2021年2月23日 12時1分 産経新聞
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国宝の本堂を含め、9棟が解体、半解体されるなど平成20年度から10年以上かけて行われた世界遺産・清水寺の「平成の大修理」。
真新しい本堂の檜皮葺(ひわだぶき)屋根や「清水の舞台」に目を奪われがちだが、本堂に並べられた絵馬の後ろから、別の絵馬やお参りの際に参拝者が納めた古い巡礼札が多数出てくるなど、工事による思わぬ副産物が続々と明らかになった。大規模修理のおかげで、寺の長い歴史に新たなページが書き加えられていきそうだ。
絵馬の後ろに何かある-。昨年末、本堂の漆喰(しっくい)壁の塗り直しのため作業していた京都府文化財保護課の職員が、南面内側にかかる海北(かいほう)友雪筆の巨大絵馬「田村麻呂夷賊(いぞく)退治図」(縦2・6メートル、横約9メートル)の後ろに置かれた絵馬を発見した。
この絵馬は、縦約60センチ、横約80センチ。2人の人物が左右から馬の口取りをする姿を描いた「牽馬図(ひきうまず)」で、保存状態もよく金箔(きんぱく)も鮮やかなまま。「寛永拾年三月吉日」「願主 向次良左衛門尉」の文字も読み取れた。
本堂は寛永6(1629)年に焼失し、3代将軍・徳川家光によって再建され、10年12月に遷座法要が営まれており、絵馬はその9カ月前に奉納されたものだ。寺に現存する寛永の火災で唯一残った長谷川久蔵(きゅうぞう)筆の絵馬(重要文化財)と、本堂再建の前年に奉納された絵馬に次いで3番目に古いものになる。
作者については不明だが、大阪大の奥平俊六名誉教授(美術史)は「とても貴重な絵馬で、大胆な筆致などから、江戸期の狩野安信か、父親の弟子の作かもしれない」と語る。
本堂には25枚の絵馬があるが、本格的な漆喰壁の塗り直しは再建以来初めてとみられ、寺側も把握していなかった新たな絵馬の存在が明らかになった。
既存の絵馬の背面からは新出の絵馬にとどまらず、信仰のあり方を示す遺物ともいえる718点の巡礼札も見つかった。そのうち716点は江戸期に盛んだった西国(さいこく)三十三所観音霊場巡りの巡礼札だ。
清水寺は西国三十三所の16番札所。札は、大量に巡礼先の柱や板壁にくぎで打ち付けられる一方で、「札上げ」と呼ばれる焼却行事が定期的に行われたため、清水寺の坂井輝久学芸員は「巡礼者は札が焼却されないようにこっそり隠したのではないか」と推察する。
同様に「千度参り」「百度参り」で、その回数を数えるのに使った千度串や千度札も300点以上見つかった。
一方で、意外な発見も。
江戸中期の臨済宗中興の祖である白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師筆とされ、本堂東側に掲げられた書が、実は禅師のものではないことが明らかになったという。
壁の塗り直しのため、額を下ろしたところ、裏面に記された銘で、宝暦10(1760)年に大阪の書家、沢井穿石(せんせき)によって書かれたものと分かった。
これまで「白隠の書」と言い伝えられ、本堂の案内板にもそう記載されてきたが、歴史を書き換える発見となった。「清水寺にとっては恥ずかしいことだが面白い発見」と坂井学芸員。清水寺は、今後案内板を書き換えるという。