思うに多くを語る人ほど「本質」に手が届かない事が多い。
「雄弁は銀、沈黙は金」
確かにこの格言は真実を言い当てている。
ある側面に関してはね。
だけど別の側面は?
そう多くを語られているから、分かったつもりになってしまう。
雄弁だからこそ隠せる「真実」もあるのだ。
腹黒い人間と称して憚らない西原理恵子。
彼女の著作はどれも端的で「暗い」。
そこなしの明るさもなければ希望もない。
かといってそれが悪い訳でもないしそれと同時に世間体も見栄もない。
毎日新聞 2007年8月19日 東京朝刊
人間として生理的欲求に近い部分をあますところなくさらけだしているから彼女の作品はオモシロイ。
オモシロイはお笑いを見るような「笑」ではなく「興」の意味。
その中でも「鳥頭紀行(ジャングル編)」がいい。
エコや自然をココロより憎む西原先生のワガママっぷりがスゴイ。
常にあたしがもっている著者:西原理恵子のイメージはこれだ!
なのにね、いい意味で裏切られんのよ。これが!
この取材で西原女史は旦那になる鴨志田穣を釣り上げる。
アマゾンに魚釣りに行ったはずなのに・・・・・
ご存知の通り、鴨志田氏は3月に死去。
アルコール依存症で心の病も抱えており、著作の中では薬物にもはまる話もある。
すげえ破天荒な生き方をおくった人だ。
そんな人を旦那に選ぶとはね。
西原理恵子という人もこれまた破天荒な人だよ。
解説で鴨ちゃんは西原の事をこう評する。
「痛み」を描いている人なんだと気がついた。
先日、東南アジアのとある島に行った時のことである。
ホテルの部屋からは漁師たちが浜で地引き網を数十人がかりで引いているのが見えた。
「どんな魚がいるのかな。」ひとり言を呟くとサイバラは走り出していた。
漁師と活魚には目のない女なのである。
彼女の後を追い浜辺に着くと、一人の漁師が僕たちの事を待ち構えていた。
甲高い声で「しゃかなー、すーこしねっ。買う?いいよ。おーいしーねっ。」
その声を聞いて、サイバラは「ねえ、この人・・・・・」 ずるい人みたい・・・・・とでも言い出すのかと思っていたら、
「ねえ、この人、手も足も指が6本ずつあるのよ。すごい。仏様なのよね。」
そういわれて驚いて両手両足をしげしげと眺めてみると、確かに奇形と言ってしまうにはあまりにきれいに正確な形をした指が一本ずつ多く伸びていた。
彼女の目の早さに不意をつかれ、うろたえた。
サイバラは漁師の体の一部の、それもいちばん細かな分かりづらい部分の異様さをすぐさま見破っていたのである。
絵を描く人の目はこういうものかと唖然とするばかりであった。
アジアに伝わる「6本指の人は仏様の生まれ変わり」とい話まで知識として持っていた。
鋭い観察眼と造詣の深さがあのきっついギャグを生み出していつのだろう。
旦那となる鴨ちゃんのサイバラを見る目はホントに的確だ。
彼女の事についてこういうふうに書いたりする人はこの人だけだ。
あたしは「鴨志田穣が書くサイバラ」が好きなんだ。
そして「サイバラが書く鴨ちゃん」も。
到底、あたしには想像すら出来ない夫婦ではあるが、それぞれ個人というよりは夫婦としての二人の方が魅力的なんだな。
このところこの2人の本を交互に読んでいる。
〆は「毎日かあさん4 出戻り編」にしよう。
サイバラの鴨ちゃんに対する愛情が伝わってきます。
西原 理恵子という人は自分で公言しているより愛情深く、博識で、やさしい人なのだろう。
只、そういう目で世間から見られる事を「よし」としていないんだな。
人間、「いい人」でいる必要はないのかもしれない。
ちょっと人を見る目がかわる一冊です。
雄弁さゆえの隠された公然たる秘密や真相。
それが「ちらり」と見えた時、「本質」というものも垣間見られるのかな。