日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

腹を満たす美味しい浮世絵

2020-09-01 | ギャラリー
コメディを演じることができる役者が一流説というものをきいたことがある。
シリアスな演技よりコメディ。くすりと可笑しみを紛れ込ませることができてこその本物だというのだ。
誰が、誰をさしてそういったのかうろ覚えだけど、確か三谷幸喜が女優 沢口靖子を評していっていたような。
真剣に真面目に演じれば演じるほど滑稽に映る、それが芝居の魅力になるというような趣旨だったと記憶する。
確かに、お笑いの芸人として一流の方が、同時に役者としても超一流であることも多いもの。
いかりや長介、志村けん・・・・他多数。
 
喜怒哀楽の喜が際立つからこそ怒哀がはっきりして、楽がはじける。
涙が流れていればそこに悲しみはうまれるけど、口角をもちあげるだけでは喜は生まれない。
人が必死に生きている姿ほど滑稽なものはなく、不条理であればあるほど時に笑いを誘う。
それをさらりとみせることができてこその一流俳優なのである。
あらためて俳優という職業の深淵をのぞく
 
 
話題の「半沢直樹」
最終回 幹事長役の柄本明の怪演っぷりといったら!
脱兎のごとく逃げ出す可笑しさが、物語のカタルシスとなって最高の場面であった。
あちこちで絶賛の声があがっているけど、まさに役者の凄みを見せつけられた感。
 
 
喜劇同様、「食べる」という行為も演者の本質が透けてでてくるから、
食べる演技というのも難しいものらしい。
 
何気ない動作に感情の片鱗をみるから、見る側は心が揺さぶられてしまう。
食べるのが巧い俳優で思い出すのは岸田今日子。
原作 柴田錬三郎  主演 渡辺謙 「御家人斬九郎」
渡辺謙演じる斬九郎の食べるの大好きお母上 麻佐女役の岸田今日子。
麻佐女様の見事な食べっぷりとキュートさといったら天下一品である。
 
食い意地のはった居丈高な性格を
上品さとユーモアでくるんで嫌味なのに可愛いいという類まれなキャラクターに仕立て上げてしまった。
江戸きっての名店から取り寄せるご馳走を「うん、うん」と賞味するする姿からは後光がさしている。








お重につめられた料理のおいしそうなこと、ウナギのかば焼き一切れ、ぶーぶー文句をいいながらも食べている
一汁一菜のめざしだけのお膳もご馳走にみえる演技力
 
江戸時代は今につながるグルメブームの先駆けであったことを思い起こさせ、
見る人を仕合せにして、けむに巻いたところで、あたしもおいしいものを味わいたい。
何を? 江戸グルメの何を? 何が美味しい?
 
 
いろんなことが思い通りにいかなくて、落ち込む日にこそ美味しいものを!
こんな日にこそ気分転換は必須である
麻佐女様のように美味しいもので浮世のウサを忘れて安穏と一日を終えるべし
美味しい浮世絵展
 


このコロナ禍、勢いででかけてみれば夕刻の美術館は貸し切り状態。






やれ花見だ、祭りだ、お芝居だとかこつけて季節の美味いものを旬にあわせて食すべし。
食べることがイベントとなり、ひいてはそれが人の一生の糧となり。
天ぷらの衣に目をこらし、宿場の名物にヨダレをたらす。


 
喜怒哀楽どれが欠けても日常は面白くない
何かに怒ってもいい、哀しんでもいい。 
喜んで、楽しいのは負の感情があるからこそ際立つ。
コロナ禍でであったことのない感情や苦境を咀嚼して飲み下すことは本当に難しいことだけど
それを消化することが大切とばかりに
続く訃報を振り払うように美術展の開催情報をチェックする。
美味しい浮世絵にみるおいしい人生。
コロナが怖いか、コロナがあぶりだした不安がストレスか、そのストレスを消化できないことが怖いのか。
消化できないのなら消化不良で調子が悪いと認めて、声をあげることが大事なんだと
美味しい浮世絵を整腸薬に。
こんなご時世だからこそ美術展ひとつがこんなにもありがたいなんて。