日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

赤い水玉が降るとか、紫の雨がふるとか

2017-04-13 | ギャラリー
一月の後半ぐらいから、昨年末のまったりとした日々からのウソのような忙しさ。
これを一言でいうならば「怒濤」というのだろう。

仕事→オールナイト 飲み会 朝帰り経由→まさかの健康診断(案の定、血圧高め)→飲み会な週末とか
仕事→飲み会→ジム→出張三日間→仕事からの仕事呑みとか、もうグチャグチャで三週連続のライブとかもうなんだか、なんだかでテンションだけ振り切っている。

なんとワタクシ、ジムまで通い出しまして。
勢いって本当に恐ろしい。
勢い余るとはこういうことをいうのであって、絶対に元をとりたいから週2回のジム通いまでルーティーンになっている。
これを一言でいうならば「自滅」。

先だっての六本木 国立新美術館の草間彌生展だってダブルヘッダー、まさかの二本立て!奇跡のような組み合わせで六本木を目一杯楽しむのだ作戦がしかれており、もちろん参謀はワタクシ。
つきあわされる歩兵(相方のことね)は不憫の一言。

赤い水玉の中を彷徨って、紫の雨にうたれて。

プリンスのトリビュート・ライブをbillboard tokyoにて。
プリンスもとい殿下のバンド New Power Generationの精鋭部隊が編成されて来日。
プリンスの楽曲を、プリンスの魂をもって、プリンスの音で。
音が、曲が、メロディーが五臓六腑まで染み渡る。
赤い水玉にやられてへとへとのところへ紫の慈雨が染み渡り、吹き込んで赤紫な私が出来上がった。





草間彌生という時代に立ちあえたことを、プリンスという奇跡に立ち会えたことは幸運というしかない。

時代は無名な人々の作り出すうねりみたいなものだとおもうけど、そのうねりの突端がプリンスであり、草間彌生なのだ。
突端に連なる者として、その突端はいかに誇らしいことか。


忙しいなんて根をあげてる場合じゃない。
赤い水玉にふられて、紫の雨にふられないと。
で、何色の傘をさすべきか。
答えは一言 「黒」。
あたしは黒い傘が好き。
誰に何を言われようと我が道を突き進むことを赤い水玉と紫の雨は教えてくれたのですから。





みずたま めだま くさま 六本木で草間彌生展

2017-04-13 | ギャラリー
いま!

六本木の国立新美術館でまさに、いま!!




みずたまのくさま
水玉の草間彌生展 『我が永遠の魂』開催中
草間彌生の集大成と銘打ったこの展覧会、新作も含め、過去の作品を一堂に会してごった返している。


いま、みずたま、めだま、くさま!
ゴッホやら、モーツァルトやらと時代を共にすることは夢のまた夢であるが、
この時代、草間彌生やマイケル・ジャクソンという存在を肌で感じるということは、歴史の1ページを共有するということだから、やっぱり観に行く価値はあるのだと思う。
写真撮影可能エリアもあるから、草間作品と一緒に写真におさまる貴重な機会である。


いま

いま

いま

いつかは永遠。

どんな桜か、マリメッコ

2017-04-11 | ドレステリア
花散らしの雨。
桜もあっという間に咲き誇って、盛りを過ぎ、ブワッと風にのまれて散ってゆくのち、緑。
濡れそぼった桜は哀しい、緑の葉がチラチラ見える桜はもっと悲しい。
時間が飛ぶように去って行くことを思い知らされるから悲しくなっちゃう。

今年の花見は行きつけのBARのカウンターで。
桜、一枝。
隣にお座りになった常連さんがお持ち込みになったんですって。
まあ、風流な、春な。
これならまだ寒い夜も、雨でも有意義な花見ができるってもんで、連日のように通ってしまったわ。
桜が酔って桜色、濃いめ。
浮れて散るのなら桜のように潔く!ぶわっーと散りたいものである。

花といえば桜である。
桜は華である。
華やかに装いたいのである。
空気をピンクに染めるマリメッコを着たいのである。


発端は駆け込みで行ったbunkamura マリメッコ展
いやあこれがよかったのなんのって、色褪せないドレスに震えが止まらない。
シンプルだからこそテキスタイルが際立って、視界にマリメッコのドレスがとびこんでくる。



カラフルなヴィンテージドレスの写真、スリットから見えるペチコートは同柄で色違い。



鼻息がどんどん荒くなる展示内容で、復刻版のドレスとかちゃんと作りなさいよ!となんでか悪態まで出てくる始末。
これを正しく、生殺しというのであろう。




あれから数ヶ月、

サクッと復刻して、あっという間にsold out。
なんの桜かというほどの速攻で咲いて、速攻で散る。
もう終わりの葉桜かよ マリメッコ!