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ブリッジ・オブ・スパイ

2016年01月26日 | 洋画(16年)
 『ブリッジ・オブ・スパイ』を吉祥寺オデヲンで見ました。

(1)今度のアカデミー賞作品賞の候補に挙げられている作品というので映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、「1957年 冷戦の高まり。 米国とソ連は、互いに相手の核の能力と意図を怖れていて、どちらもスパイを展開するとともに、スパイの捜査を行った」、「本作は事実によっている(注2)」といった感じの字幕が映し出されます。

 次いで、ブルックリンにある建物の部屋の中で、男(アベルマーク・ライランス)が鏡を見ながらキャンバスに自画像を描いています。
 そこに電話がかかってきて、アベルは受話器をとって聞きはするものの、無言のまま。

 その後、アベルが建物の外に出ると、隠れていたFBI捜査官が尾行します。
 アベルが着いたところはイースト川のそばの公園。ベンチに座って川を眺めながら絵を描いていると、捜査官が車に乗ってその付近を通過します。
 辺りを伺いながらアベルは、ベンチの下に手を入れて、その裏側に張り付いているコイン状のものを引き剥がします。

 アベルは、再びさっきの部屋に戻ってきて、髭剃りのカミソリでコインを2つに割って、中に入っていたペーパーを取り出し、小さく書き込まれている数字を拡大鏡で読みます。



 そこに捜査官らが飛び込んで、「あなたはスパイだ、我々に協力しろ。さもないと逮捕する」と叫びます。
 アベルは、静かに従いながら巧にさっきのペーパーを隠します。

 場面は変わって、弁護士のドノヴァントム・ハンクス:注3)が、ウィスキーグラスを手にしながらもう一人の弁護士と激しく議論しています。相手が、ドノヴァンの関与する保険会社の客の運転する車が5人を轢く交通事故を引き起こしたにもかかわらず、保険会社は請求額を支払わないと言うと、ドノヴァンは、本件は5件ではなく1件の事故であり、保険会社の方は1件に対して限度額の10万ドルまで支払う、と応じます。

 このドノヴァンが、その能力を買われて(注4)、FBIに逮捕されたアベルの国選弁護士となり、米ソ冷戦の渦中に飛び込むわけですが、さあ、物語はどのように展開するのでしょうか、………?

 本作は、実際にあった米ソ間のスパイ交換を、現地で交渉にあたった弁護士の視点から描いた作品で、弁護士役を演じるトム・ハンクスが、相変わらず実に手堅い演技を見せているとはいえ、事態の推移が大層地味に描き出されていて、どうしてこのような作品が今度のアカデミー賞作品賞にノミネートされるのか、よくわからない感じがしました。

(2)本作については、スティーブン・スピルバーグ監督の作品という点でも関心がありました。それほど熱心に彼の監督作品をフォローしてきているわけではないとはいえ(注5)、見巧者の映画通の方々が言うように、スピルバーグ監督ならではの見どころがアチコチに転がっていると思います。

 とはいうものの、本作はごくごく地味な仕上がりになっているものと思います。
 こうなるのも、まずはクマネズミが、事前の情報は殆ど持たずに、タイトルに「スパイ」とあるからには手に汗握るスパイ同士のアクションなどが見られるのかなと、見る前に思っていたことがあるかもしれません。
 ですが元々、本作ではスパイ活動それ自体が描かれるわけではなく、ソ連のスパイが逮捕されてからの話に焦点が当てられるために、派手なアクションシーンが登場する余地はありません。

 それに例えば、本作の前半では、『黄金のアデーレ 名画の帰還』と同じように、連邦最高裁の場面が描き出されますが、同作の場合は、全体にあのきらびやかな名画『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ』のオーラが浸透している上に、主役がマリア(ヘレン・ミレン)という女性なのです。
 対して、本作の場合は、ドノヴァンが口頭で見解(実に正論ながら)を述べる場面が描かれるに過ぎません。

 加えて、現地での交渉は、確かに、目的とする人物に会って目的とする内容のことを伝えること自体容易ではないとしても(注6)、結局は相手側の出方をじっと待つほかどうしようもない事柄であり、画面も地味なものにならざるをえないともいえます。

 また、現地での交渉にあたり、 ドノヴァンにどの程度の交渉権限が付与されていたのでしょうか?



 確かに、相手側のいる東ベルリンにドノヴァンが単身で乗り込むとはいえ、西ベルリンまではCIAのホフマンスコット・シェパード)らが来ており、東ベルリンから戻ってきたドノヴァンにいろいろ指示をします(注7)。
 米ソという超大国間の国家的な交渉に個人的な要素がどの程度入り込むのかは、なかなか難しい問題ではないかと思われます(注8)。

 さらには、目を引くような女優が登場するわけでもありません(注9)。
 登場するのは、ドノヴァンの妻のメアリーエイミー・ライアン)くらいで、それも、彼女とドノヴァンの出会いが回想で描かれるわけでもなく、実際はベルリンに飛んだ夫がスコットランドに釣りに出かけたと思い込んでいる主婦といった役柄なのです。

 注目される場面としては、東西ベルリンを結ぶ列車(Sバーン鉄道)にドノヴァンが乗車している際に、ベルリンの壁を超えて西側に逃亡しようとした東ドイツ人が何人も射殺されるシーンがあります。このシーンは、ニューヨークに戻ってから、子どもたちがフェンスを超えて走るのをドノヴァンが電車の窓越しに見るシーンと重なるように作られているのでしょう。ですが、列車が走っているような時間帯にお誂え向きの脱出劇が敢行されるとも思えないところで、本作のリアルさを損なっているように感じられました。

 そうはいっても、本作は、大層地味な作りながらも、アベルが言う「不屈の男(Standing Man)」(注10)としてのドノヴァンが上手く描き出されていることも確かなことでしょう(注11)。

(3)渡まち子氏は、「監督スピルバーグ、主演トム・ハンクス、実話の映画化とくれば、オスカー狙いがミエミエの感動作、社会派ドラマかと思うだろう。たしかにそういう側面はあるが、本作は、思った以上にサスペンス色が濃いエンタメ作品」であり、「何より、人と人とのつながりを肯定するメッセージが感動的で、期待通りの秀作に仕上がっている」として85点をつけています。
 渡辺祥子氏は、「官僚的で融通のきかない米ソの役人たちへの批判を込めながら、どちらも誠実なドノヴァンとソ連スパイの間に通じ合う気持ちを人間味のある会話を通して描いたのがスピルバーグの映画らしいところ」として★4つ(「見逃せない」)をつけています。
 藤原帰一氏は、「映画の技法が綺羅星のようにきらめいていて、しかも芸術を気取ることがない。あまりうまいので見惚れてしまいます」と述べています。
 読売新聞の福永聖二氏は、「平凡だった男がやってのけた偉大な仕事。スティーブン・スピルバーグ監督がまたも、歴史上の秘話を感動的によみがえらせた」と述べています。



(注1)監督は、『戦火の馬』のスティーブン・スピルバーグ
 脚本は、マット・チャーマンとコーエン兄弟との共作。

(注2)「inspired by true events」。

(注3)最近では、『ウォルト・ディズニーの約束』で見ました。

(注4)アメリカには有能な弁護士が数多くいることでしょうから、映画で描かれているような理由では、なぜドノヴァンがアベルの国選弁護士に選ばれたのかよくわからない感じがします。
 あるいは、映画では触れられませんが、ドノヴァンが、戦時中にOffice of Scientific research and DevelopmentやOffice of Strategic Services(CIAの前身)に関与したり、戦後のニュルンベルグ裁判で associate prosecutor だったりしたことが(この記事とかこの記事によります)、選定に関係したように思えます(この記事が同趣旨のことを述べています)。

(注5)『リンカーン』も見ておりません。

(注6)ましてドノヴァンは、ドイツ語にそれほど堪能でもない一民間人に過ぎないのですから。

(注7)ドノヴァンの交渉相手のソ連大使館の二等書記官シ―シキンミハイル・ゴアヴォイ)は、KGBの大物スパイだとされています(西ベルリンに戻ったドノヴァンがシーシキンのことを報告すると、CIAのホフマンは、「彼は書記官ではない。東欧におけるKGBのチーフだ」と答えます)。
 なお、東ドイツ側の代理人として弁護士ヴォーゲルが登場しますが、彼を演じるセバスティアン・コッホは、『オペレーション・ワルキューレ』や『ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア』といったTV用映画をDVDで見たことがあります。

(注8)映画では、東ドイツに捕まった米国人学生プライヤーウィル・ロジャーズ)の解放を、ドノヴァンがCIAの意向に反してまで強く東側に求めたように描かれています〔ドノヴァンは、自分の助手を務める若い弁護士と同じ年齢だからと言っていますが、ここには、上記(1)で触れた保険についてのドノヴァンの考え方が反映されているように思います〕。ですが、仮にプライヤーがチェックポイント・チャーリーに現れなかった場合、ドノヴァンはアベルとパワーズオースティン・ストウェル)だけの交換を阻止することが出来たのでしょうか?

(注9)『戦火の馬』でも、専ら馬と主人公のアルバートの方に焦点が当てられています。

(注10)アベルは、ドノヴァンに、幼い時に見た光景―父親の友人が、突然入ってきたパルチザンによって何度も殴られながらも、殴られるたびに立ち上がリ、ついにはパルチザンが殴るのを止めて出て行った―を話し、その話の中の男を「不屈の男(Standing man)」だと言います。そして、グリーニッケ橋でのスパイ交換の際に、あくまでもプライヤーを待とうとするドノヴァンを見て「不屈の男」と言います。



 なお、本作の劇行用パンフレット掲載の「Production Notes」において、スピルバーグ監督は、「ドノヴァンは自分が信じていることのため、すべての人の正義にために立ち向かう」とありますが、公式サイトに掲載されている原文では「The stand-up kind of guy who stands up for what he believes in to be a universal truth, which is basically justice for all – regardless of what side of the Iron Curtain you are on. He was only interested in the letter of the law.」となっていて、これが「standing man」の概念といえるものでしょう。

(注11)尤も、本作の後半部分については、ドノヴァンを、むしろ“tough negotiator”と評した方が良いようにも思いますが。



★★★☆☆☆



象のロケット:ブリッジ・オブ・スパイ


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6 コメント

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クマネズミ さん へ (もののはじめのiina)
2016-01-27 10:31:03
>誠実なドノヴァンとソ連スパイの間に通じ合う気持ちを人間味のある会話を通して描いたのがスピルバーグの映画らしいところ
渡辺祥子氏の評価が、ドノヴァンの態度も通して妥当な気がします。

スティーブン・スピルバーグの『戦火の馬』を、テレビ放送を録画して今年にみました。こちらも、じんわりとした秀逸な映画でした。^^

こんにちは。 (みぃみ)
2016-01-27 10:43:53
アベルが幼少時見習いなさいと教えられた「男」の姿。
レポを拝見して…。
その精神を継いだアベルはドノバンにその精神を見、
アベルとドノバンの心が通い合ったのかなぁと思いました。
とても良い作品でした。
Unknown (ふじき78)
2016-01-27 23:21:39
> 列車が走っているような時間帯にお誂え向きの脱出劇が敢行されるとも思えない

素人考えですが、壁が出来たばかりで、その壁をどう防御するかの人員配置やマニュアルが不徹底な状態であるうちに少しでも早く脱出する事が優先されたとしてもおかしくない。夜まで待てば見えなくなるかもしれないが、夜まで待てば兵隊が多数配置されるかもしれない。

ただ、日中であったにせよ、それをトム・ハンクスが偶然目にする可能性はそんなに高くはないからリアルじゃないと言えばリアルじゃないかもしれない。そんなこと言ったら気の利いた演出は何もできなくなってしまうかも、ですが。
Unknown (クマネズミ)
2016-01-28 06:08:22
「もののはじめのiina」さん、コメントをありがとうございます。
確かに、本作については、渡辺祥子氏が言うように、「誠実なドノヴァンとソ連スパイの間に通じ合う気持ちを人間味のある会話を通して描いたのがスピルバーグの映画らしいところ」という評が「妥当」なのかもしれません。ただ、起伏に乏しい作品で、もう少し映画的な盛り上がりが必要なのでは、と思いました。
Unknown (クマネズミ)
2016-01-28 06:08:48
「みいみ」さん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「standing man」という点で「アベルとドノバンの心が通い合った」のかもしれません。ただ、それにしても地味な作品だなと思ってしまいました。
Unknown (クマネズミ)
2016-01-28 06:28:44
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
確かに、Wikipediaの「ドイツ民主共和国国境警備隊」の項によれば、ベルリンの壁ができた11日後には射殺事件が起きています。また、本作は、「inspired by true events」とされていて実録物ではないのですから、こうしたシーンをリアルではないと批判すべきではないにしても、そして「気の利いた演出」も映画には必要だとはいえ、ブルックリンに戻ったドノヴァンが電車の窓から見る光景とダブらせるというのは、「演出」の臭みが出すぎてしまっているのでは、と思えてしまいました。

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