日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

旅は小説より奇なりのホーチミン【終戦の日の戦争証跡博物館】

2015-08-28 | Weblog
『耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・』
日本人なら、必ず耳にしたことがあるであろう玉音放送。
終戦 70周年である今年、昭和天皇のお声をもって伝えられた「終戦の詔」つまり玉音放送の録音原盤が公開された。戦争を知らない世代になっていく過程で、同時に忘れ去られていく戦争の悲惨さを忘れてはならぬということなんだろう。

戦争は始めることより、終わらせることの方が難しいといったのは誰の言葉であったか?
だからこそ、戦争をはじめさせないのが大切なのであるというのは誰の言葉であったか?
今年の終戦の日、私はホーチミンの戦争証跡博物館にたっていた。
訪れている人々のほとんどが、アメリカ国籍の人であったことに驚きを隠せず、
いたたまれない写真に慄き、逃げ出すようにそこを後にしてしまったけど。


もし、この博物館のように日本軍が進駐した各国にその戦争の証拠をつきつけるような場所に私は足を運ぶだろうか?


私は否である。

現地の学生たちが自国の歴史を勉強しているとなりで、何かの絵画を見るように戦争の証拠を眺められるだろうか?

私は否である。


もしこれが日本人として日本の土地で、日本の歴史としてみたら、きっと答えは否ではない。
まるで他人事のような感覚で悲劇を見つめる観客ではないからだ。
でっちあげられた大義名分と正義という言葉に踊らされる虚栄。
知らない世界の遠い出来事ではなく、身近な出来事だとしたら、それは目を背けることなく、見ておくべきものだからだ。
今年の初めに訪れた知覧の特攻平和会館でのように。

被害者、加害者という枠を超えて、戦争証跡博物館に集う様子の不思議。
ここがホーチミンの観光スポットであることの不思議。
日本と軋轢をもつ国々がこのような博物館を作ったら、こんな淡々としていられるだろうか?
果たして、日本人は訪れるのだろうか?
いろいろな思いが駆け巡るのは、きっと当たり前の平和に慣れすぎて、もっと日本人として尖っていこうとした世論を感じる70回目の終戦の日だからであろう。


日本より、戦争が近い国、ベトナムで平和を願う。
ベトナムの。アジアの。世界の。日本の。



グェン・フエ通りでは花商人たちが早くも壺やら土がめやらドラム罐を持ち出して花を並べていた。
菊。水仙。桃。梅。薔薇。カーネーション。ハイビスカス。温帯と熱帯のあらゆる花がドラム罐の中で咲き乱れている。
一日に双方とも平均100人は戦死するという噂のあるこの国のどこで、誰が、これらの花を育てているのだろうか。
白燐弾は肥料にいいのだろうか。ナパームは水をまいてくれるのだろうか。






開高健の『輝ける闇』より




小説より奇なり旅 場面その5
戦争証跡博物館


住所 28 Vo Van Tan St. Dist.3 HCM City
開館時間 7:30-12:00/13:30-17:00

うきゃうきゃ女子旅とかいうベトナム観光の違う側面。
こういうところにも足を運ばなきゃ、運ぶべきと思うのはあたしだけではあるまい。
心より平和をすべての人が願うことが戦争をおこさせない最大の防御といえる。
お互いを貶し合うことからは何も生まれない、もちろん平和も。







旅は小説より奇なりのホーチミン 【喧騒と静寂のMbar】

2015-08-26 | Weblog
ホーチミンのマジェスティックのホテルには二つのbarがある。
8FのルーフトップバーMbarと朝食をサーブする場ともなっている5FのBreeze Sky Bar。
どちらもサイゴン川を渡ってくる風に吹かれながら、お酒を飲むことができるのだ。

夢にまでみたマジェスティックホテルのbarで開高健の本を読むという行為は
ひっきりなしになるクラクションの音を聞きながら、縦横無尽に駆け巡るバイクの光を眼下に見下ろすMbarの方が相応しい気がするのだ。
ホーチミンの喧騒とメコン川の静寂さの対比が、開高大兄の小説とベトナムの歴史の対比が心地よい。




ぶつかって、混じり合って、一つのグラスに溶け出ている。
こんなシチュエーションなら、絶対にクラッシク マティーニ。
でも、マティーニはやっぱり飲めないからマジェスティックホテルのオリジナルカクテルにする。
宿泊者には一杯、サービスしてもらえるのも嬉しい。

選んだのはMiss SAIGON
フルーツの華やかさとウォッカのカクテル



日も落ちて、思いの外、涼しいテラスでのむ一杯のカクテル。
飛行機に乗って一冊の本を、一杯のお酒と堪能するという贅沢に酔っ払ったワタクシは
一杯のお酒で満足する訳もなく、これまたおつまみと称するには大量の塩味の小さなーピーナッツを鼻血が出るんじゃないかと思いながら、かっ食らう。
結局、進んだのは2ページだけで、barの入口のところにかけてある開高健の写真も、なんだか苦笑いしてかのよう。





こうしてホーチミンの夜は闇を濃くして更けて行くのであった。
酔うのならどんな贅沢より、酒。 酒なんである!







旅は小説より奇なりのホーチミン 【ホーチミンおすすめグルメ クアン94ゴック】

2015-08-23 | Weblog
タクシーぼったくりの、意気消沈も美味しいものを、目の前にすると消える人間の業の深さ。
ベトナム戦争で多くを、失ったであろうサイゴンも、今ではHCMC ホーチミンと名を変え、
市民の胃袋を満たす大きな大きな食堂となっている。

世界遺産がないといわれる南部。
確かに観光地として見どころは多くない。
雑貨の街、アオザイをはじめとするオーダーメイド、女子旅にはいいけど、
荒削りのお土産に興味がない人や、雑貨に興味がない男の人には、ホーチミンは退屈に感じるかもしれない。
しかしだ、ホーチミンには安くて、美味いものがあふれている。
ガストロノミーの街、ホーチミン。




ガストロノミーには、格の高い高級料理店を指すイメージが強いけど、
本来、この言葉には文化と料理をいろいろな側面から考察するとの意味があるのだ。
そう、この滞在は美食学の実地だと思えばいい。
ホーチミンの愉しみは美食術の体験とすればいいのである。
中国の影響とフランスの影響を受けた南国の豊潤な大地の恵みがベトナム料理として昇華している。



それにだ、何より、
この街の食は美味くて、安い!
VIVA! YASUI!!  「安い」という言葉は私の大好物である。
「安くてうまい!」ものが嫌いな人なんて存在するのか。
高くて、まずいものが好きな人はホーチミンに来ない方がよい。
さあ、ガストロノミーを実践しようではないか!
今回のお題は「カニ」
高級食材であるカニ!
エセグルメな人というのは有名店だからと来るだけの人を指し、、
本当のグルメな人というのは料理を体験つまり、飲み食いし、そこから発見し、理解し考えることのできる人なのである。



クアン94ゴック のカニ料理。



何を食べるか熟考し、
金額の安さに驚き、
スコールの音かと思ったら、カニを揚げている音だったことを発見し、(一回の食事中に何度もスコール音が響く)、
席に着くと同時にだされる山盛り野菜と春雨?(ブンという細麺だった)の食べ方を探求し、
家で再現できるか否かを思索する。















ごろごろとカニが入りまくったチャーハン
ああ、カニ爪のフライの甘みよ!
って、春巻き=ゴイクンを頼んだつもりが
なぜが揚げたもの 揚げ春巻きがきたのはなぜなのか?
日本語のメニューから選んだはずなのに・・・・わずか数時間で日本語を忘れたのかワタシ。










今夜も照明弾が何分おきかに落とされて川は輝き、砲声でビリビリふるえていたが、人びとは七輪や土鍋をかこみのんびりと食べたり、喋ったりしていた。素娥は私のために掌へ米粉の皮をひろげ、海老の竹輪、セリ、ドクダミ、さまざまな野菜や香草をのせて器用にくるくると巻いてくれた。


開高健 『輝ける闇」より







揚げ物三昧になってしまったと後悔がかすめるも
お口に直しにベトナム野菜まみれにさせたブン。
これがベトナムの食堂のよいところ!
輝ける闇にもでてきた生春巻きにありつけないのも旅は小説より奇なりのホーチミン。
いっぱしのガストロノミーをきどったところで、「美味ければ幸せ」という食の本質にぶち当たって、細かいことは気にせず、無心にカニの美味しさ挑むのみ。



結果:クアン94ゴックの実力にノックアウト。







小説より奇なり旅 場面その3
Quan 94 goc(クアン ゴック))

住所:94 Dinh Tien Hoang, P.Dakao, Dist.1,HCM-City
電話番号:08-3825-8633
営業時間:9:00〜23:30
カード不可、日本語メニューあり。
近くに同名店があるので要注意
詳細はこちらを参照→ クアン94ゴック



旅は小説より奇なりのホーチミン 【水上人形劇のあとの劇的事件(ネタ)】

2015-08-22 | Weblog












行きはホテルからタクシーで。
帰りもタクシーでという方は劇場前の客待ちタクシーにひっかからないようにしていただきたい。
案内係もきっとグル。
数百m歩いて、流しの方がよっぽど安全。
楽しむべきは水上人形劇、見るべきはタクシー会社とメーターがちゃんと動いているか?
私らの場合、必要以上にメーターが動いて本来価格の3倍ほどとられましたけど。
それでも日本でタクシー乗るよりはるかに安い金額だけど・・・ね。 ぼったくりにあったことは間違いナシで、うなだれる。








河岸から道路をわたってマジェスティック・ホテルまえへくると、ネオンの灯りを頬にうけて大尉がうなだれていた。

開高健 『輝ける闇』より









小説より奇なり旅 の重要事項
現地ガイドにもいわれていたが、まさかまさかのぼったくり。
BINASUNとMAI LIHN以外は乗ってはいけない。これは正しいアドバイスでした。
ぼったくり車はメーターが異常な早さで加算されていく。
あやしいとおもったらすぐ「ユン アー ダイ!」ここで止めてと伝えるべし。
市内なら、降りてもどんどんタクシーは来ますので。




小説より奇なり旅 場面その2
ゴールデンドラゴン 水上人形劇劇場

ベトナム語のみですが、パンフレット(6か国語対応)があれば理解できる。
一日3回公演のようですが、日によっては休演もあり。
17:00~、18:30~、19:45~  50分程度。





旅は小説より奇なりのホーチミン 【ニューランのバインミー】

2015-08-21 | Weblog
食べ物の美味しさを言葉のみで伝えるというのは大変に難しい。

シズル感や匂いまで、ありありと伝える。
情景で、描写で、会話で。
映像でヒントがあるはずのTVのグルメ番組だって、なかなか伝わりづらいもの。
表情で、態度で、様子で。

それでも一級の小説家の食べ物の描写というのはかくも美味そうなのは何故か。
池波正太郎、向田邦子、高田郁 。
勿論、開高健もその一人。








車庫からの帰り、橋のたもとに屋台がでて、燻した豚の胃を鉄鉤に吊るして売っているのを見たので、それを半分と棒パンを二本買い、下宿にもどってサンドイッチにした。

開高健も『輝ける闇』より




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フランス統治時代の置き土産になるのだろうか。
ベトナムのパンは総じて美味しいらしい。
特に棒パン、フランスパンが。
開高健も食べつけたに違いない bánh mì(バインミー)
美味しいフランスパンがあるならば、
そこに現地のおかずが挟み込まれるのは必然といえよう。

さっくりとした歯切れの良いソフトフランスパンにレバーパテ、ハム数種類にたっぷり野菜。
パクチーやなますも入れてニョクマムをかける。
紙でぐるりと包み込まれて渡されるバインミー。



初めてのバインミーならホーチミンの有名店 ニューラン(Nhu Lun)へ。




レバー嫌いのあたしは恐る恐る口にするも、レバーの存在感がないことに気を良くして、かぶりと噛みつけば、ハーブと野菜にハムの味とニョクマムの塩気が絶妙で、あっという間に紙屑だけが手の中に残る。
ピリリとチリの刺激も心地よい。


お店の中でも食べれるけど、バインミーだけならテイクアウトして、
交差点の向こう、ベンチみたいな石に座って、Nhu Lunを眺めながら食べるのも一興なのである。
鉤に吊るされた肉やら、見たことのないお菓子やら、ふかふかと蒸したての中華まん
山のように積まれた果物のジュースコーナー。




誰もが無心に口を動かしている。
携帯を眺めながら食べるのは味気ないが、交差点の向こうのニューランを眺めながらホーチンの日差しの下、バインミーを頬張る。
店内で食べたとしても、ほぼ屋外で、バインミーは街角の食べ物だからこういう食べ方もあるんです。
食べ物から伝わる何か。
喧騒とホーチミンの熱気、在りし日のフランスの香り。
そんなニョクマムとクラクションの音にまみれた、美味なるバイミーを食べるための魔法の言葉。

「một cái bánh mì」



  một cái=ひとつ、1個
bánh mì=バイン ミー



「モッカイ バインメイ!」









これで確実にニューランのバインミーにありつけます。
どんなバインミー屋でも、自転車で売ってる超ローカルなバインミーにもありつけることは言わずもがな。
棒パンのベトナム風サンドイッチ。
ホーチミンに行くなら、これを食べなくては!
合言葉は、

『モッカイ バインメイ』


先ずはニュー ランで『バイミンミー ひとつ!」と言ってみなされ。
ホイと渡されるバインミーの美味さよ。
バインミーにありつけたあかつきには次の魔法の言葉でお楽しみ。










小説より奇なり旅 の必須会話フレーズ
một cái bánh mì !(モッカイ バインメイ!)


観光客も多い、ニューランで先ずは腕試し。
作り置きの紙袋に入ってるもの、ショーケスの上。
『バ』にアクセントをおいて怯まず、恥ずかしがらず、「バインミー」といえばOK
金額はレシートを渡してくれるから心配ナシ。
これで貴方もローカルなどんなお店のバインミーでも手に入れることができるのです。




小説より奇なり旅 場面その1
Nhu Lan (ニューラン)
住所 50 HamNghi St,Dist1,HCM City
電話番号 08-3829-2970
営業時間 4:00-翌日1:00

地元の人も観光客もこぞって通う、B級グルメの殿堂。
テイクアウトもイートインも可
ドンコイ通りからも近く、観光名所のサイゴンスカイデッキの前とくれば、寄らない手はない。
ニューランにはバインミーBBQやバインミーシウマイもオーダー可
写真はスカイデッキの入口のところ小さな広場、ベンチから交差点の向こうのニューランの光景。


旅は小説より奇なりのホーチミン 【開高健 輝ける闇に捧ぐ】

2015-08-20 | Weblog
あの事件のあとでチュオン・チンは憎まれましたけど、ホーおじさんはむしろ同情されたくらいなんです。どんなことがあっても南北を問わずホーおじさんはナンバー・ワンなんです。コミュニストのなかにはサイゴンのことをホー・チ・ミン市と呼ぶのがいるそうですよ

開高健 『 輝ける闇』より




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ある日、何気なく手にとった開高健のエッセイ。
繊細で饒舌で鋭利な思考と語り口はウィットと含蓄に富んでおり、何かの本物を見たと鋭利な刃物で切られる思いがしたのだった。
洒脱な酒と旅の話、人間の深淵を覗き込む小説。
開高健を知れば知るほど、ベトナムに行きたくなり、あのマジェスティック・ホテルでマティーニを啜りながら、『輝ける闇』を読もうと思ったのだ。
『夏の闇』で自分の生を持て余し、生ける屍として無為に時を過ごす一人の男が辿り着く先がベトナムの闇であり、戻るのはベトナムの森。
開高健が生き場所と決めたベトナムには何があるのか。
かの地、サイゴンと呼ばれていたホーチミンの闇にうごめく何かを探しにベトナム航空の青い機体に身をのせたのだった。
アオザイ姿のCAを横目にさあ、ページを開こう。
狭いシートに身体を押し込み濃厚な開高ワールドへいざ。




小説より奇なり旅 の必須アイテム
開高健 『輝ける闇』 一冊。
ウェット ティッシュ 多めに。
ゴハン食べるとき、出先で、これはベトナム旅の必需品。



西日のあたる部屋から浮雲

2015-08-13 | リブレリア
呆気ないほど、短時間で帰還。
脳内旅行 林芙美子 『浮雲』



外国にいけば人生かわるかもーと思ってぇ
でも、そうでもなくてぇ
妻子持ちだけど、運命の人にも出会ったし。

あたしはぁ 情が深いひとだからー
腐れ縁と想うこともあるけど、やっぱり彼のことが気になるのぉ






という男を見る目がなさすぎるにもほどがあるだろ!という状況でグズグズして
儚く、逝くというストーリーの浮雲。
思い出はいつだってドラマチックで自分勝手。
ヒロインはあたし、監督はあたし、脚本もあたし。
誰かにすがってしか生きられないか弱さをふりまきつつも、しぶといってえのが女ってものです。
そんな女に振り回される男たち。
揃いも揃って根性なしで、浮雲であったわ ぽっかり。
風まかせ、人任せ、自分勝手でえげつなし。
旅先で読もうかと思ったのだけど、びっくりするほど、短時間で読み終わったこの小説。


もちろん林芙美子の代表作のひとつですから
終戦という特殊な時代を生き抜いた人間の虚無や孤独をきっちり描き切っており、
それはそれで郷愁と漂泊を感じさせる話であったわ。
特殊な人の話ではなく、ごくごく一般の普通とされる人間の深層みたいなものの結晶としての男と女。



自分を自分で変えられるほど、人間は高尚にできておらず、
時に住む場所を変えれば、自分も変われるんじゃないか的な甘い幻想に酔うと。
まっ、海外旅行もプチ変身を期待しなくもないですがね。


脳内旅行から海外旅行へ行こうと目論むも
本日、西日のあたる部屋で、惰眠をむさぼりながら時代劇から韓国ドラマをみてから相棒と
刑事モノのドラマを見続ける一日。
こんな無駄な時間を過ごすための、貴重な盆休みではないはずなので



では、いってきます。










脳内旅行へ

2015-08-10 | リブレリア
まずは脳内旅行へ。

必要なのは何冊かの本、小説と一冊のガイドブック。
あとは逞しい想像力を持ってして、脳内旅行へ。

もう、夏休みの人も多いらしく、なんとなくガランとした満員電車のはずの通勤電車。
大きなスーツケースをゴロゴロともう、気分は旅行先へとんでいる頭がぶわんと膨れ上がった人達。
なんで、旅行に行く前の人って膨らんで見えるんだろう。
期待と好奇心でぶわんぶわんに膨らんで、ちょっとした風にも揺れる風船のよう。
こちとらは仕事だっていうのによと、どす黒く膨らんでいるのに。
それじゃあ、あんまりの月曜日。
膨らむなら妄想、旅立ちはいつだって最寄り駅から、ガタゴトと電車でいくのではないかーと駅にある本屋に入ったら、当たり前だが読みたい本が売ってなかった。

そうね、ちょっとマニアックだったかしら?
でも、夏目漱石の「こころ」があって、三島由紀夫の「金閣寺」があるのに、
なぜ開口健の「輝ける闇」がないのか。
太宰治の「人間失格」があって、又吉直樹の「火花」は売切れだけど
やっぱり開高健は一冊もない。
せめてエッセイ「開高閉口」だけでも本屋としては外せないラインナップだとおもうのだけど。
脳内旅行にも行けない月曜日なのかと悲しくなって、バタバタと大きな本屋へ駆け込んだ。

ついに手に取りましたこの2冊 
開高健 「輝ける闇」 「地球はグラスのふちを回る」
開高健がメインだとしたら、林芙美子の「浮雲」はアンティパスト。

 


旅空に思いを馳せて、「浮雲」

大いなる懸念は買うべき本が「輝ける闇」ではなくて「夏の闇」だったかもしれないこと。
探せば家のどこかに埋もれた「輝ける闇」の予感

でもいい、気にしない。
再読は旅の空だから。




浴衣を着ませう。

2015-08-03 | ドレステリア
涼しい顔してこの暑さの中を行きませう。

召ませ、浴衣。
実は浴衣で道行きというのは思いの外、短いもので7月、8月の盛夏のころ。
6月でも9月でもノースリーブにショートパンツな装いはできるけど、
6月じゃ、気合入りすぎの夏だし、9月にはいればお店に並ぶ秋物が目につき始める頃になるしで、真夏の装いはおしゃれじゃなくなる。
つまり肌見せ、ヘソだし、がっつり夏の装いの時期が浴衣の時期というわけ。


と教わったものですから、
暑くても、一番暑い時期だからこそのとっておき。浴衣。
今年は出来るだけ浴衣で出かけようと気合十分。
暑さ十分、熱中症になる状況も十二分に整ったところで涼しい浴衣。



涼しいはず!の浴衣
涼しい顔して浴衣の出番です。


タオルを巻いて、襦袢着て、浴衣。
おしゃれは我慢と心得ているはずが、全く涼しくない浴衣を着て途方に暮れる。
それでも大人の浴衣とはこういう貫録を云うのだよという顔で盛夏の装いの成果。
帯は貝ノ口、帯には椋の小銭入れを挿む。 きりりと桐の下駄。


カラコロ カラコロ
おっとうっかり、鼻緒が切れたあかつきには、さっとすげてくれるご仁がおるかもしれん。
いないねー。妄想だねー。


それでも折角の浴衣姿だから、おしゃれと言われたい、言わせたい。
美人の条件 夜目、遠目、傘のうち、見返り美人。

日傘をさして傘のうち、
日がおちて祭りが活況の頃の夜
人混みに紛れて遠目
ワタシを探す声に振り向いて見返り美人でいかかでしょう。
浴衣と帯だけにはあらず、浴衣美人。


涼しい顔して、小物で遊ぶのが浴衣の粋と心得ませう。
さあ、浴衣召しませ、浴衣美人。




お帰りなさい 帰去来  -蔡國強展―

2015-08-02 | ギャラリー
横浜美術館で蔡國強展(ツァイ・グオチャン/さい こっきょう)

いまをときめく現代美術アーティースト 蔡國強(さい こっきょう)。
火薬を爆発させて絵を描く火薬アーティストとの名をほしいままにし、
北京オリンピックの開会式・閉会式の花火の仕掛け人ともなった彼の個展「帰去来」。
日本で創作活動を開始し、NYで洗練され、北京で花をさかせて7年ぶりに日本へ帰ってくる
原点へ、自我への回帰。


始まりは圧巻の火薬によるドローイング「遠行」。

そしてメインは「壁撞き」





99匹のオオカミが群れをなし、空を駆け、飛び立っていくのかと思いきや
見えない壁(ガラスの壁)にぶち当たり落下する。
落下したのちも、また立ち上がりその壁に向かって疾駆してゆく。
永遠にぶつかり続け、立ち上がり、疾駆して、また落下。
99という数字は道教において永遠の循環を象徴しているのだという。
つまりこれは人生やね。
永遠に見えない壁にぶちあたり続けるあたしの人生のよう。
思い通りにいくことなんてそうそうないもの!
えっ、あなたもなの!!
だから壁にぶちあたっても、また立ち上がってね、ということを目に見える形にしてくれた作品。
だから世界各国で話題になるのでなかろうかと99匹のオオカミに混じって、あたしは思う。




ぶつかって、もみくちゃにされ、尻尾をまいても
さあ、徐々に顔をあげて原点へ戻るのだ。
人としての本能へ、我が欲望に忠実なれ、目の前の壁を飛び越えるべく!


疾駆。




人間の本能と欲に忠実になってみたところ、猛烈に腹がへっていることに気がつき
その欲の原点にたちかえるなら出発点は中華街に違いないと、美術館を後にするも
超えるべき壁がやっぱり立ちはだかるのである。




灼けたアスファルトからゆらりと立ち上る熱気、容赦ない日差し。
見えない壁、こんなところにも・・・。