日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

恋が始まるかもしれない本

2018-02-23 | リブレリア
実際に存在するお店の固有名詞がでてくる本は数あれど、ガイドブックではなく、エッセイでもない姜尚美 「京都の中華」は面白い本であった。
「京都の」という枕詞は名詞の前におかれるとそれは確固としたジャンルとして認知され、箔がつく魔法の言葉となる。それは世界三大料理でちまたにあふれる中華という言葉においても例外はない。
どこでも食べれるあれや、それに「京都の」という言葉がつくと、東京でも、北京でも味わうことができない特別な一皿となって供されるのだから。

久しぶりに京都に行くことが決まって、さて今回の旅は何をメインにと考えた時に、この本の存在を思い出した。
エッセイでもなく、ガイド本でもない。グルメ本と一線を画す「京都の中華」のついてとしかいいようのないこの一冊を思い出す。
まだ見たこともない、味わったことのない料理が、それも食べ慣れたはずの中華というジャンルにおいて、この日本で、それも京都で!という誘惑は初読から燻ること数年。
ではこの機会にとなるのは必至なのである。
うず高くつまれた本の山からお目当の一冊を探すのは、数多ある美食の名店を情報なしに探すことに似て、無謀なことゆえ、東京駅の本屋でこの本の買う。
初読した一冊はついに見当たらず、家の片隅で眠りについていることを白状しよう。

どんな京都の中華がとりあげられているかは後日として、まずこの本について紹介しなければならないね。
本屋さんの一番の上の背の届かないところに棚を埋めるべくならんでいるような本。
でも、あたしみたいな人がいる限り、東京駅ではほそぼそと売れ続ける一冊。
背伸びしてジタバタと棚に手を伸ばしていたら、「取りましょう」と声をかけてくれたスマートな男性にきゅんとして恋が始まるかもしれないという本であることを述べておきたい。

恋が始まるかもしれない本。

本を買うのなら、Amazonでない本屋で、あなたの手がギリギリ届かない棚の本を下心なく探すこと。
恋がはじまるかもしれない今日の一冊 「京都の中華」







ビールとマルジェラ

2018-02-18 | ドレステリア
このところ洋服はコムデギャルソン一辺倒。
お店に行けば必ず気にいる一枚に出会えるから、気が楽なのである。
ありとあらゆる洋服が着たいと意気込んでいた時代の終焉。
くそったれな月曜の朝でも、意気込む金曜の夜でも安定的に着飾りたい。
安定的といってもそれはイコール無難ではなく、おしゃれ魂はやっぱりちゃんとくすぶるし、お気に入りの洋服は出かける背を押してくれるからちゃんとオシャレなものでないとね。
その点、決して無難にはおさまらないコムデギャルソンという洋服は心強いモビルスーツなのである。


そんなコムデギャルソンのフリルが重なった重量感が半端ないスカートで出かければ、ぼっかりと口をあけていたのは空白の2時間。
2時間という長さは曲者で、一人で食事をするのには長すぎるし、ご飯を食べてからショッピングをするのには短い。
朝から何も食べていないという状態の15:00pmに中途半端な空き時間というのは非常に厄介なもの。
美味しいディナーのために胃袋はとっておきたいけど、ひもじい思いをするのもイヤ。
せめて一口、美味しいものをとなると、浮かぶ左党のチョイスはビールとおつまみ的な一品。
すると一杯のビールは熾火な物欲に注ぐガソリンとなり・・・・・。


まさかのマルジェラ!





ハイネックななんでもないよーなー ニット。
もうこれ以上シンプルにしようがない黒のMaison Martin Margielaのロングのニット
ポイントはヒジの部分のパッチ。

一枚でワンピースのように着てヨシ、薄いシルクジョーゼットのスカートをペチコートのように着るのもヨシ。
オススメは細身なニットパンツですなんてな誘い文句にビールガソリンが引火した。


今期、活躍度No.1なこのニット。
ルービーなマルジェラと名付け、まだまだ火曜日な飲み会にも、週半ばのお楽しみな水曜日の飲み会にも、もうひといきな木曜日の飲み会にも大活躍な一枚。
コムデギャルソンがジンだとしたら、マルジェラの洋服はビールな佇まいだといえよう。
「は?」と問われようが、「へ?」といわれようが、そうなの!
コクとキレが際立つ一枚。
わいわいとビールを飲むような日の洋服。
マルジェラの洋服を着た夜の右手には、一杯のビール。




いざ、乾杯。




かけら程度が足りない

2018-02-04 | ドレステリア
自分のダメダメっぷりに白目をむく、まるでピスタチオみたい。
すっと白目をむいて、束の間天を仰ぐ。
直ぐに通常モードに戻るけど、やっぱり直ぐに白目をむいちゃう。
バタバタと気忙しいとヒヤリハットは日常茶飯事になってきて、重大インシデントにかこまれすぎると、あちこちがマヒしてやっぱりね、そーら、ごらん的に事故がごろごろと立て続けに起こるわけ。
当たり前か。
完璧ノーマークではなく、あと一歩でカケラ程度の注意と丁寧さだったりするから釈然としなくてわだかまるのだろう。
ああ、98パーセントの不完全さよ。
32パーセントなら笑って開き直り、74パーセントなら諦めもつくのに。


最後の最後まで気を抜かずにやり切ったカケラというものはひとところに積み上げておくとそれはそれは美しい眺めになる。
薄い桃色と柔らかな萌黄いろ、染み渡る空色と。
宮沢賢治調にいうなれば小さなハギレすら愛おしんで、ゴミにせず、そんな人にあたしはなりたい。
最後の最後のカケラ程度が足りないからすっ転ぶのであって、やり切った先に広がる世界とはかくも美しきかなとミナペルホネンのお店で鼻息荒く選んだカケラ。




ごそっと着け重ねたい!