映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

人間の値打ち

2016年11月04日 | 洋画(16年)
 イタリア映画『人間の値打ち』を渋谷のル・シネマで見ました。

(1)本作がイタリア・アカデミー賞の作品賞などを受賞しているというので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭は、ミラノの郊外。
 名門高校で行われたパーティーが終わって、会場で働いていたウェイターのファブリッツィオが後片付けをしてから、仲間に「俺は1時間も早く始めたんだから早目に帰る」と言いながら外に出てきます。そして、自転車に乗って夜の街を走り、家路を急ぎます。
 時期はクリスマス休暇の前夜で、道路の両側には雪が積もっています。
 街を出て暗い中を自転車は走り続けるところ、後ろからと前から車が近づいてきます。
 そして、接近する車を避けようとしたもう1台の車が自転車に衝突し、ファブリッツィオは道路脇に投げ出されてしまい、そのまま動きません。
 にもかかわらず、衝突した車はなにもせずに行ってしまいます。
 ここでタイトルが流れます。

 次いで、その半年前のこと。
 同じ道を不動産屋のディーノファブリッツィオ・ベンティボリオ)が車で通ります。
 ベルナスキ家の邸宅前まで来ると、同乗している娘のセレーナマティルデ・ジョリ)に「ここでいいか?」と尋ねます。
 「送ったらすぐ帰る」と言いながらも、ディーノは、「さすがベルナスキ家の豪邸だ」と呟いて車を中に入れてしまいます。
 ここで、「第1章 ディーノ」との字幕が入ります(注2)。
 そして、セレーナはディーノに「チャオ」と言って、ベルナスキ家の一人息子のマッシグリエルモ・ピネッリ)と会うべく家の中に入ります。
 入れ替わりに、車から出たディーノのところに、ベルナスキ家の当主・ジョヴァンニファブリッツィオ・ジフーニ)の妻であるカルラヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)が現れます。
 カルラは、「セレーナは当家で人気者よ」「ちょっと用事があるので失礼するわ」と言って、車に乗って外出します。

 残されたディーノがテニスコートを見ると、ジョヴァンニらがテニスをしています。
 ジョヴァンニがディーノに「テニスをしたことは?」と訊くと、ディーノは「少々」「でもウエアを用意していない」と答えます。それに対し、ジョヴァンニは「そんなものは家にある」というので、ディーノはテニスに参加することになります。

 こうしてディーノはベルナスキ家に入り込むことになりますが、さあその後はどのように展開することになるのでしょうか、そしてファブリッツィオと衝突した車を運転していたのは誰なのでしょうか、………?

 本作は、一応は、ひき逃げ事件の真犯人を追うというサスペンス物。それが、富豪に取り入って大金をせしめようとする不動産屋の男、その富豪の妻、そして不動産屋の娘という3つの視点から描かれます。と言っても、事件の謎解きよりも、むしろ、それらの人々が様々な人と織りなして作り出されるエピソードの方に興味を惹かれました。

(2)本作については、サスペンスとされ(注3)、また、監督は、「主要なテーマは、増やすのも不安、失うのも心配なお金というものが、それに触れる人々の人間関係や運命や価値をいかに左右するかということです」と述べています(注4)。
 確かに、本作では、映画冒頭のひき逃げ事件の真犯人は誰かということが最後まで追求されています。
 また、「お金」を巡る問題がいろいろ描き出されてもいます(注5)。
 例えば、本作の原題は「Il capitale umano」(英題はHuman Capital)であり、それは「人的資本」(注6)のことであり、本作に当てはめれば、死んだウェイターのファブリッツィオに自動車保険から支払われる慰謝料を意味しています(注7)。
 また、上記(1)で記したように、中産階級のディーノは、なんとか富豪のベルナスキ家の中に入り込んで一儲けしようと企んでいます(注8)。

 ですが、本作を見ていると、そんなことよりも、3人の女性の動きに興味が惹かれます。
 ジョヴァンニの妻のカルラは、夫とうまくコミュニケーションができないままに、存続の危機にある街の劇場の再建に取り組み、その際、劇作家のドナートルイジ・ロカーショ)と不倫の関係を持ってしまいます。



 また、ディーノと先妻との子・セレーナは、ジョヴァンニの息子マッシと別れ、大麻所持で逮捕されたことのある下層階級のルカジョヴァンニ・アンザルド)と親しく付き合うようになります。



 さらに、ディーノの後妻のロベルタヴァレリア・ゴリノ)は心療内科医であり、ルカのカウンセラーとなっています(注9)。



 それぞれ、お金の面というよりも愛情関係の面で、自分の興味と関心に従って動いているように描かれています(注10)。

 これに対し、本作に登場する男性の3人はお金に囚われたダメ人間のように描かれています。
 ジョヴァンニは、ファンドの運営に全精力を注ぎ込み、お金が全てであるように行動します(注11)。また、ディーノは、そんなジョヴァンニに取り入って、多額の儲けをせしめようとします(注12)。



 さらに、ルカを養育する叔父のダヴィデは、亡くなったルカの母親の保険金で生活しています(注13)。
 男性側がこのようにお金に絡め取られたダメ人間として描き出されているからこそ(注14)、お金と直接的な関係を持たない女性側が本作において目立つようになるのでしょう。

 そしてその有様が、ひき逃げ事件の真犯人追求という縦糸と、上流・中流と下層の階級的な対立という横糸の中で描かれている点が本作の特色のように思えます。
 ただ、同じ事柄がディーノ、カルラ、セレーナという異なる3つの視点から何度も描き直されるために、最初のうちは随分と騒々しく落ち着かない感じがして、映画の中に入り込むのに時間がかかってしまい、全体的にもごった煮のような感じが残ってしまいます。

(3)村山匡一郎氏は、「パオロ・ヴィルズィ監督は、冒頭のひき逃げ事件の犯人は誰かという謎解きの緊張感を保ったまま、登場人物それぞれの生活をリアルに描き出す。その一方、構成の妙味を通して、主人公たちの感情や出来事を次第に膨らませつつ奥行きのある物語に仕立て上げた」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 真魚八重子氏は、「この映画では年齢や経験は関係なく、誠実さを知る者と、自己中心的な者が分かれて、それぞれの人生が交錯する。その中でも意外なのが「貪欲さ」「自己犠牲」「庶民」「確固たる己を持たない者」という個性の中で、その誰が一番の貧乏くじを引くかだろう。人間の値打ちは、金で計れてしまう。そのなんと、虚しくあじけないことか」と述べています。
 毎日新聞の高橋諭治氏は、「マネーゲームで荒稼ぎする富裕層や、心のよりどころを求めてさまよう若者らの人生が交錯する物語は現代社会の縮図のごとし。人間の見え、欲望、愛の渇きをミステリー仕立てであぶり出す語り口がさえ、皮肉はたっぷりでも冷笑的にならない作り手の真摯な視点が映画に確かな情感を吹き込んだ」と述べています。



(注1)監督は、パオロ・ヴィルズィ
 原作は、スティーヴン・アミドン著『Human Capital』。

(注2)以下、「第2章 カルラ」、「第3章 セレーナ」、「最終章 人間の値打ち」と続きます。

(注3)公式サイトの「イントロダクション」に、「北イタリア・湖水地方にそびえ立つ美しい邸宅を舞台に、人びとの交錯する欲望の行方を描くラグジュアリー・サスペンス」とか、「今の時代を生きる私たち全てに、人間の幸せとは何かを問いかける比類なきサスペンス」とあります。

(注4)劇場用パンフレットに掲載の「監督ノート」より。

(注5)劇場用パンフレットに掲載されているエコノミストの浜矩子氏のエッセイ「カネの切れ目は出会いのはじまり?」に、「本作から受け止めるべき経済学的教訓」として、「株にしろ何にしろ、値下がりを当て込んで「空売り」するのは止めておこう」、「(それに)借金までしてカネをつぎ込むのは、もっといけない」、「芸術的支援に使ったはずのカネを、ぼろ儲けで回収しようとしてはいけない」の3点を挙げています。確かに、素人が「投機」を行うのは止めたほうが無難かもしれません。ですが、ですが言えるのはせいぜいそのくらいであって、もともと「投機」は立派な経済的行為であり、浜氏のように倫理的な観点から規制すべきではないでしょう。そんなことをしたら株式市場はやっていけなくなってしまいます(それに、本作では、ジョヴァンニは、当初は会社倒産の危機を迎えたものの、結局は賭けに勝って大儲けをしているのですから、こうした「教訓」を本作から導き出すというのもいかがなものかと思われます。モット言えば、浜氏の挙げる3番目の教訓は、本作のどこの部分に対応してるのかわかりませんし、浜氏が拠り所とする「経済学」とはどんな内容のものなのでしょうか?)。

(注6)「人的資本」とは、例えばこの記事では、「将来獲得可能な収入を現在価値で評価したもの」と定義されています。

(注7)その金額は21万8976ユーロ=約2千4百万円。
 ただ、それが一人の人間の価値としては安すぎると批判してみても、それ自体は一つの計算方法にすぎないのですから、とやかく言ってみても仕方がないように思われます。

(注8)ディーノは、背伸びをして、娘のセレーナを名門の私学校(グレゴリウス14世高等学校)に通わせ、狙い通りに、セレーナはベルナスキ家の一人息子のマッシと親密な関係になります。さらにまた、テニスを通じて、ディーノはジョヴァンニの面識を得、ついにはジョヴァンニが運営する「ベルナスキ・ファンド」に加わることになります(実際には、ファンドの規約に反して、ディーノは、銀行から借り入れた70万ユーロをファンドに投資します。ですが、その後ファンドが大きな損失を出したために、大幅に目減りしてしまうのですが、……)。

(注9)さらにロベルタは、ディーノの子供を宿してもいます。ただロベルタは、そのことをディーナに告げますが、「セレーナには言えないから、あなたから話して」と夫に頼みます。
 セレーナとの関係はなかなかうまくいかないながら、ロベルタは実際にはセレーナのことを親身になって考えています。

(注10)ただ、カルラについては、暗黙の内ながらも夫の財産に頼り切りであり、夫のファンド運営会社が倒産しそうになると何も行動できなくなってしまいますが。

(注11)カルラが再建しようとした劇場についても、ファンドの資金が必要なジョヴァンニはマンション業者への売却を考えており、カルラに劇場再建に出資できないと言います。

(注12)さらにディーノは、カルラに秘密の情報を売ることによって、ジョヴァンニのファンドに投資して損をした分を取り返そうとしますが、その際に、カルラにキスをも求める下劣な男なのです。

(注13)ルカが捕まる原因となった大麻は、実際には、このダヴィッドが栽培していたのです。

(注14)さらに、劇作家のドナートは、劇場再建ができず、不倫の関係も続けられないことをカルラから告げられると、口を極めてカルラを罵るどうしようもなさを示します。



★★★☆☆☆



象のロケット:人間の値打ち



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (atts1964)
2017-03-29 08:45:17
そうか、3人ずつの男女を対象的に観れますね。
基本バカ息子も含めて、男性の浅ましさと、それに翻弄される女性という構図ですが、一番ピュアなルカが悲劇を引き起こす、人生の矛盾が痛烈でした。
TBありがとうございました。
返信する
Unknown (クマネズミ)
2017-03-29 20:57:00
「atts1964」さん、コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「一番ピュアなルカが悲劇を引き起こす、人生の矛盾」が描かれています。ただ、ルカにはセレーナが付いていますから、きっと立ち直ることでしょう。
返信する
Unknown (ふじき78)
2017-04-27 10:15:49
男の方が金にウツツを抜かすダメ人間、女の方が愛情に興味と関心を持つという意見が面白かったです。
男が関心を持つ「金」は狩猟生活でいうところの狩りの結果であるし、女が関心を持つ「愛情」や「協調」は狩猟生活のバックヤードとなる共同体を運営するための必須要素であるので、そこに行きつくのはどんなに新しいようでいても一皮剥くと原始的だったりするのかな、と思わされました。
返信する
Unknown (クマネズミ)
2017-04-27 17:46:01
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
「男が関心を持つ「金」は狩猟生活でいうところの狩りの結果であるし、女が関心を持つ「愛情」や「協調」は狩猟生活のバックヤードとなる共同体を運営するための必須要素である」との分析は大層興味深く、そこから、「どんなに新しいようでいても一皮剥くと原始的だったりする」というご見解を導き出されていますが、なるほどなと思いました。
返信する

コメントを投稿