世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

靖国神社に参拝しよう(1)

2008-09-10 10:50:23 | Weblog

1.神道指令とは?

江戸時代末期、諸外国の開国要請の圧力を受けた江戸幕府は、その鎖国政策を改めざるを得なくなり、日本国内は混乱を深めたいった。

この幕末時代は、日本の混乱を危惧する薩摩などの雄藩と京都における天皇を中心とする朝廷と幕府の存続を図る江戸徳川の3勢力が、夫々しのぎを削り維新への道を、ひた走りだした。この動きが尊皇攘夷運動となり、もはや幕府では日本の建て直しは不可能との大勢となり、倒幕運動へと進んでゆく。幕府と朝廷の二つの体制では、近代国家への脱皮は不可能であった。幕末の日本は、天皇を中心とする強力な立憲君主国家を目指して、近代国家としての新しい日本を築いてゆくことになり、古来より神格性を有していた天皇をその頂点に拝し奉る(大政奉還、王政復古)事により明治維新がなり、日本の近代国家としてのスタートを切ったのである。

そして、古事記・日本書紀などにも表現されているような連綿と日本を統治する天皇*と、国民との間に伝統的な絆があることを考慮し、明治政府は神社制度を整備し「神道」を国民統合の支柱としていった。これを「国家神道」と言い、「教派(宗教)神道」と区別した。そして大日本帝国憲法の下での信教の自由の建前上、国家神道は宗教ではなく一種の道徳的なものとの位置づけをして、神(天皇)を敬うこと(敬神)は国民の義務とした。

* 西暦478年の倭王武(雄略天皇)の南宋への上表文
(http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku246.htmによる。)

昔より、祖禰(そでい)自ら甲冑をはき、山川を跋渉し寧処(ねいしょ)に暇あらず。東は毛人を征すること55カ国、西は衆夷を服すること66カ国、渡って海北を平らげること95カ国。王道は融泰であり、土を開き、機をはるかにする。

やがて天皇を「現人神」、日本を「神国」として、天皇の威を借りた軍部による米英を懲らしめよ論が噴出し、大東亜戦争への道を歩むこととなる。1945年8月15日、大東亜戦争の敗戦を迎え、GHQ連合国軍最高司令官総司令部*により、国家神道を廃止し国家から神道を分離し軍国主義を排除し、政教分離を果たし信教の自由を確立するための通達が発せられた。この通達によって「大東亜戦争」「八紘一宇」などの言葉の使用も禁止された。

これが1945年(S20年)12月15日に発せられた覚書「神道指令」(国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件)である。

*GHQとは(Wikipediaによると)、”General Headquarters/Supreme Commander for the Allied Powers”、直訳すると「総司令部/連合国軍最高司令官」となり、連合国(軍)総司令部などと略称する。GHQは、軍事部門(参謀部)と専門部局(幕僚部)からなり、この神道指令は幕僚部の民間情報教育局(CIE)が大きく関与している。

幕僚部の組織

1.民生局(GS:Govermment Section 政治行政)
2.経済科学局(ESS:Economic & Scientific Section 財閥解体など)
3.民間情報教育局(CIE:Civil Information & Educational Section教育改革など)
4.天然資源局(NRS:Natural Resources Section農地改革など)

参謀部の組織

1.第1部(G1人事担当)
2.第2部(G2情報担当、諜報・保安・検閲を任務とし大きな発言権を持っていた。)
3.第3部(G3作戦担当)
4.第4部(G4広報担当)
(続く)
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