映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ミラノ、愛に生きる

2012年01月18日 | 洋画(12年)
 『ミラノ、愛に生きる』をル・シネマで見てきました。

(1)渋谷のル・シネマは、Bunkamura改装工事のために閉鎖されていたところ、昨年末にその工事が完了し、本作は、再開第1作目ということになります(映画館の内部は、以前とそんなに違ってはいないように見受けられますが、全席指定になったことが目立つ違いなのでしょうか)。そこで期待して出かけてみたのですが、確かに、舞台背景は豪華なものの、映画のストーリーとしてはちょっとどうかなという感じでした。

 本作は、ミラノに住む財閥レッキ家に嫁いだロシア人女性・エンマティルダ・スウィントン)を巡る物語です。
 冒頭は、その家での超豪華な食事風景。
 財閥をいまだに切り盛りしている祖父から何か重大発表があるとのことで、一族全員が集まっています。祖父の重大発表とは、自分は一線から退き、これからはエンマの夫・タンクレディと、長男エドアルドに任せるというもの。

 一方で、エドアルドは、友人のシェフ・アントニオと一緒に、サンレモ郊外にリストランテを開く計画を持っています。

 そんなアントニオを家の者に認めてもらうべく、エドアルドは、家で催されるパーティーの料理をアントニオに任せます。ところが、その料理を食べた母親のエンマは、余りのおいしさにアントニオに対していいしれないときめき(注1)を持ってしまうのです(注2)。
 様々な口実を作って(注3)、エンマは、サンレモ郊外の山の中にあるアントニオの山荘に出かけて、果ては性的な関係を持ってしまいます。
 むろんそれは2人の秘密でしたが、いろいろな兆候から、長男エドアルドは、母親のエンマが友人のアントニオと関係を持っていることを嗅ぎ取ってしまい(注4)、庭で母親を問い詰めます。ですが、その際に、誤ってプールに落下してしまい、打ち所が悪いこともあって死んでしまうのです。
 さあ、この富豪ファミリーはどうなってしまうのでしょうか、……。

 こういうストーリーを描くのであれば、エンマの夫のタンクレディが不倫を働いている場面とまでは言わずとも、エンマに冷たくふるまっている場面といったもの、あるいは、エンマが、故郷のロシアから遠く離れたところで酷く寂しい思いをしている場面、または家に縛られて自立できずに悶々としている様子といったものが、映画に説得力を与えるために最低限必要でしょう(注5)。
 ところが、本作では、そんな場面は一切描かれず、ただエンマは、アントニオが作った料理にときめいてしまったから不倫に及んでしまった、というだけなのです。
 もしかしたら、製作者側は新機軸を打ち出そうとしたのかもしれません。世の中には、ピアノを華麗に弾く演奏家に恋をしてしまったり、鮮やかな絵を描く画家を愛してしまったりする場合だってありますから、素晴らしい料理に感動する余り、それを作ったシェフにときめいてしまってもかまわないのかもしれません(料理は、ある意味で芸術作品なのでしょうから)。
 としても、随分の深みに嵌ってしまうまでに至るプロセスや背景をじっくりと描いてもらう必要はあるのではないでしょうか?

 また、エドアルドは、ことのほか“お母さん子”で、そうだからこそ逆に、アントニオとの裏切り行為が許せなかったのでしょう。
 にしても、エンマとアントニオの関係が分かったというのに、いとも簡単に画面から退場させてしまうものです。“お母さん子”故の憎しみから何かする場面だってあり得たはずにもかかわらず!

 また、長女のエリザベッタの深刻な悩み(注6)をエンマが親身になって聞く場面は設けられています。ですが、もう一人の子供である次男・ジャンルカは、初めから終わりまで放ったらかしなのです(注7)。これはどういう理由からでしょうか?

 一方で大都市ミラノ(それも豪勢な邸宅)、他方でサンレモの山中(ことさらみすぼらしい山荘)という具合に舞台を設定し、さらに一方で財閥のレッキ家での金のかかったパーティー、他方で森の自然の中でのエンマとアントニオとのセックス、という具合に、様々なレベルで対比的に状況を描き出そうとしているのはすぐに読み取れます。
 しかしながら、本作が映し出す対比の程度であれば、余りにも月並みすぎます(すぐに思い浮かぶのが、D.H.ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』でしょう)。
 ヴィスコンティを現代に蘇らせるという謳い文句となっていますが、そう言うためにはさらなる目の覚めるような捻りが必要になってくるのでは、と思われるところです。

 とはいえ、クマネズミにとって、ミラノでは、ドゥオーモの威容に圧倒されたり、近くのコモ湖の素晴らしい景観に感動したりしたことがあるので、文句ばかり書き並べるのはもうやめにしましょう。むしろ、たっぷりと描き出されているレッキ家の豪勢な暮らしぶりとか、登場人物のファッションなどを味わうべきと思います。

 主役のエンマに扮するティルダ・スウィントンは、『フィクサー』(『ラスト・ターゲット』についてのエントリの「(2)」で触れました)に出演していたのを見ただけながら、まさにロシア出身の貴婦人役にうってつけで、その姿全体に気品が漂っています。



 また、長女エリザベッタを演じるアルバ・ロルヴァケルは、『ボローニャの夕暮れ』において、高校教師ミケーレの娘ジョヴァンナに扮していて素晴らしい演技を披露していましたが、この映画では出番が少ないながら、なかなか難しい役柄をうまくこなしています。




(2)ここで、エンマの不倫相手のアントニオエドアルド・ガブリエリーニ)に若干注目すると、冒頭のレッキ家の会食の際に、ボートレースで、エドアルドは2着になってしまったと報告しますが、その時に1着だったのがアントニオなのです。アントニオは、どうやら料理の才能だけでなく、肉体的にも優れているようです。



 というところから、アントニオとエドアルドとは親友ということになっていますが、そしてエドアルドの方は対等のつもりで付き合っていますが、実際にはアントニオの方は、自分は料理人で富豪の息子のエドアルドとは身分的な差を感じており、だから逆に物凄い対抗意識を持っていたのでは、と思われます。あるいは、もしかしたら、エンマの籠絡を当初から考えていたかもしれませんし、少なくとも、エドアルドに内緒で、「ウハー」をリッキ家の会食の際に出すときは、リッキ家に思い知らせてやると考えていたのではないでしょうか?
 これは、ある意味では、『ミケランジェロの暗号』における画商の息子のヴィクトルと雇い人の息子ルディとの関係に似ているとも言えるのではないでしょうか?

(3)読売新聞の記者・恩田泰子氏は、「この映画は、彼女の中で理屈や計算を超えた衝動が生まれ、化学反応を起こす過程を執拗に追う。ミステリーのごとく、メロドラマのごとく、荘厳な家族ドラマのごとく。ルカ・グァダニーノ監督は、古典小説や映画のエッセンスを大胆に絡み合わせて観客を魅了、物語の中へ引きずり込む。彼女の変革が成就を遂げる終幕には、ほろ苦い歓喜を共有させられるはずだ」と述べています。



(注1)『恋の罪』の園子温監督の用語法で言えば(1月8日のエントリの「注1」を参照)、「ときめき(romannce)」でしょうか?そしてそれが次第に「愛(love)」になっていくのでしょうか?
 なお、原題は「IO SONO L'AMORE」であり、その英題は「I AM LOVE」なのです!

(注2)なにしろ、大勢と会食しているものの、エンマだけにライトが当てられ、全体から浮かび上がり、また食べているエンマの顔や料理が、スクリーン一杯に大写しになるのです。

(注3)長女のエリザベッタは、ロンドンに行って絵を学んでいるはずでしたが、途中で写真の方に転向すると言いだし、その個展がニースで開催されることになります。ニースへは、ミラノからだと、丁度サンレモを通って行くことになるため、その準備と称してエンマは、サンレモ郊外のアントニオの山荘に行こうとするのです。

(注4)エンマがそのレシピを秘密にしていたスープ「ウハー」が食卓に出されたのを見て、エドアルドは、エンマがそれをアントニオに教えたことを知ります。

(注5)エンマは、アントニオに、ローマに来てからは一度もロシアには戻ったことがないとか、本名はエンマではなく、ロシアではキティーシュと言われていた、エンマは夫がつけたものだ、などと話しますが、他愛のないレベルにすぎないと言えるのではないでしょうか。
 また、アントニオが住んでいるサンレモを何度も訪れるところを見れば、エンマがことさら家に縛られているとも言えないように思われます。
(まさか、Emma RecchiがEmma Bovaryに拠っているとは思いませんが!)

(注6)同性愛。エリザベッタを愛する男性グレゴリオはいますが、彼女は拒絶します。なお、兄のエドアルドには、この悩みを打ち明けていて、偶然にエンマは、そのことを記した手紙を読んでしまうのです。

(注7)長男エドアルドが亡くなったと判明した時、エンマは長女エリザベッタを抱きしめたりするものの、ジャンルカは一人手持無沙汰といった感じなのです(といって、父親が彼を慰めるわけでもありませんが)。また、葬式の後、エンマがレッキ家を立ち退く際にも、次男ジャンルカには一瞥たりともしません。
 なお、ジャンルカは、理想主義者の長男エドアルドと違って大層現実主義者で、レッキ家が富裕になったのも、祖父が戦時中政府と手を握って生産を拡大させたからで、またユダヤ人からだいぶ搾取をしていたことをも承知しています。
 また、父親がイギリスの工場を売却しようとしていることについても前向きで、それに反対する長男(そんなことをしたら家名に傷が付くとして)とは姿勢がだいぶ異なっています。
 としたら、父親は次男に目をかけるはずですが、映画ではそんなそぶりはうかがえません。

追記12.1.20〕下記の「がっちゃん」さんのコメントで気がついたのですが、本作の公式サイト(http://www.milano-ai.com/index.html)のトップに掲載されている画像は、拙ブログの冒頭に掲載されている画像から次男ジャンルカを消去したものとなっています(同サイトの「cast」でも、ジャンルカに扮するマッティーア・ザッカーロは掲載されていません)。にもかかわらず、同サイトのcastの背景となっている画像には、マッティーア・ザッカーロが大きく映し出されているのです。
 こんなことは本作の内容とは無関係でしょうが、評点としては★2つにしたくなってしまいます。
 なお、1月19日付朝日新聞朝刊の「ブランド×女優」という記事においては、本エントリで使用したティルダ・スウィントンの写真を掲載しつつ、本作で衣装を制作したジル・サンダースのデザイナーのラフ・シモンズが、彼女について、「私のデザインを完璧に体現してくれる。気品があり、かつ感覚の鋭い女性」とほれこんでいる、と紹介されています。



★★★☆☆




象のロケット:ミラノ、愛に生きる


最新の画像もっと見る

15 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます (がっちゃん)
2012-01-18 10:07:49
クマネズミさんへ

コメありがとうございました。
そうそう、テンプレートを両面タイプに変えたら、自動改行を使うか、写真サイズを小さくしないと、読みにくくなりますよ~

次男君についてですが、映画のチラシとパンフレットはほぼ同じ角度の同じポーズのショットなのに、パンフレットには載っている、次男君がチラシでは全く透明人間のように消えているのが不気味です。
なんていうか、それがあの家族を物語ってる気がしました。
それにしても、あの性愛描写にあれだけ長い時間を割くのなら、家族の中で、どんな風に彼女が孤独を感じていたのかをかいて欲しかったですねぇ~。

例えば家の中でロシア語を禁じられてて、あのアントニオが喋れて始めて心が通うとか・・・

あの最後のシーンで長男の妻が全く無視されて、病室に入れませんでしたけれど、彼女のほうがずっと孤独って感じがしました。


返信する
字幕語 (milou)
2012-01-18 15:14:36
この作品は主演のスウィントンが長年映画化を希望して自ら製作も兼ねているようだが、やはり彼女を見せるというのが一番の目的のようで、その意味では十分目的を果たしていると思います。
(個人的には好きな女優ではあるが50歳の彼女の長すぎる濡れ場なんて見たくなかったが)

映画が始まり最初に面白いなと感じたのは英国の高貴な家柄のスウィントンが英語を封印されイタリア語と少しのロシア語を喋ること。台詞は決して多くはないがイタリア語はごく普通に自然でした。

字幕語というのは僕の造語だが字幕というのは一般の外国語同様、独自の文法を持った“書き言葉”です。
例えば句読点を使わないとか主として字数制限による独特の省略法など。

その一つに映画内での外国語台詞に<>を付ける場合が多い。
この映画の場合、当然メインはイタリア語なのでロシア語の場合は<>が付けられた。

しかしそのような文法を知らない一般の観客にとって、それが外国語ましてやロシア語であることが分からなかったとしても映画を見ているうちに、アントニオとのみロシア語で話していること、そしてそれが重要な意味を持つことは、わざわざ<>を付けなくても理解できるはずだと思う。現実に同じ外国語でも英語部分には<>はつけられていなかった。

ちなみにどこの国だったか忘れたが外国語の場合、その字幕の前に<>ではなく、例えばEnglish:**** とか表示した例があった。
返信する
すいません (milou)
2012-01-18 15:22:39
もちろんロシア語で話すのはアントニオではなくエドアルドです。ただ面白いのはアントニオを演じる俳優もエドアルド(・ガブリエリーニ)とややこしい。
返信する
Unknown (KLY)
2012-01-19 01:24:56
すごいなぁ恩田泰子さん…。
やっぱりこのぐらい褒められないと映画担当とかやってられないんでしょうね。ある意味尊敬します。
一つだけ素晴らしいと思った点はそのファッションセンス。やっぱりスーツを着こなす姿がとてもステキでした。日本人じゃむりだろうなと思いつつ…(苦笑)
返信する
この作品 (rose_chocolat)
2012-01-19 05:24:26
2人の愛が生まれる時の光景を思い出していただきたいんですが、スクリーンを通じてまるですぐそこにあるような触感というか、五感を刺激されるような感覚を受け取りました。
この映画がお好きな方で、同様の感想をお書きの方がいらっしゃいましたね。
このあたりは文章でどうのこうのというものではなく、それこそ感じ取れるか否かということなんでしょう。
そして、もう1つこの映画を読みとるポイントとしては、ティルダのファッションセンスやセレブリティ特有の洗練された仕草の裏側にある、深い絶望や悲しみにも目を留められるかどうかでしょう。

ですので、ストーリーで×をつけてしまうと、もうそれまでです。
男性はこういう映画はあまりお好みではないようですね(苦笑)
返信する
次男の存在 (クマネズミ)
2012-01-19 06:49:59
「がっちゃん」さん、TB&コメントをありがとうございます。
イ)「自動改行」のボタンは常時入れているのですが、……。それでも見難いというのであれば、写真のサイズをもう一段階小さくする必要があるかもしれません。

ロ)次男のジャンルカについて、チラシとパンフレットの違いというのは気がつきませんでした。そうだとすると、心霊写真→ホラー映画という線も出てくるのかもしれません(とはいえ、そうしたものは日本で制作されているのでしょうから、)!

ハ)シェフのアントニオがロシア語を喋れて、エンマの心が慰められてという展開だと見る者は落ち着きますが、ただ、「ウハー」が食卓に出されたときのエドアルドの反応に意味が出てくるのは、アントニオがロシアのことを何も知らないという設定からでしょうから、その線は難しいのではと思われますが。
なお、下記のmilouさんのコメントにあるように、シェフのアントニオに扮する俳優の名前がエドアルドなので、何かしらソコに意味を見つけられるのかもしれませんが!
返信する
字幕と吹替 (クマネズミ)
2012-01-19 06:57:42
milouさん、コメントをありがとうございます。
日本でも、シネコンの増加などもあって、このところ欧米並みに吹替版が普及しつつあるとの報道がありましたが、そうした中で、「字幕語」に関する興味深いご議論をありがとうございます。
なお、シェフのアントニオを演じる俳優の名前が、シェフの親友である長男の名前と同一だというご指摘も、とても面白いですね。
返信する
スーツと着物 (クマネズミ)
2012-01-19 07:03:27
KLYさん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、恩田さんの「彼女の中で理屈や計算を超えた衝動が生まれ、化学反応を起こす」といった表現には圧倒されてしまいます!
そして、ミラノは、さすがファッションの街ですね!
そして、スーツは欧米人によく似合うとしたら、着物はヤッパリ日本人ですね(女子サッカーの沢選手の着物姿は素晴らしかったと思います)。
返信する
いたって鈍感な者で (クマネズミ)
2012-01-19 07:11:08
「rose_chocolat」さん、TB&コメントをありがとうございます。
「スクリーンを通じてまるですぐそこにあるような触感というか、五感を刺激されるような感覚」というのは、クマネズミのエントリの(3)で引用した恩田氏の「彼女の中で理屈や計算を超えた衝動が生まれ、化学反応を起こす」といった表現振りに通じるところがありますね!
そして、この映画のポイントが、それを「感じ取れるか否か」にあるとしたら、そしてそれを感じ取れる人に女性が多いとしたら、クマネズミとしては白旗を掲げるほかに仕方がありません!
今後は、自分の評価が普遍的であるかのように振る舞うのは差し控える必要がありそうです。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-01-19 20:42:54
私もチャタレイ婦人を思い出しました。色白の金髪の貴婦人と泥で汚れた土の似合う男性。
クールビューティーの貞淑な妻の殻を破り捨てて自由に生きる話なのはわかるけど、やはり彼女の行動に説得力はないし、共感も感情移入も出来ませんでした。
情熱的ではないけれど、静かで誠実な愛で妻として、母としての彼女を信頼していた夫。豊かな生活。円満な親族関係。
ロシアへの郷愁も家庭への不満も、彼女があの料理人にああまで惹かれる原因としては描かれていません。
おまけに最愛?の長男を自分のせいで死なせておいてまで、あの貧相な愛人のもとに走る心理がわからない。
なんかこう、自由な愛に目覚めて羽ばたくの、私♪みたいな明るさもないし。最後は息子を失って心が壊れちゃった狂女に見えました。
ヴィスコンティならもっと緻密に手堅く話をまとめてくれた気がします。
やっぱりティルダはデレク・ジャーマンの影響を受けていて、ああいう後半の話運びになったのかも、と思いました。
前半のゴージャスな画面は観ていて楽しかったからよしとしますが。
返信する

コメントを投稿