(2/5(金) 8:51 京都新聞)
・参照記事
https://news.yahoo.co.jp/articles/ddc40bd7361af9981dfa6f03dba4fd6ab7ca3150
屋根の葺(ふ)き替えや舞台板の張り替えなど本堂の大規模修理を終えた清水寺(京都市東山区)で、江戸時代の巡礼札が大量に見つかった。しっくい壁を塗り直すために本堂内側に掲げられた絵馬を外したところ、壁面に取り付けられた長押(なげし)の内側に多数納められているのが発見されたといい、民衆の観音信仰を今に伝えている。
巡礼札は、巡礼の年紀や巡礼者の名前、居所を記した木製の札。参拝の印として霊場に納められる。清水寺は日本最古の観音巡礼として知られる西国三十三所の第16番札所にあたり、今回見つかった718のうち716点は西国三十三所巡りの巡礼者が奉納したもので、2点が洛陽三十三所巡りの札だった。最古の札に記された年紀は江戸時代初期の1635年。現在の山梨県北社市にあたる「甲州巨麻郡逸見荘」の居所と氏名が記されていた。
古い巡礼札については「札上げ」と呼ばれる行事で焼却する風習があったため、今回のように江戸時代からの巡礼札がまとまって見つかる事例は珍しく、西国第26番札所・一乗寺(兵庫県加西市)の4926点、第20番札所・善峯寺(西京区)の1791点などに次ぐ規模とみられる。清水寺の坂井輝久学芸員は「巡礼札は舞台下などからも発見されている。寺の人に見つかると札上げで燃やされてしまうため、少しでも人目に付かないよう長押に隠したのかもしれない」と参拝者の心情を推し量る。
今回の修復で本堂の長押からは「千度参り」でお参りした回数を数えるための「千度串(札)」も300点以上見つかった。堂内には巡礼札を打ち付けた釘(くぎ)の跡が現在も無数に残っており、また、本堂外回りの壁面には千度参りの参拝者が千度串を壁に押し当てて歩いたことによってできた溝も残る。いずれも清水寺が古くから民衆の信仰を集めていたことを示す名残であり、貴重な民俗史料として保存するという。