道)の光景は、第2作においては駒瀬川(架空の名称)が担っていると思われます。
b.第1作において「Sho-gung」のメンバーの溜まり場になっていたのは「廃工場」ですが、これは第2作では、ミッツーの旅館の中に設けられていた「Bの部屋」が対応するでしょう。
c. 第1作に登場する千夏(イックらと同じ高校の同級生)は、東京でAV女優をしていましたが福谷に戻ってきました。ただ、故郷の風が余りに冷たいので、第1作のラスト近くでは福谷市を離れるシーンが描かれています。
第1作の男の子たちは、何のかんの言いながらも誰も福谷市を離れていないのに対して(マイティだけは、東京に音楽の勉強をしに行くつもりだと言いますが)、千夏のみならず、上で挙げたミッツーも〔あるいはマミーも〕、女の子は簡単に東京との間を往復している感じです(注1)。
d.第1作の舞台は「福谷市」とされているものの、スグニそれが「深谷市」であることがわかります(千夏が故郷を離れようとして利用する駅の名前が、高崎線の「岡部」駅であることは画面にも映りますし)。他方、第2作は、ロケ地が深谷市でもあるため、実際に群馬県の何処を想定しているのかは判然としません(注2)。
(注1)この点は、雑誌『シナリオ』8月号「桂千穂の映画館へ行こう」の中で、長津晴子氏によっても指摘されています(同誌P.88)。
(注2)第2作のサウンドトラックには、ミッツーが歌う「B列車で行こう」が入っているところ、それには“新宿から大宮経由、普通で2時間”とあり、であれば「藤岡市」周辺なのかもしれません。
ちなみに、この曲については、ripping yardというサイトの「「SRサイタマノラッパー2」サントラについて全曲感想」に、「東京から帰省するミッツーの情景描写&心象風景ラップでサビは歌っちゃってる。ラッパーでもシンガーでもない女の子による巧みなライミングで進行していく不思議な一曲」とあります。
(5)この第2作目の映画に対して、 “つぶあんこ”氏は、「1作目と同じ様な話を女子に変えただけ。河原での即興ラップバトルと水着の半ケツくらいしか楽しめない」として「★★」と冷たい反応ですが(7月第1週)、他方、映画評論家はかなり好意的です。
福本次郎氏は、「思い通りにならないもどかしさと周囲に理解されない不満、そんな日常から脱却しようともがくもはや青春を卒業した女たちの冒険と挫折。映画は彼女たちの魂の叫びを短く刻んだリズムに乗せて解き放つ。セリフにすればクサすぎる思いもラップだとストレートに口にできる、その素直なエネルギーがスクリーンに爆発する」として90点もの高得点を、
佐々木貴之氏も、「前作も面白かったが、今作でも面白さをしっかりと発揮して」おり、「入江悠のアイデア抜群の脚本、見せ場作りの巧さは今作でも健在であり、その出来栄えは明らかに前作を超越しているのだ!!」として75点を、
それぞれ与えています。
なお、第1作については、「映画ジャッジ」の評論家諸氏の論評は見あたりません。
そこで他を当たってみると、いとうせいこう氏が、昨年6月のブログの記事で、「素晴らしいのである。なんてことのない青春映画、音楽映画とも言えるのだけれど、役者がいい。ラップがいい。映像がいい。間がいい。長回しを徹底する演劇性がいい。若者とヒップホップへの、愛情と突き放しの度合いがいい」、「こんな素晴らしい映画は久しぶりに観た。文句のひとつもない」等々と大絶賛しています。
さらに、「宇多丸」氏が、『ザ・シネマハスラー』(白夜書房、2010.3)に掲載されている第50回目の記事において、「平たく言ってしまえば、日本語ラップという存在が本質的に抱えている「気まずさ」を、きちんと見つめた初めての映画」であり、ラストの居酒屋のシーンは、「埼玉の田舎の飲み屋、「いわゆるヒップホップ」からは一番遠く見える場所で、最も美しいヒップホップが生まれる瞬間」だ云々と、これまた大絶賛です〔この記事は、昨年3月12日にオンエアされたTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に基づいています。その放送内容はこちらで聞くことが出来ます〕。
(6)最後になってしまいましたが、この映画は、第1作と合わせて見てみますと、全体として頗る面白い作品に仕上がっていて、ヒップホップのことなど何も知らないクマネズミ―「ライム」って何のことか知りませんでした―にも受け入れやすく(ラップと言っても、日本語には馴染まないのではと思い込んでいました)、そればかりか若者たちの粘り強い頑張りや熱気も伝わってきて、『川の底からこんにちは』と双璧をなす優れた映画ではないかと思いました。
★★★★☆
(1)映画は、埼玉のラッパーグループ「Sho-gung」の片割れのイック(駒木根隆介)とトム(水澤紳吾)が、群馬にやってきたところから始まります。憧れの「伝説のタケダ先輩」がライブを繰り広げた聖地を探しに、地図だけを頼りにやってきた由。
そこで偶然にも、アユム(山田真歩)に道を尋ねます。彼女も以前ヒップホップをやっていました。
アユムは、彼らに触発されて、以前の仲間を集め、自分達のグループ「B-hack」の復活ライブをやろうよ、と言いだします。
そうしたところ、駒瀬川の河原で、片や「Sho-gung」の2人組、片や「B-hack」の5人組はラッパーとして激突します(ここで素晴らしい“ヒップホップ合戦”が繰り広げられます)。
ここからは、かって「B-hack」のメンバーだった女の子たちの現実の生活ぶりが描き出されていきます。
たとえば、アユムは、今ではこんにゃく屋の長女として、父親(岩松了)と一緒にこんにゃく作りに明け暮れている毎日。
また、ミッツー(安藤サクラ)の家は大きな老舗の旅館で、「B-hack」も、むかしここに設けられた「Bの部屋」を根城にしていたようで、その部屋には今でも、著名なラッパーの写真とかヒップホップ・グッズが、埃を被ったままながら、所狭しと並べられてあります。
ところが、旅館業が左前になって債務が嵩み、母親が逃げ出して旅館は閉鎖されてしまい、東京に出てホテルの仕事に就いていたミッツーが、借金整理をすべく戻ってきたというわけ。
ですから、アユムが、1曲でもいいから復活ライブをしようと提案しても、ミッツーにはなかなか現実感が伴いません。
それでも5人組は、家族連れで賑わうプールの脇に設けられた特設ステージらしきところで、1曲歌うことまでなんとか漕ぎつけます。
ですが、余りに寒すぎるパフォーマンスのせいもあって皆の心が離反してしまい、復活ライブの話は急に萎み、厳しい現実も覆い被さってきて、グループは解体してしまいます。
そして、最後に、お寺におけるアユムの母親の3周忌のシーン。
そこには、東京に行ったはずのミッツーが戻っていたりする一方で、再び群馬にやってきたイックやトムも現れ、またまたラップが入り乱れます。
(2)ここまでくると、昨年3月に公開された第1作目の『SRサイタマノラッパー』に触れないわけにはいきません。
と言って自慢するわけではありませんが、昨年中はこの映画のことは全く耳にしたことがありませんでした。今年に入って第2作目が公開されてからはじめて、その噂を耳にするようになった次第です。
ですから、5月下旬にTSUTAYAでそのDVDがレンタルされると、「新作」扱いにもかかわらず早速借りてきて見た上で、今回の映画館というわけです。
さて、第1作は、埼玉県福谷市(実は深谷市)の男子ばかりのヒップホップグループ「Sho-gung」のお話であり、群馬県の女子ばかりの「B-hack」を巡る第2作とはだいぶ様相が違っているようにも見えます。
とはいえ、第1作の冒頭は、いきなり「Sho-gung」のメンバーが乗っている車から、威勢のいいラップが聞こえてきます。これは、第2作の、駒瀬川の河原におけるラップ合戦にある程度対応している感じです。
また、第2作では、プールサイドでのウラ寂しいライブをピークにして、一気に復活ライブの話は消滅し「B-hack」も解散してしまいますが、同じように第1作でも、初ライブを来月敢行しようと盛り上がりが頂点に達したところで、イックらと同じ高校の同級生の女の子―千夏(みひろ)―のことで内部分裂してしまい、「Sho-gung」は解散に追い込まれてしまいます。
さらに、第2作のラストでは、再度現れたイックらに挑発される格好で、アユムとミッツーとマミー(桜井ふみ)がラップを歌い出し、最後にアユムが「♪あたしはラップが好き …… いつかまた動き出す……あたしは歌う! 明日は今日よりも輝く」と締めます。
これに対して、第1作のラストは、イックのアルバイト先の焼き肉屋に、道路工事の交通指導員のアルバイトをしているトムが仲間とともに入ってくる場面。トムを見とがめたイックが、「♪バイト レジ 打っているが 夢は捨てねえぞ」云々と歌うと、トムは「♪余計な妄想注意 気づけ コレが現実 真実」等と応じ、それに対してイックは、「この町 福谷から この狭い 半径1メートル 俺らが進む道 見えてる」などとトムを鼓舞し続けます〔雑誌『シナリオ』8月号に掲載のシナリオより〕。
このように、第1作よりも第2作の方が、関係する人の数が増えている雰囲気ではあるものの、重要な3つの山場で、同じような構造をもつように構成されていると考えられます。
(3)とはいえ、第1作では、イックとトムとマイティ(奥野瑛太)が、福谷市の「若者と市民との集い」に呼ばれてラップを披露した後、出席者と質疑応答をするという場面が設けられています。
そこでは、「将来どうなりたいのか」と聞かれて、マイティは、「実家がブロッコリー栽培やっているからノープロブレム」と応じます。
さらにトムも、「今は“おっぱいパブ”の店員だが、株の勉強をしている」と答えたのに対して、イックが、「今生活に困っていないから就職は考えていないが、レコード屋の店員といったバイトを探そうと思っている」と言ったら、「ここらにはレコード屋なんてない」と逆に市民に突っ込まれて窮してしまいます。
こうした一般常識を振りかざす大人との対決自体は、第2作ではあまり見あたりませんが(アユムの父親が、一般常識人を代表しているのでしょう)、それぞれが抱えている問題が頗る深刻なのは、第1作の場合とマッタク同様です。
例えば、「B-hack」のメンバーだったマミーは、ソープランド嬢ですが、堕胎したばかりにもかかわらず、ペアを組んでいる中国人が店を失敗してしまったとかで夜逃げせざるを得なくなったりします。
このマミーは、第1作の千夏に対応するのでしょうが、にもかかわらず千夏は「Sho-gung」のメンバーではありませんし、イックらのラップに対して「うわっ、さっぶー」と大層否定的なのです。
(4)もっと第1作と第2作との関連性を探れば、
a.第1作に何度も登場する高速道路(関越道)の光景は、第2作においては駒瀬川(架空の名称)が担っていると思われます。
b.第1作において「Sho-gung」のメンバーの溜まり場になっていたのは「廃工場」ですが、これは第2作では、ミッツーの旅館の中に設けられていた「Bの部屋」が対応するでしょう。
c. 第1作に登場する千夏(イックらと同じ高校の同級生)は、東京でAV女優をしていましたが福谷に戻ってきました。ただ、故郷の風が余りに冷たいので、第1作のラスト近くでは福谷市を離れるシーンが描かれています。
第1作の男の子たちは、何のかんの言いながらも誰も福谷市を離れていないのに対して(マイティだけは、東京に音楽の勉強をしに行くつもりだと言いますが)、千夏のみならず、上で挙げたミッツーも〔あるいはマミーも〕、女の子は簡単に東京との間を往復している感じです(注1)。
d.第1作の舞台は「福谷市」とされているものの、スグニそれが「深谷市」であることがわかります(千夏が故郷を離れようとして利用する駅の名前が、高崎線の「岡部」駅であることは画面にも映りますし)。他方、第2作は、ロケ地が深谷市でもあるため、実際に群馬県の何処を想定しているのかは判然としません(注2)。
(注1)この点は、雑誌『シナリオ』8月号「桂千穂の映画館へ行こう」の中で、長津晴子氏によっても指摘されています(同誌P.88)。
(注2)第2作のサウンドトラックには、ミッツーが歌う「B列車で行こう」が入っているところ、それには“新宿から大宮経由、普通で2時間”とあり、であれば「藤岡市」周辺なのかもしれません。
ちなみに、この曲については、ripping yardというサイトの「「SRサイタマノラッパー2」サントラについて全曲感想」に、「東京から帰省するミッツーの情景描写&心象風景ラップでサビは歌っちゃってる。ラッパーでもシンガーでもない女の子による巧みなライミングで進行していく不思議な一曲」とあります。
(5)この第2作目の映画に対して、 “つぶあんこ”氏は、「1作目と同じ様な話を女子に変えただけ。河原での即興ラップバトルと水着の半ケツくらいしか楽しめない」として「★★」と冷たい反応ですが(7月第1週)、他方、映画評論家はかなり好意的です。
福本次郎氏は、「思い通りにならないもどかしさと周囲に理解されない不満、そんな日常から脱却しようともがくもはや青春を卒業した女たちの冒険と挫折。映画は彼女たちの魂の叫びを短く刻んだリズムに乗せて解き放つ。セリフにすればクサすぎる思いもラップだとストレートに口にできる、その素直なエネルギーがスクリーンに爆発する」として90点もの高得点を、
佐々木貴之氏も、「前作も面白かったが、今作でも面白さをしっかりと発揮して」おり、「入江悠のアイデア抜群の脚本、見せ場作りの巧さは今作でも健在であり、その出来栄えは明らかに前作を超越しているのだ!!」として75点を、
それぞれ与えています。
なお、第1作については、「映画ジャッジ」の評論家諸氏の論評は見あたりません。
そこで他を当たってみると、いとうせいこう氏が、昨年6月のブログの記事で、「素晴らしいのである。なんてことのない青春映画、音楽映画とも言えるのだけれど、役者がいい。ラップがいい。映像がいい。間がいい。長回しを徹底する演劇性がいい。若者とヒップホップへの、愛情と突き放しの度合いがいい」、「こんな素晴らしい映画は久しぶりに観た。文句のひとつもない」等々と大絶賛しています。
さらに、「宇多丸」氏が、『ザ・シネマハスラー』(白夜書房、2010.3)に掲載されている第50回目の記事において、「平たく言ってしまえば、日本語ラップという存在が本質的に抱えている「気まずさ」を、きちんと見つめた初めての映画」であり、ラストの居酒屋のシーンは、「埼玉の田舎の飲み屋、「いわゆるヒップホップ」からは一番遠く見える場所で、最も美しいヒップホップが生まれる瞬間」だ云々と、これまた大絶賛です〔この記事は、昨年3月12日にオンエアされたTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に基づいています。その放送内容はこちらで聞くことが出来ます〕。
(6)最後になってしまいましたが、この映画は、第1作と合わせて見てみますと、全体として頗る面白い作品に仕上がっていて、ヒップホップのことなど何も知らないクマネズミ―「ライム」って何のことか知りませんでした―にも受け入れやすく(ラップと言っても、日本語には馴染まないのではと思い込んでいました)、そればかりか若者たちの粘り強い頑張りや熱気も伝わってきて、『川の底からこんにちは』と双璧をなす優れた映画ではないかと思いました。
★★★★☆
もうこの手法がマンネリ化されて、十年ぐらいの寅さんのようなシリーズになることを祈るばかりです(笑)
クマネズミも、「kimion20002000」さんほどではありませんが、絶賛組ですよ。
なお、入江監督は、『SRサイタマノラッパー2』のあと、『劇場版神聖かまってちゃん』の方にかかりきりだったようですが、9月から『SRサイタマノラッパー3』の撮影に取りかかるとか。出来上がりは来年になるのでしょうが、あるいは「寅さんのようなシリーズ」になるのではないでしょうか?