(17) 陸大校長の井口省吾は好き嫌いが激しく、自分の頭で考える陸大教官を
すべて追い出し、自分に忠実なものだけを残した。
「ロシア破れたり」のP205~207。
「機密日露戦史」を書いた谷寿夫は、校長の井口に厚遇された一人である
が、谷は井口の指導に従順だったために、成績上位で卒業している。自分
で考える学生は教官と衝突して、成績が下げられがちであった。
この谷の「機密日露戦史」はかなりの力作ではあるが、井口の影響を受け
更には谷の個人的見解が強く、かなり偏っているものである、とも書かれ
ているが、司馬遼太郎は「坂の上の雲」を幅広く日露戦史を読み込むこと
をせずに、もっぱらこの谷の「機密日露戦史」を種本として書かれている
、ともP207には記載されているので、「坂の上の雲」は(前にも指摘し
おいたが)間違いばかりなのである。
「ロシア破れたり」のP218には、
「乃木は第二回総攻撃前哨戦で九月二十日に龍眼北方堡塁と水師営堡塁と
ナマコ山を占領し、ナマコ山からの観測による二十八サンチ榴弾砲の砲撃
で九月三十日から十月三十日までに湾内のロシア軍艦を廃艦同然とし、海
軍への約束を果たした。乃木は自分の仕事をしっかりやっているのだから
、旅順戦は乃木に任せておけばよかったのだ。」
と記されている。しかるに「坂の上の雲」では次の様に児玉が墜(オト)とし
た様に書かれているが、
(文藝春秋社「坂の上の雲」四,S46年第15刷(P125~126))
これは「小説を面白くするための真っ赤なウソである。」
(「ロシア破れたり」のP219 )
『「まず、一つ」と、児玉はその第一項を口早やに言った。
「二百三高地の占領を確保するため、すみやかに重砲隊を移動し、これを
高崎山に陣地変換し、もって敵の回復攻撃を顧慮し、椅子山の制圧に任ぜ
しむ」
「二つ。二〇三高地占領の上は、二十八サンチ榴弾砲をもって、一昼夜ご
と、十五分間を間して連続砲撃を加え、敵の逆襲に備うべし』
「ロシア破れたり」のP219 には、更に次の様に書かれている。
『旅順攻略の原動力になったのは児玉ではなく、乃木の人格である。乃木
の下で戦った桜井忠温も、「乃木のために死のうと思わなかった兵はいな
かったが、それは乃木の風格によるものである、(誰もが)乃木の手に抱
かれて死にたいと思った」(『肉弾』)とはっきり書いている。
私は乃木を愚将だったとも思わぬし、無能だったとも思わない。』
これが本意だったのである。
(続く)