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6才のボクが、大人になるまで。

2014年12月10日 | 洋画(14年)
 『6才のボクが、大人になるまで。』を日比谷のTOHOシネマズシャンテで見ました。

(1)評判につられて映画館に行ってきました。

 本作の舞台はテキサス州のある町。
 初めの方では、6歳のメイスンは、ベッドで母親のオリヴィアにハリーポッターの本を読んでもらったり、一人でブランコに乗ったり、友達と物陰で雑誌を見ながら「みんなおっぱいがデカイ」と言ったりしています。
 そんな時に、オリヴィアが、良い仕事に就くためにヒューストンに引っ越して大学に入ると言い出します。
 メイソンの姉・サマンサは、「嫌」と言っていたものの、最後は「ママの好きにすれば」と認めます。
 他方で、メイソンが「友達とはどうすれば?」と尋ねると、オリヴィアは「メールや手紙で連絡すれば」との返事。さらに、「ママはパパのこと好きなの?引っ越したらパパが僕達を探せなくなってしまう」と言います。父親のメイソン・Sr.は、既にオリヴィアと離婚しており、アラスカに行っているのです。

 それでも、ヒューストンへの引っ越しは決行されます。
 ヒューストンでは、祖母の家で暮らすことになり、また、アラスカから戻ってきたメイソン・Sr.が、2週間おきに子供たちと面会しに。



 レストランで、メイソン・Sr.が「9.11はイラクとはなんの関係もなかった」と言うと、サマンサは「学校の先生は、あの戦争は良い戦争だった、と話している」と答えたりします。
 最後にメイソン・Sr.が、「これからはもっと会おう。時間が必要だった。ママは扱いにくい人なんだ」などと二人に言います。

 3人は家に戻ります。
 メイソンがサマンサに「パパは今夜家に泊まるかな?」と期待を込めて話していると、外の庭ではオリヴィアとメイソン・Sr.が喧嘩している様子。メイソン・Sr.は一人で立ち去ってしまいます。

 そんなこんなで、メイソンを巡り様々な出来事が起きますが、サテハテ一体どんなことになるのやら、………?

 本作は、主役のメイソンが6歳の時から18歳になって大学に入学するところまでを描き出した作品です。
 一番大きな特色は、主役を演じるエラー・コルトレーンが6歳から18歳までを全部一人で演じている点でしょう。



 ということは、この映画の撮影は12年間にわたっていることになります。そして、彼だけでなく、母親のオリヴィア役のパトリシア・アークエット、父親のメイソン・Sr.役のイーサン・ホーク(注1)、姉のサマンサ役のローレライ・リンクレーター(監督の娘)も、12年間一緒にお付き合いをしたわけです。
 と言って、本作は、一人の子供の成長を記録したドキュメンタリー作品ではありません。きちんと脚本があって、劇映画仕立てになっているのです。
 加えて、本作も、『0.5ミリ』(196分)とか『インターステラー』(169分)と同様に長尺(165分)ながら、その長さを少しも感じさせませんでした。

(2)本作を制作したリチャード・リンクレイター監督は、これまで『恋人までの距離(ディスタンス)』、『ビフォア・サンセット』、『ビフォア・ミッドナイト』の3部作を制作していますが、そこにおいても、1995年の第1作から2013年の第3作(日本公開は本年)という18年間に渡り、同じ俳優(イーサン・ホークジュリー・デルビー)を継続的に使っています。
 ですから、同じ俳優を長期に渡り使うということは、この監督にとってそんなに大したことでないのかもしれません。とはいえ、本作の凄い点は、一本の映画においてそれを敢行したことにあるでしょう。
 それも、外形のみならず、精神面でもどんどん変化していく「少年期」(boyfood:原題)にある子供を主役に据えたのですから、驚いてしまいます(注2)。

 といって、本作は、議論したくなるような劇的な盛り上がりは特になく、どちらかと言えば淡々と展開されていきますから(それでいて、飽きさせずに最後まで観客を惹きつけるのですから見事です)、こちらとしてもたわいもない感想が次々と湧いてくるくらいでした。
 それをあえて書き出せば、例えば、メイソンの母親のオリヴィアを巡っては、
 


a.それにしても随分と何回も離婚をするものだな。
 オリヴィアは、メイソン・Sr.と離婚した後、大学で心理学を教える男と再婚しますが、アル中でDVが酷いことから離婚。しばらくすると、今度は元陸軍兵の男と一緒に暮らすようになります(注3)。
 メイソン・Sr.は芸術家風、2度目の夫は知性的、3番目の男は肉体派というように、オリヴィアは、自分の趣味に合った男というよりも、どちらかと言えば趣向を替えながら選んでいる感じがしてしまいます。
 そんな男と無理矢理付き合わざるをえないメイソンやサマンサの方は、堪ったものではないでしょう。

b.権威主義的な父親が多いのだな。
 オリヴィアの2度目の夫(注4)は、アル中のせいもあるとはいえ、家の者を自分が定めた細かい規則で縛り付けようとしますし(注5)、3番目の男も、帰りの遅いメイスンに対して、厳しい目つきをしながら、「ここは俺の家なのだから俺の規則に従え」と言います。
 この場合、最初のメイソン・Sr.は、随分と都合のいい位置にいると言えます。なにしろ、子供たちの日常の面倒は見ずに、月に何回か旅行気分で子供たちと過ごせるのですから(尤も、彼も、良い父親ではなかったことに悩み、そして良い父親になろうと努力していることを子供に打ち明けるのですが)。

c.いとも簡単に大学のポストが得られるのだな。
 無論、オリヴィアの才能が優れているのでしょうが、ヒューストンの大学で勉強し修士の資格をとると、さっそく大学で教鞭をとっているのです(注6)。
 どうやら、18歳になったメイソンは母親が教えている大学に入学することになるようです(注7)。

(3)渡まち子氏は、「6歳の少年とその家族の12年間の変遷を描いた壮大な家族ドラマ「6才のボクが、大人になるまで。」。時間の流れを主役にした意欲的な実験作」として85点を付けています。
 前田有一氏は、「この映画を見ると、たしかにいつの間にか主人公は成長する。そしてかわいらしいなあと思ってみていたはずの、ほんの数十分前の序盤のエラーくんの顔を、私たちはあっという間に忘れてゆく。まさに、12年間を2時間45分で疑似体験させる、画期的な映画である」として80点を付けています。
 相木悟氏は、「いやはや、眼の肥えたファンをも唸らせる驚愕の一本であった」と述べています。

 なお、前田氏は、本作は「いったいいまが何年のシーンなのかという情報をほとんど観客に与えない」として、「リチャード・リンクレイター監督は、「あれれ、映画を見ていたらいつの間にかエラーくんの背が伸びてる! パトリシアさんのしわが増えている……と思ったらエラーくんに髭が生えてるじゃん」と、このように感じさせたい。感じさせることに全力を尽くしたということだ」と述べています。
 確かに、劇場用パンフレットの「Production Notes」に、「監督リンクレイターにとって、この映画の主要なテーマは、人生同様全体をひとつの大きな流れとして感じてもらうということだった」とあるように、「(監督は)"いつのまにか時間がすぎている"という「現実の時の流れ」と同等の疑似体験をさせたかった」のかもしれません。
 ですが、前田氏が挙げる「ゲーム機」のみならず、実に様々な映像によって(注8)、むしろそれぞれのシーンがいつの頃なのかが観客によく分かるように制作されているように思います。



(注1)最近では、『ビフォア・ミッドナイト』で見ました。

(注2)町山智浩氏のラジオでの喋りを書き起こしたこのサイトの記事によれば、同じような種類の作品としては、フランソワ・トリュフォー監督による「アントワーヌシリーズ」(アントワーヌの成長を20年間に5本撮っているとのこと:この記事を参照)とか、ドキュメンタリー映画で「セブンアップシリーズ」(イギリスの14人の子どもを7年ごとに記録するもので、1964年から撮影が開始されているとのこと)などがあるようです。

(注3)彼は、最後の方では姿を見せませんから、あるいは別れたのかもしれません。

(注4)彼は、大学で「パブロフの条件」を講義している時に、ローリング・ストーンズの「Bitch」(1971年のアルバム『スティッキー・フィンガー』に収録)から「Yeah when you call my name I salivate like a Pavlov dog」を引用するほど洒脱な感じの男なのですが!

(注5)例えば、男の子は庭の草むしり、女の子は台所の後片付けといった役割分担にするとか、男の子は男らしい頭髪にしろと言って、床屋でメイスンを坊主頭にしてしまいます。

(注6)劇場用パンフレットによれば、テキサス州のヒューストンからオースティンにオリヴィアらは引っ越していますから、おそらくテキサス大学を想定しているのでしょう。
 オリヴィアの教室の黒板には、「Bowlby Attachment Theory」と板書されていて(ボウルビィの「愛着論」についてはこちらを参照)、その講義を聞いている女子学生は、講義内容について「知的で面白い」と言っていますから、オリヴィアはなかなかの才能の持ち主なのでしょう。

(注7)メイソン・Sr.がメイソンに、「テキサス大学へ願書を出したのか?」と尋ねたりしています。

(注8)例えば、このサイトの記事が参考になりました〔ただし、ハリーポッターの第2巻は1998年に発売されていますから、これをオリヴィアがメイソンたちに読んでいるのはそれより後のことになります。というのも、メイソン役のエラー・コルトレーンは1994年生まれで、6歳の時(2000年)から映画が始まりますすから。さらに言えば、第6巻の発売は2005年なので、映画の撮影開始よりも前になってしまいます。もしかしたら映画で映し出されているのは、2007年発売の第7巻(最終巻)の発売日の大騒ぎなのかもしれません!〕。
 その記事で挙げられているものの他に、ボーリング場に行くシーンなどからも、時代の情報はいろいろ読み取れるものと思います。
 ちなみに、劇場用パンフレットに掲載の「Interview with the director」では、リンクレー監督も、「今はコンピュータが何年型かを当てる時代なんだ」と述べています。



★★★★☆☆



象のロケット:6歳のボクが大人になるまで


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4 コメント

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Unknown (ふじき78)
2014-12-11 00:34:51
> この映画の撮影は12年間にわたっていることになります。(中略)長尺(165分)ながら、その長さを少しも感じさせませんでした。

もう、これを越えてビックリさせる為には撮影を165分で済ませて、映画本編の長さを14年間の超長尺として完成させるしかない。
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Unknown (クマネズミ)
2014-12-11 05:21:55
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
でも、『インターステラー』で描かれたミラーの星では、すごい重力のために1時間が地球では7年間に相当するそうですから、そこでおっしゃる映画を上映すれば2時間で済んでしまうのかもしれません!
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12年間 (iina)
2014-12-12 09:06:59
>かわいらしいなあと思ってみていたはずの、ほんの数十分前の序盤のエラーくんの顔を、私たちはあっという間に忘れてゆく。まさに、12年間を2時間45分で疑似体験させる
何歳のシーンという情報を与えないで物語は進行するので、後で12年間の変転した顔を見るとかなりな数がありました。^^

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Unknown (クマネズミ)
2014-12-12 21:05:46
「iina」さん、コメントをありがとうございます。
ただ、「iina」さんが「>」で引用されている箇所は、前田有一氏の文章です。
その後のところで申し上げているように、クマネズミは、本作に関する前田氏の論評をあまり評価せず、従って「何歳のシーンという情報を与えないで物語は進行」しているという見解にも、そんなこともないのではと思ってしまうのですが?
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