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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「バーフバリ 王の凱旋」

2018年07月16日 20時27分55秒 | 映画(2018)
どこを切り取っても大活劇。


インド映画の歴史を塗り替えたスペクタクル超大作。「伝説誕生」をしっかり鑑賞し、記憶が新しいうちにこちらの完全版を観た。

遥か昔のインドに栄えたとされる大国マヒシュマティ。先代の王が早逝したことをきっかけに、正当な継承者であるバーフバリといとこのバラーラデーヴァの間に起こる諍いを中心に物語は進行する。

神話的な世界の中で、強い者は徹底的に強く、バーフバリ(父子)もバラーラデーヴァも全篇を通して超人ぶりをいかんなく発揮する。

岩や象を持ち上げぶん投げ、高い城壁を飛び越え、剣や矢を自由自在に扱う。何十人、何百人を相手にしようと決してひるまず、ちぎっては投げていく様は壮観のひとこと。

その一方で、決してマッチョな男性だけのストーリーにしないところはさすが。主人公の傍らに美女を配し、マサラムービー伝統である豪華絢爛な歌と踊りの場面をしっかり用意している。

更に言えば、娯楽を追求する中で人物設定や脚本にも決して手を抜かず、バーフバリとバラーラデーヴァの関係が女性をきっかけにこじれていく筋書きはなかなか良くできていると思った。

バラーラデーヴァは嫉妬に己を乗っ取られ破滅するが、立場が違っていれば立派な王になれていたかもしれない。もちろんバーフバリ父も、デーヴァセーナ妃と違う出逢い方をしていれば運命は変わっていた。

国を治めつつ二人を母として育てたシヴァガミは立派であったが、二人の間の溝を修復不可能にしたのも彼女であった。デーヴァセーナは芯の通った女性であったが故に不幸な対立を招いてしまった。

一見勧善懲悪に徹している物語の陰に、繊細で脆い運命のいたずらが垣間見える構図が興味深かった。

エンドロールの後ろで「この後、バーフバリの子孫が王族を継いだの?」「それは分からない」という会話が流れるのが粋なところで、結局世の中は「神のみぞ知る」ということなのである。

本作の成功を経て、インド映画がどこへ向かっていくのか。国力の拡大とともにこれからも目を離せない。

(85点)
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「インサイド」

2018年07月14日 21時34分01秒 | 映画(2018)
あほすぎて汗が出た。


耳が聞こえない妊婦に謎の女が襲ってくるという設定だったはず。

しかし、冒頭のテロップで襲ってくる女の目的があっさりとネタバレされる。「乳児誘拐ですよ」とは実に親切。

これは変だなと傾げた首は戻るどころかますますその角度を大きくする。

襲ってくる女のやり方が行き当たりばったりで杜撰ならば、被害者の主人公の行動は輪をかけて支離滅裂になっていく。

故障した補聴器の替えを取りに行くなど事情はあるにしても、繰り返し繰り返し危険な状況にあっさりと飛び出して行く。

起死回生を狙った反撃を試みるも、そこにいたのは偶然やって来た実の母親で、これまたあっさり死亡。

嘘を重ねてぐだぐだになっていた犯人の女がこれで復活。もうお互い何をやっているのか呆れるほかない。

・・・って、いつの間にか耳が聞こえない設定はどこかに飛んでしまっているし、胎児はことごとく都合よく扱われている。

破水した後にあり得ないバトルを繰り広げて、最後はひとりでできましたでハッピーエンド。

これはきっと高校生が学祭の発表用に作った作品だったのだろう。

主演の女優のかわいらしい雰囲気に乗せられてお金を払い過ぎてしまった。

(30点)
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「女と男の観覧車」

2018年07月02日 20時57分03秒 | 映画(2018)
同じところを上へ下へと動くだけ。


世界中で盛んに行われている#MeToo運動。今までのセクハラ問題と大きく違うところは、何十年も前に受けた被害を訴えて、世間の支持が得られれば相手の名声を地に落とすことができる点にある。

刑事事件の時効よりも長い昔の話を持ち出して糾弾するってどうなの?と思うが、そんな意見を口にした途端に攻撃される恐れがあるので慎重にならざるを得ない。

映画界に数々の功績を残してきたW.アレン監督、御年82歳。

人間の愚かさを描かせたら右に出る者がいないストーリーテラーである彼だが、その秘訣は間違いなく彼自身が「クズ」な人間であるからにほかならない。

交際相手の養女と関係を持って訴えられた事件が代表例として挙げられるが、その前も後も、次々に名立たる女優たちと浮名を流しては関係をこじらせて別れる繰り返し。

ここ数年はアレン作品への出演希望を名乗り出る俳優が多かったが、作品が良かろうと芸術性が高かろうとその人の素行に問題があれば認められない時代になったことで、毎年作品を発表し続けてきた彼にも変化の兆しが出てくるのかもしれない。

昨年北米で公開された本作は1950年代のNY:コニーアイランドが舞台。

主人公のジニーは女優を目指していたが、夢は潰えて今は愛していない夫と暮らし、前夫との間に生まれた男の子を育てるために遊園地のダイナーでウェイトレスをしている。

そこに現れたのが海水浴場でライフガードのバイトを務める若い男性・ミッキー。女盛りを越えつつある中でも、自分はこんなところにいる人間じゃないと思っていたジニーはミッキーと不倫関係に。

ミッキーと一緒になって再び輝ける自分になることを夢見たジニーであったが、そこに疎遠になっていた夫の娘が現れたことで事態は思わぬ方向へ転がり始める。

ジニーの設定は40歳。確かに40を過ぎてから何かを成し遂げる人もいることはいるが、そろそろ自分自身を知ったうえでいろいろと諦めることが必要な年代でもある。

動けば動くほど、希望を持てば持つほど、現実の絶望に落ち込んで行くジニーが滑稽で悲しい。

そんなジニーを演じるK.ウィンスレットが実にはまり役である。「タイタニック」の頃から、美人ではあるがもっさりとした印象があったが、アラフォーになってけだるさが更に増した。

不倫の愚かさをフルコースで詰め込んだ物語には新鮮味はほとんどない。「ばかだねー」と言いながら軽く観る映画である。

毎年届けられるアレン印の小説。かなりマンネリ感があるけど、これが好きだからきっと来年も観に来るだろう。下手に目立って世間の批判を浴びるよりはよほどいい。

(70点)
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「ワンダー 君は太陽」

2018年06月24日 00時11分42秒 | 映画(2018)
ぼくらはみんな太陽系の構成員。


遺伝子の組み合わせの不具合から、他人とは違う容姿に生まれたオギー。

大人だって悪気がなくても少し奇異な視線で見てしまうところを、加減を知らない児童たちが周りを取り囲む学校という世界に入ったら、彼はどんなにひどい目にあわされてしまうことか。

オギーに限らず、ハンデを背負った子供を持つ親は、人一倍、それこそ寸暇を惜しんで子供がより良く生きられる環境について考える。母親のイザベルが選んだ答えは、多くの子供たちが学校生活をスタートさせるのと同じタイミングで編入することであった。

本作の特徴は、オギーの大きな挑戦に話の軸を置きながら、彼のすぐ近くにいる子供たちにもスポットを当てて、ある種共同体とも言える緩やかな集団がどのように推移していくのかを丁寧に描いているということにある。

姉のヴィアは言う。オギーは太陽で家族は彼を中心に回っている。でも私はこの太陽系に慣れたと。

彼女の言葉が決して強がりではないことは行動を見れば分かる。親友のミランダのことが心配でも、弟に何か変化があればすぐに駆け寄って話しかける。

現状に対して本心から抗うつもりはないけれど、平板ないい子ではいられない複雑な立ち位置が愛おしい。

級友でいち早くオギーと仲良くなったジャックは、ハロウィーンの日に他の級友と雑談をしている中でオギーの悪口を口走ってしまう。

その場の流れで話を合わせただけだったのが、運悪くそこに仮装をしたオギーが居合わせてしまったために、オギーは心を閉ざし二人は絶交状態になってしまう。

なぜオギーが自分を避けるのか戸惑うジャックの本当の思いが明かされる。はじめは気乗りしなかったものの、付き合ううちにオギーの人間性に急速に惹かれていたのだ。

ジャックはオギーの信頼を取り戻すためにある行動に出る。それは奨学生という立場を失ってしまうかもしれないものだったが、勇気を持って立ち上がる姿が眩しい。

ヴィアの親友ミランダは、ヴィアと同じ演劇部で活動を続けていた。発表会ではヴィアを差し置いて主役の座を獲得した。しかし彼女の表情は冴えない。

ミランダは突然オギーに電話をかける。直接言わないが、彼女は助けを求めていた。

彼女の家庭の事情、両親の状況が描かれる。ミランダにとってヴィアの家族は、オギーの存在も含めて憧れの世界だったのだ。

憧れが過ぎて、少し後ろめたくなってしまったミランダだが、ふとしたきっかけを使って再びいるべき場所へ戻ってくる。みんなと談笑する心からの笑顔に安心する。

オギーも含めた4人の子供たちに共通するのは、みんながそれぞれの悩み受け止め、考え、行動を起こして解決しているというところである。

これは、子供たちを導く両親や学校の指導者といった周りの大人たちが素晴らしいということに繋がる。

オギーの一家で決定権を持つイザベラと、それをバランス良くサポートする夫のネート。児童たちを理解するだけでなく、いじめの存在にも毅然と立ち向かう校長。傍らでオギーをしっかり支援する国語や理科の先生。

そういう意味では、あまりに理想的過ぎると言えなくもない。最後の場面を見ると、これがオギーの人生の最高点になってしまうのではないかと思ってしまうくらいなのだが、それはこそばゆく感じるという程度のもの。

むしろ自分こそが、現実社会でも周りの人たちが輝けるよう、しっかり役割を果たして理想に近付いていきたいと思った。

(90点)
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「30年後の同窓会」

2018年06月23日 12時56分47秒 | 映画(2018)
想い出という宝物を共有する。


コメディ俳優という括りにありながら、最近は影のある役を演じることが多いS.カレル

今回は、妻と息子に立て続けに先立たれてしまった中年男性・ラリーという役どころ。

ただでさえ人生の先が見えてきて希望を持てなくなっている年代である上に、自分が存在する理由まで失ってしまった男がとった行動とは何か。

監督はR.リンクレイター。リンクレイター監督といえば、何と言っても「ビフォア~」3部作である。

男女のカップルと、30年ぶりに会った旧友という違いはあるものの、本作は「ビフォア~」シリーズと重なるところが多く見受けられた。

特に後半、息子の棺を伴ってアムトラックで自宅へ向かうという下りである。列車の中で、途中下車した街で、とりとめのない会話が繰り返される中で、それぞれの気持ちが重なって絡み合っていく。

交わされる会話のおもしろさももちろんだが、道中のエピソードが楽しかったり心温まったりするところも共通だ。

ベトナム戦争の兵役時代を引きずるように昼夜問わずに酒浸りで荒っぽい性格のサル。退役後にキリスト教と出会いすっかり心変わりした牧師のミューラー。

ラリーも含めて三者三様の彼らは、戦争がなければ出会うことすらなかったかもしれない。エピソードの裏には、多かれ少なかれ戦争の影が見えるところが本作の特徴である。

若くて何も考えずやんちゃしていた時代。それは厳しい戦地で生き抜くために必要だった遊びしろだったのかもしれないが、彼らの行為が救えるはずの同胞の命を奪い、ラリーを除隊に追い込むことになってしまった。

人生の濃い時期を過ごした仲間と30年ぶりに会うということ。ミューラーは忌まわしい過去の襲来というような表現をしていたと思うが、少なくともラリーにとっては、これから自分が生きる道を確かめるためにも必要な儀式だった。

そしてそれは、特段の問題なく日々を暮らしていたサルとミューラーにとっても特別な意味を持つものになった。

戦争はもちろんない方が良い。ただ、彼らの過去に厳然と存在するそれをなかったものにすることはできない。

長い旅路は、3人が自分たちの過去に初めて正面から向き合う時間となった。

皮肉なのは、その過去はすべてが苦しいことばかりではなかったということ。バカ話で大笑いする3人を見ると、ラリーにとって戦場で会ったこの2人がいなかったら、果たして家族の死を乗り越えられたかと複雑な心境になる。

息子の埋葬が無事に執り行われ、ラリーは過去の清算を終えた。良いことも悪いことも見つめ直した結果として、彼は今後の人生をどのように選択するのか。

それはもちろん描かれることはない。いくらでも選択肢はあるし、選択しないという生き方すらあるから。人生は、生きるということは、これほどまでに複雑だということだ。

(90点)
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「犬ヶ島」

2018年06月23日 12時05分56秒 | 映画(2018)
とらえどころが、ない。


ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。北米マーケットで地味ながらサプライズヒットを記録しているという本作。

監督はW.アンダーソン。一風変わった作品を撮るというイメージが先行するが、振り返れば実際に観たのは「ムーンライズキングダム」だけだった。そのときの評価は良くも悪くも取れる感じ。

本作の話題は何と言っても日本を舞台にしたストップアニメーションフィルムだということ。これはもうイメージだけじゃなく完全に風変わりな作品である。

舞台は架空の都市・メガサキ。中華街やランタンフェスティバルといった、いかにも外国人受けしそうな色合いを持つ長崎市がモデルであることはおそらく間違いない。

主人公の少年の名前は小林アタリ。苗字からはそれなりに日本に造詣が深いことが分かるが、アタリはゲームの名前である。

一事が万事そのような調子で、現実の日本に寄せている部分とまったく見当違いな部分がまだら模様に描かれていて、よく言えば独特の世界観を創り出すことに成功している。

そして、もう一人の主人公は犬だ。アタリ少年の育ての親であるメガサキ市の小林市長は、人間の友人として長い歴史をともにしてきた犬を目の敵にし、海を隔てたゴミの島にすべての犬を隔離してしまう。

小さい頃から犬と生活をしてきたアタリ少年は、不当な扱いから犬たちを救おうとたった一人でゴミの島へ向かう。

基本的に言葉が通じない中で、お互いの思いや感情を伝え合うコミュニケーションの描写は独特ながら説得力がある。なかなか心を開かなかった野良犬のチーフと絆を築く過程が物語の中心となる。

それにしても、なぜこの話をストップモーションアニメで撮ったのか。映画の良し悪し以上にそこがどうしても気になってしまう。

ここでもキーワードは「独特」だ。他にはない世界観にする必要があったということなのだろうけど、それによる効果とは?何か自分に近い特定の場所であり事象でありを容易に想像させないための仕掛けと見るのは早計だろうか。

いずれにせよ、それほど複雑ではない物語を強く印象付けることに成功したのは確かなことだ。

ただ評価は、・・・今回も良し悪しとしか言いようがない。

最後に、声優陣はS.ヨハンソンE.ノートンといった一線のハリウッド俳優から、ヨーコ・オノ渡辺謙野田洋次郎まで、洋邦を問わずまぶしいくらい豪華だ。監督の芸術性に関する評価が高いことの証であろう。

(70点)
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「万引き家族」

2018年06月16日 02時00分18秒 | 映画(2018)
禁じられた家族。


本作を一緒に観に行った母がまず口にしたのが「禁じられた遊び」を思い出すということだった。検索してみると、立川志らくも同じことを言っている。

確かに、不幸な生い立ちからめぐり会った血のつながらない疑似兄妹という設定が重なる。そして、彼らがよろしくないことをしていたことも。

「禁じられた遊び」では宗教的に不道徳だった「遊び」が本作では社会的に許されざる「犯罪」となり、兄と妹の関係は疑似家族を形成する6人へと広がっている。

リリーフランキー演じる父。安藤サクラ演じる母。樹木希林演じる祖母。これに息子と同居人を加えた5人は、ちょっと見る限りはありふれた普通の家族に見えた。

しかし彼らは訳あって一つ屋根の下に暮らしているまったくの赤の他人。普通に働くこともままならず、万引きをしてかろうじて生計を保っている状態だった。

一部では、万引きをする主人公を肯定的に捉えるなどもってのほかだというような声が上がっていると聞く。

是枝裕和監督の社会的な姿勢をよく思わない人たちからの中傷にも近い物言いと思われるが、あまりに近視眼的でがっかりさせられる。

ちゃんと映画を観れば、肯定はもちろん、仕方がなかったとも言っていないことがすぐに分かる。彼は政府に批判的かもしれないが、映画では線引きをして偏りのない目線で物語を作っている。

事情があって居場所がなくなった者たちが寄り添ってできた疑似家族。これは決して日本社会の批判などではなく、世界のどこにでも起こり得る話として描かれている。だからこそカンヌ国際映画祭の審査員たちの共感を呼んだのであろう。

パルムドール受賞で大きな話題となったこともあり、最初からこの家族は偽者と知った状態で観てしまったのだが、映画自体はまったく説明がされないまま進行するので、本来であれば、普通の家族に見えた人たちが実は・・・という驚きを得られたはずである。そこは少し残念だった。

社会からこぼれてしまった人たちはどうやって生きていけばいいのか。やっと見つけた居場所で、父として、母として、一瞬だけでも輝きを持ったことを微笑ましく思う一方で、それが万引きという犯罪の上に成り立っていたという絶望的な事実が立ち塞がる。

貧困の連鎖という社会問題に対する残酷な一事例という位置付けの中で、必ずしも暗い気持ちで終わらないのは、祖母がニセとはいえ家族に見守られて旅立つことができたことと、息子が自ら区切りをつけて新しい世界へ踏み出そうとする場面が描かれたことにある。

妹の境遇だけはなかなか希望を持ち難いところがあったが、父も母も含め、それぞれが間違った家族体験から何かを学んで次のステップへ移っていくことは感じられた。

この非常識な家族の設定に共感できたのは、脚本とともに演者の現実感を追求した演技によるところが大きい。中でも印象に深く残ったのは安藤サクラである。事情聴取で見せる涙の力強さに圧倒された。

(90点)
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「デッドプール2」

2018年06月03日 14時39分10秒 | 映画(2018)
うまくやり抜く賢さを。


いま北米を中心に話題になっているChildish Gambinoの"This Is America"のPV。ギター奏者や聖歌隊を撃ち殺しながら、軽快なダンスとともに「これがアメリカ」と言ってのける。

もちろん直接的に観る側へ訴えかけてくるのは残虐な場面なのだが、それ以上に恐怖を覚えるのが、最後に何かから逃げるように全速力で走る、人が変わったような彼の形相である。

良い悪いも、勝ちも負けも単純には決まらない。大きな力を携えて余裕を持って生きていると思っていた姿は虚構であり、気が付けば何かに追われるように生きているだけだったなんてことはよくあること。

便利ではあるが、あまりに複層的になってしまった世の中を完全に理解するのは甚だ困難である。数多ある不条理に表面上だけでも合わせていくことが、現代を生きる最大のテーマなのかもしれない。

デッドプールといえば、不真面目、下品、残虐とおよそヒーローにふさわしくない形容詞が並ぶことを売りにしているキャラクターだが、そんな彼も誕生を辿ればアメコミヒーローの王道である虐げられた存在である。

続篇だけに全篇を通して軽快路線を行くのかと思ったのだが、今回もいきなり冒頭で心が折れるほどの悲劇に見舞われる。

生きる意味を見失った等身大の男(ウェイド)を映しつつも、映画自体はデッドプールのそれとして、コメディ要素を散りばめながら話が進むところが興味深い。

大統領が独断で物事を進めても、至るところで乱射事件が発生しようともあの国は変わらない。良い悪いではない。一時的に大きなことが起きても、それだけですべてが塗り替えられるわけではないし、おそらくすべきでもない。

そういった意味でも、デッドプールの世界観はアメリカそのものと重なって見えてくる。やることなすことヒーローとは言い難い品性のなさなのだが、奥底のどこかに揺るがない正義が息づいている。しかしその本質はコメディであるという。

アメリカってどうしようもないよねと言う人でも、世界の警察から手を引くとなるとそれは困るとなる。デッドプールも、どうしようもないけれど、いや、むしろどうしようもないところが彼のヒーローたる証ということなのだろう。

正直なところ、全体的にもっと軽い物語の方が好みではあるのだが、時々深刻な場面を取り返すかのようにがんばってくれたので十分楽しむことはできた。「子供の名前はCherだー!」のセリフとともにTurn Back Timeして1本分まじめに観てきたものを一気に無にするなんて、この映画じゃないとできないだろう。

脇役の一人として忽那汐里が出演して作品の世界にしっかり馴染んでいたのには驚いた。個性と能力に長けた彼女の将来は明るい。

(75点)
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「ゲティ家の身代金」

2018年05月26日 20時28分09秒 | 映画(2018)
取引上手に富は集まる。


「事実を基にした物語」は、その言葉どおり、実際に合った出来事を基軸としているけれど可能な限りエンターテインメントを織り交ぜていますよ、という意味である。

商業映画としてはできるだけ面白く仕立て上げたい一方で、あまり行き過ぎるとかえって白けてしまうから加減が難しいところだ。

時は1970年代のイタリア。世界一の大富豪・ゲティ氏の孫のポールが誘拐される。

孫の身代金を一銭も支払うつもりはないと言い放ったゲティ氏、息子を何とかして救いたいと願う母親、そして誘拐犯グループ。まったく異なる立場の三者による予想もつかない攻防が緊迫感を持って描かれる。

単なる誘拐事件と違うのは、何と言ってもゲティ氏の存在と、その特異なキャラクターにある。当初はK.スペイシーが演じるはずだったが、セクハラ問題から降板し、はるか年上のC.プラマーにお鉢が回ってきたと言う。

結論を言えば、この降板劇は良い方向に働いたように感じた。

ゲティ氏はビジネスに対し強い理念を持っており、それを貫いたことで巨大な財産を築いた人物である。K.スペイシーも名優ではあるが、頑固というよりはずる賢いという感じだし、何よりC.プラマーの老いてなお強烈な圧力を漂わせる演技を観てしまうと、なかなか他の俳優には代え難いという印象を持った。

その一方で、事実を脚色した物語の方はというと、こちらは少なからず消化不良というか不満を感じるものとなってしまった。

前述のとおりC.プラマーは常人の感覚を超えた大富豪をしっかりと演じ、母親にとって誘拐犯以上の脅威となっていた。

しかしそれだけに、母親側がゲティ氏に捨て身で挑んだ駆け引きがどうしてあのように運んだのかが、いまひとつすとんと落ちてこなかった。そもそもM.ウォールバーグが演じたフレッチャーが有能なのかどうかを感じ取れなかったのが残念なところだった。

さらに誘拐された息子・ポールの人物像がなんとも複雑なため、どうにも純粋エンタメのように応援しづらい仕立てになっている。ゲティ氏にもう少し母子の壁となって立ち塞がってほしいくらいであったが、最後のあっけないご都合感にはやや落胆した。

映画を観終わってからゲティ家のことをWikipediaで調べると、ポールとして登場したジャン・ポール・ゲティ3世は、アルコールや薬物の依存症となり早逝したと書かれていた。これではあまり美化するわけにもいかないか。

(65点)
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「ランペイジ 巨獣大乱闘」

2018年05月23日 22時41分10秒 | 映画(2018)
お祭り男は本日も快調。


古くはC.ヘストンからスタローン、シュワルツェネッガーと、ハリウッド娯楽大作に欠かせない存在の肉体派男優。その系譜を見事に受け継ぎ、現在出演作が目白押しなのがザ・ロックことD.ジョンソンだ。

今回、映画の主役は巨大化して怪物と化した動物たちに譲るが、そのはちゃめちゃな物語をまったくひるむことなく受け止めるのが彼演じるオコイエという男だ。

オコイエが勤務しているサンディエゴの動物保護区にある日突然、宇宙空間から生物を巨大化+凶暴化させる悪夢の物体が降ってくる。かわいがっていたゴリラが豹変し人々を襲い始め、この事態を何とか止めなければと立ち上がる。

観る前から分かっていることではあるが、オコイエの設定は超人である。

飛行機の中でゴリラが暴れ始め、機体が破壊され地上へ真っ逆さまという絶体絶命になっても、渾身の力で自分ばかりか物語に重要な2名の命をも救い出す。

かと思えば、敵から不意に銃で撃たれても、3分後には「急所を外れていた」と何事もなかったかのように戦線に復帰する。

巨大化する動物として出てくるのはゴリラ、オオカミ、ワニ(?)の3種だけであるが、オコイエの超人ぶりを合わせて「大乱闘」と言うのであれば看板に偽りなしと言えるかもしれない。

まあ言い始めればきりがないが、この手の作品にツッコミを入れるのは野暮な話。重要なのは、観てどれだけすっきりしたかという点に尽きる。

その観点から振り返ると、巨獣たちの暴れっぷり、人間側のキャラクター設定、物語の展開のいずれをとっても、驚かせる何かがあったわけでもないので、評価としては可もなく不可もなくというところか。

良くも悪くも予想どおりの映画ということである。

(65点)
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